短波と短波ラジオ
2024.04.09
子どもの頃、短波というのは不思議な存在だった。

普通のラジカセにはAM/FMしかついてない。短波(SW)は珍しかったと思う。(そうでもないか、人によって違う)

ちなみに同級生のイニシャルがSWだったヤツを短波と呼んでみたこともある。

町のごみ収集のオジサン(同級生の祖父)と知り合いになり、集積場に連れて行ってもらって、粗大ごみで集めたラジカセやらテレビやらたくさんあって選びたい放題だった。

そこでもらったのはナショナルのRQ448(MAC FF)というラジカセで短波がついていた。全く壊れていなくて何で捨てられたのか、買い替えで捨てられたんだろうと思う。

ご参考
ttp://plaza.harmonix.ne.jp/~ita/1123/RQ448.htm

これは遊べるラジカセで、ワイヤレスマイクは付いていたし、短波も受信できた。

その電波の性質上、夜になるとよく放送が入る。

ダイヤルを端からソーッと回しながら耳をすますと、知らない外国語やら不思議な電子音やらが聞こえてきた。
5MHzや10MHzでは一定の音を繰り返す、いわゆる標準電波(日本ではJJYだった)が受信できた。これを時計合わせに使ったりしたものだった。この電波を利用して時計を正確に動かせないか、という発想は当時あったが、どうやって実現するか、というところで前進できなかった。
電子工作のコンテスト(電波新聞社)の出品に、時報で時計を0秒に合わせる仕組みの作品があって興味をもった。これが応用できないかと考えていた。

モールス信号や、あるいは7MHzあたりでモガモガ声が聞こえていた。これはアマチュア無線で、SSBだから普通のラジオで聴くとモガモガになる。
共立電子からBFOキットを買って、うまく調整してやるとクリアに聴こえるようになった。
それ以前はなんとかしてモガモガ状態で交信を聞き取ってやろうというチャレンジをしていた。
交信の内容を書くのは良くないが、もう何十年も経過しているので支障ないと思う。確か自動車が故障して、無線仲間から修理方法のアドバイスをもらうようなやりとりだった。

夜な夜なラジオのダイヤルを回したり、ラジオの製作に載っていたBCLの周波数情報を見ながら周波数を合わせて放送を聞こうとした。

だけど周波数直読ではなく、大雑把な目盛りだからなかなか思ったように合わせられない。受信できない。
昔「何メーターバンド」といって波長で周波数帯を示していて、結構大雑把なものだった。

いまでこそ、周波数をテンキーから打ち込むラジオを持っているが、当時はそんなもの夢だった。ただ、ラジオの製作の(BCL記事の)筆者は持っていて、記事にたびたび登場するそのラジオの写真を見ながら、あこがれていたのである。

ラジオたんぱで株式を聴いたり、競馬とか、もう完全に大人の世界でサッパリわからなかった。こち亀の両さんが短波ラジオで競馬中継を聴いているのは漫画で見たことがあるだろう。

ラジカセのおまけの短波だから周波数は確か12MHzあたりまでしか無く、それ以上の周波数を聴いてみたいと思ってもできなかった。

ところで、短波ラジオの自作もした。

ラジオの製作の記事だったが、非常に簡単な回路で短波が受信できるというのでビビッと来て部品を注文して組み立てた。
コイルは単2電池に紙を巻き、そこへエナメル線を10回巻いて作る。ほどけないようにテープを貼ったり接着剤を塗って固める。

トランジスタ2石だったと思うけど、初段のバイアス抵抗は5.1MΩというのはなぜか覚えている。バリコンは普通に見かけるAMの単連でよかった。

クリスタルイヤホンで聴くんだったっけ。

さっきのラジカセよりもはるかに大雑把な代物だったが、これで短波を聴くのはかえって新鮮だった。

ケースは、ナッツボンの空き缶だったと思う。いまは袋に入って売られているが、当時は缶入りが有り、フタは半透明のプラスチックだった。
フタはポリバリコンを取り付けるのにちょうどよかった。

シールド効果を期待して金属の入れ物を使ったのではなく、たまたま転がっていたものをテキトーに使っていた、あの頃。

そのほか、意外な方法で短波を受信したこともある。

当時よくテレビが捨てられていて、拾ってきては部品を外して集めていたが、チューナーユニットは使い道がなかった。
見た感じ、何か使えそうにも見えるが、結局は何も使い道がなかった。
アンテナ入力と、電源をどこかにつなげば出力が出るのだろう、ぐらいしか当時はわからなかった。

それでまあ、適当に電池をつなぎ、アンテナをつないで、その出力をFMラジオにつないでみたと思う。このあたりは記憶がハッキリしないけど、確かに実験をした。
あるいは低周波のアンプにつないだかもしれない。アンプといったけど、じつはラジカセのマイク入力につないで、そのスピーカーから聴いていただけという場合もあった。これがお手軽だった。

そうすると、どういうわけか「自由中国の声」(当時)の日本語放送が聞こえてきた。あの曲。(あの曲といってわかる人はわかる)

当時は原理がわからず、そして後日再現もできなかった。

たぶんだけど、原理的にはダイレクトコンバージョンみたいな事になっていたんじゃないかなと思う。
エッチングと基板 つづき
2024.04.09
中学生の頃に初めてプリント基板の製作キットを買った話を書いたが、それは何のためだったか。

