SC3K-2011を振り返る(6)
2023.09.01
とりあえず(1)~(5)まで、自分の記憶を頼りに書いてみたが、久しぶりに(本当に久しぶり)自分のホームページの記事「復活!SC-3000(もどき)」を読むと、かなり重複があった。すでに書いていた内容だった。
何か新しい話でも書かないと面白くないなあ、と思ったのであった。

SC3K-2011の回路について・・・

・POWER LED
通電中は光るようにしたのだけど、現代風に青色とした。
ところが、実際に光らせてみるとまぶしい。基本的に高輝度だからな。昔の薄暗いLEDを知っている世代は、つい、抵抗値を低めに設定してしまう。暗かったんだよ。昔のLEDは。

5Vで4.7kΩにしても十分光ってるから、とんでもないよな。それで別の基板の部品実装を工場に頼んだ時、質問が来た。LEDの抵抗値が10kって間違いじゃないですか?って。
いえ、それは間違いじゃないんですよ。1kだとギラギラ明るすぎるからと説明。

わかっているのだけど、今でも「LEDには10mA以上流すようにしなければ」という意識がどこかに残っている。

・リセット回路
ここは真面目に作ったね。ちゃんと電圧検出のICまで組み込んである。
電子工作の本など見ると、たいていは手抜き(それが普通だと思われている)リセット回路で、抵抗、コンデンサ、ダイオードぐらいだろう。
現場で色々失敗した経験から、それ以来、電圧検出のICを組み込むようにした。

シュミットトリガの波形整形も入れてある。Z80のリセット端子に波形整形をしないままの立ち上がりの遅い波形なんか入れるとおかしくなる事があるぞ。
もう、最初からシュミットトリガで受けるように内蔵してくれないかなと昔思っていた。いまのPICマイコンなどは改善されてる。

さらに、外部リセットボタンが付けられるようにピンヘッダを出しておいた。これはROMエミュレータを使う時にも役立つだろう。

・VRAM
オリジナルのSC3KはMB8118等を使っていたけど、2011年当時すでに廃品種だから、パーツ屋では在庫限りだった。そこで、互換性を調べながら、使える部品の候補を広げてみた。
41256もそのまま差し替えできる。
MB8118のほかに、手持ちが有ったKM41256AP-15、TMM41256P-12、μPD41256C-15、M5M4256S-15をそれぞれテストしてOKだった。
それにしても日本メーカーの半導体が元気だった頃を思い出すね。KM41256はSAMSUNGだけど、他は富士通、東芝、NEC、三菱で。
1995年頃だったか、会社で「トラ技」を読んでいたら「三星半導体」(SAMSUNG)のDRAMの広告を見かけた。へえ、珍しいなあ。ちょうど先輩が覗き込んできて、「お前、そんな韓国製の部品なんか設計で使うもんじゃねえぞ」と。

ところが、いま振り返ってみると、もうその頃には日本の半導体は追い抜かれていたのだ。

・SN76489AN
DCSGと呼ぶのは、わりと最近まで知らなかった。型番しか馴染みがなかった。

・アドレスデコード等のロジック
結構ミスったな。
オリジナルのSC3Kの回路は、おそらくコストダウンが目的だろうけど、抵抗を組み込んでICを削減したりしている。
その部分の理解が足りなかったりしたので間違った。
抵抗を組み込んで? ってそれだけ書いても意味がわからないと思うが、長々と説明するのは大変だから回路図を見て。

初めて試作を組み上げた時、ロードランナーの画面が出た、で喜んだけど途中で止まったよな。音も出なかった。SN76489周辺の回路を修正して、ようやく動くように、音も出るようになった。

・8251とUSBシリアル、ボーレートジェネレータ
キンセキのEXO-3は便利だったのに、なんでやめるんだよと、廃止されたのはずいぶん昔のことだけど、今さらながら思う。
まあ、プログラマブルなオシレータは有るけどな。

・スロット
MSX用の信号が出せるように50PのBOXヘッダを設けたが、完全にはできなかった。必要な信号を作るためのICを載せるスペースも足りなかった。

続く。
紙工作の付録
2023.09.01
幼い頃、小学*年生の雑誌は毎月楽しみにしていたが、特に「ふろく」の工作が好きだった。
ソノシートを手回しして音を聴くプレーヤーなんか、いまでも印象に残っている。

入学祝いの景品だったと思うが、磁石セットをもらった時は嬉しかった。ところが・・・うっかり落として簡単に割れてしまうフェライト磁石、喜んだり悲しんだりと忙しかったものだ。

ふろくの紙工作の基本は、
台紙を切り抜いて、「やまおり」「たにおり」の線に沿って折り曲げ、でっぱった部分を切り込みに差し込んで組み立てる。
「のりしろ」に糊を塗って貼り合わせる。

色々作ったが、
絵柄が印刷されたフィルムに、家にある懐中電灯の光を当てて壁に映す幻灯機、そして日光写真とか、じつに刺激的だった。
熱収縮のチューブとか、確かサインペンにかぶせてドライヤーであぶると縮んでぴったりフィットする。ドラえもんのイラストが描いてあったと思うけど、ペンを使い終わった後、そのまま捨てるのに抵抗があった。ドラえもんのイラスト部分に執着していて・・・

ところで、いまの小学*年生はどうなんだろうな?と、調べてみた。
https://sho.jp/sho1/

「最強付録!! おうちでアニメーションシアター」

最強!!

