三菱兵器・住吉トンネル工場
2024.10.27
以前から行きたいと思っていましたが、なかなか行けずにいました。
ようやく行くことができました、という話。

出だしが不調で・・・なぜか違うバス停に行ってしまい、時刻表を見て気付いた次第。勘違いか、寝ぼけていたか。

この時間なら、ずっと向こうのバス停なら通過する便があるだろうと思って歩いたが、次の便まで相当な時間がある。
バス停でぼーっとしていたら空港行きが来たので、ためらいもなく乗ってしまった。そして空港から長崎市内へ。

目的地に一番近い、といってもそこから市電で移動しないといけないが、あるバス停で降りた。

じつはさっきから催していた。車内の冷房にやられた。脱*の危機。どうしよう。
そうだ、あのパチンコ屋。
早く信号かわれ。きっと、変な歩き方をしていたことだろう。
トイレに入ってみると個室3つとも満員。ありがち。
焦ったが、まもなく一人が出てきたので交代できた。はあー。すっきり。

ここから改めてスタート。住吉へ。



住吉トンネル工場というのは戦時中に(敵に見つからないように)横穴を掘って作られたトンネルに設けられた工場。いまではその上を道路が通っている。
トンネルは6本あったが、現在は2本のみ残して展示されている。

当時、内部には旋盤などの機械を設置し、魚雷の部品を作っていたという。

通常は、鉄格子から内部を覗くぐらいしかできない。年に何回か開放日が有り、ちょうど今の時期がそれで、内部に入る事ができた。

どこまでも続いているわけではなく、入口からちょっとだけコンクリートで整備されており、その奥は掘ったままの状態で、ずっと奥はフタがされている。



説明員のおじさんが立っており、話を聞くことができた。

「自己責任で、その奥まで行くこともできます。足元に注意して」とも言われたが、さすがに奥まで行かなかった。

自分の祖父が三菱で魚雷を作っていたと聞いており、それ以外の細かい事は忘れたが、ひょっとしたらここで働いていたのではないか?

午後から郷土資料センターに行って文献をあさっていると、その話が書かれた本を発見。
どうやら祖父は8月9日に欠勤していて直接の被害を受けなかったが、その後、職場の様子を見に行ったので被爆者になったようだ。

そして、うまい具合に午前中の見学と午後からの資料あさりがリンクしたのが良かった。そもそも目的があって郷土資料センターに行ったのではなく、なんとなく足が向いただけだったのに。

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