基本は自分たちが幼い頃とあまり変わらないかも。

でもスマホだのインターネットだのと、幼い頃から刺激にさらされている現代のお子様たちは、純粋に感動してくれるだろうか。きっとそうだと思いたい。

明るい時間では見づらいから、日が暮れるのが待ち遠しかったよなあ。待ちきれなくて早く試したくて、押し入れに潜り込んだり、家の中で薄暗い場所を探したりして。

それにしても、「アンキパンメーカー」ほしい。おとなになってもほしいものはほしい。
SC3K-2011を振り返る(5)
2023.08.31
SC3K-2011を振り返る、とか書きながら、SC3K実機の話になってしまっているが、
まずはSC3K実機を思い出しながら、記憶をたどっていきたい。

カセットの接触不良で泣かされたのは良く有った話で(だけど当時は周囲にSC3K仲間がいなかったから知らなかった)、
自分なりに工夫してみたのは、紙を折ってスキマに挟んだりとか。
これは完璧な対策にはならなかったような気がするけど。

最終的には、意地になってカートリッジ端子とSC3K内部の基板を直結してしまった。
リード線を何十本も切って両端皮むきするのは大変な手間だったが、直結なら完全無欠だろう。

どうよ、バッチリだぜ、バンバン叩いても何とも無い。

これでしばらくの間はBASIC専用機として使っていたが、またゲームで遊びたくなり、仕方なく元に戻した。
なんという無駄なことでしょう。


SC3K実機の小ささと軽さは、あちこち持ち運ぶのにはちょうど良かった。学生カバンに入れて、中学校に持って行って教室のテレビにつないで遊んだ事がある。

HB-101(MSX)も同じようにしてカバンに入れてみたが、蓋をするのが厳しかった。しかも、どこかでひっかけてしまいCAPSキーを折ってしまった。仕方なく、中央に穴を開けてナベネジをつっこんで固定した。


当時持っていたSC3K実機は、確か高1か2の時に部品取りしてしまった。いま思えば、なんともったいない。でも当時は飽きてしまって、もういらないと思ったから仕方ない。
でも結果的には良かったのだ。これがSC3K-2011につながったのだから。

部品取りは小学生の頃からTVの部品を取り外していたから、熟練していた。Z80なんかも、マイナスドライバーを差し込んで浮かし気味にしながら、ハンダを滑らすように融かして、だんだん浮かせていた。片列浮けば楽勝だ。

ハンダ吸い取り線なんか持っていなかった。有るのははんだごてと糸ハンダだけ。吸い取り機なんか、ずいぶん後になってから買ったものだ。(手動ポンプ式のやつ)

分解しながら、回路図を起こそうと思ったが、パターンが細かくて追えなかった。いまなら(仕事で)慣れてるから余裕でできるけど、当時は、こんなの絶対無理だとあきらめてしまった。

それで結局、部品取りしてどうしたかというと、高校2年の春休みにワンボードマイコンを作った。
すでに当時(1988年頃)ワンボードマイコンを作ろうというヤツはいなかった。その10年以上前にブームは過ぎていただろう。
だが、勉強のために、あえて作ろうとした。

もとにした記事は「ラジオの製作」に載っていたZ80マイコンシステムで、本来はカードスロットに各ブロック毎(CPUボード、メモリボード、I/Oボードなど)を差し込んで構築するものだった。
その回路を自分なりに整理して、ワンボードに仕立てたというわけ。

当時の自分の実力としては、相当な冒険だった。

最初に一部だけ、CPUボードだけ作ってみたけれど、当然それだけでは動いているのかいないのか、動いていても正常なのか、テスター以外にはオシロも何もなく、ラジオでノイズを聞いてみて、うーん、なんか動いてる? その程度だった。

そうやっていじっているうちに、変な臭いがしてきて、74LS245が過熱していた。こりゃやばい。急いで電源を切った。壊しただろうなあ。
そこでメゲないで、改めて最初から丁寧に作ろうと決心して、3日間かけて作り上げたのだった。
とにかく1本1本、丁寧に進めることにした。回路図を赤鉛筆で塗りながら、間違いがないようにした。
こうして無事に動作するようになったのだが、このワンボードマイコンに使ったのがSC3Kから取り外したZ80だった。

そんなの取り外さなくても買ってくればいいでしょー、って言われそうなので説明する。

地方なのでパーツ屋はなかった。ホームセンターに電線とかハンダが置いてある程度。

どうしてもICなどは通販に頼るしかなかった。だが、お金はそんなに持ってないし、ごく限られたお金しか使えなかった。
部品表を作り、持っている部品をできるだけ活用するようにして、部品代を削りながら計算していった。どうしても買わないと揃わないものだけに絞り込み、通販で取り寄せた。

抵抗なんかも新品ではなく、テレビの基板からはずして集めたものを使っていた。そんなものは買っても安いのに、と思うのだけど、やはり簡単には買えないから、仕方なかった。

テレビの基板を持ってきて、お目当ての抵抗を、目を皿のようにして探すのである。このおかげで、カラーコードが瞬間的に読めるようになった。
確かに無駄なことに時間を費やしていたかもしれないが・・・。

最初の頃は基板からとにかく取り外して集めていたが、整理・分類ということを知らなかった為、ごっちゃまぜの山の中から探すことに時間を費やしていたっけ。

ばかなりに学習して、基板に付いた状態のほうが探しやすいなと気づいたわけ。(ずいぶん後になって)

続く。

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