確か2年生だったと思うが、学校のクラブ活動で工作部に入った。
ほとんどの人はプラモを組み立てていたが、自分はプラモも作ったけど、やっぱり電子工作をしてみたかった。
そこで、「技術」の教科書に載っていたラジオを作ろうとした。

最初に作りたい物や活動したい事の希望を書いて提出する紙があり、そこへ「ラジオを作る」と書いておいたら、顧問の先生から「ラジオなんか作ってどうすんだ、買えばいいだろ」という反応。

(顧問の先生は美術の教師)

そりゃそうですが先生・・・
「勉強の為」だと言えば相手は学校の先生だから納得してもらえたと思う。当時何と言ったかは忘れた。

それで実際に部品を買い集めて(当時は通販)作ったんだよな。だけどその時は鳴らなくて、あとで色々いじって直したと思うが、このあたりの記憶もない。作ったのは確か。

まあ、確かに実用性は無かった。

ケースに入れなくて基板むきだしだからゴミっぽくなる。むきだしでホコリをかぶるし、ホコリをかぶれば、なおさらゴミっぽくなる。
いまではそう思うけど、当時は通電して動作する部分にしか興味がなかった。

ケース加工もしなかったわけじゃないけど、よくある透明スチロールのケースにはんだごてでブスッとさして(くさい、と母から苦情)適当に穴を開けていた。

まともなドリルも持っていなかった頃だし、手回しのドリルで細い刃から折ってしまい、予定外に大きい穴をあけたりしていた。

あるいはカッターナイフの先端を突き立て、それをぐるぐる回すと皿もみのようにして穴があくので、この技を多用していた頃もあった。

当時ケースは透明スチロール製のものがたくさんあって、これは親父が町の健診に行った時に胃の発泡剤が入っていた箱がたくさん捨てられていたのでもらってきたらしい。
結構しっかりしていて、使い捨てにするにはもったいない箱だった。いまの時代だとエコとか言って紙箱になってるのかなと。
高校の実習と基板
2024.04.09
高校時代は「負帰還増幅回路」といってトランジスタ1石だったと思うが、それをプリント基板で組み立てて実際に通電し、特性を測定するという実習があった。

片面銅箔のベーク板があって、それを必要な寸法に切り出して、銅箔を良く磨く。実際どうやったか細かい事はあいまいな記憶だが、最初に穴位置をポンチで打ったと思う。
原稿を重ねて、穴位置にポンチを当てて軽く打っていく。強く打つと基板が割れてしまうぞと。

ドリル刃がずれなければ良いわけで、ちょっと凹めば十分。
みんな順番にボール盤を使って、穴あけした。

エッチング前に穴開けしたのか、後だったのかは、改めて考えてみると記憶が曖昧。

ハッキリ覚えているのは、
ドリルは銅箔面からだぞと。反対(ベーク)面からドリルを差し込むと銅箔を突き上げて(めくれて)しまうおそれがある、と先生に言われた。

そしてパターンはどうしたかというと、原稿を見ながらペンでインクを塗り重ねていった。ここでインクが薄いとエッチングで虫食いになるか、溶けてしまう。

自分は中学の頃すでに経験していたので、トントントン・・・とペン先を当ててインクを塗り重ねるテクを使っていた。すると周囲も真似し始めた。

名前を書け、というのでスペースに名前を書いたと思う。これも銅箔の文字として残る。エッチングで誰のかわからなくなるし、先生方も採点のために必要だっただろう。

この実習以前に、ブレッドボードで試作したような気もするけど、別の回路だったか。なんか接触の悪いブレッドボードで、配線ミスも最初は有ったが、思ったように動かなくて苦心したような印象が残っている。

それで出来上がったプリント基板に部品をはんだ付け。トランジスタに抵抗、コンデンサ。

実際に通電して、周波数特性なんかを取ったと思う。片対数?グラフ用紙を購買から買っておけよと事前に指示があった。いまの時代に対数グラフ用紙なんて売ってるんだろうか。Excelで済むか。(追記:いまでも売ってる)

グラフ用紙は1冊単位での購入が普通だが、そんなに使わないので無駄になる。学校の購買だと1枚から買えたと思う。あるいは教室で先生が配っていたか。記憶はハッキリしない。

入力はオシレータ(低周波発振器)で、つまみを回すと周波数を変えられるやつ。当然アナログ。あのツマミの内側はバリコンがつながってるんだよな。
出力側にオシロをつないで波形と電圧を見たような。確か電子電圧計だったような気もする。

こうして周波数を一定刻みに変えながら、その時の出力電圧をとってグラフにプロットしていくと、周波数特性のグラフができる。
いまの時代だと自動化されていそうな手順を当時はひとつひとつ手動で実施していた。
読み取り誤差や個人のクセによって数字はバラツキがあったりして、凸凹になったりする。
当時はとにかくアナログなので、針が微妙な位置にある時の読み取りは微妙。もちろん、読み取り時にメーターを見る姿勢とか、メーターに鏡がついていたらその鏡と指針の重なりで・・・といった決まりはあった。

基板製作実習の前だったか後だったか忘れたが、回路定数の決定という手順が有って、それは製作前だったか記憶がハッキリしないけど確かに有った。
基礎理論ばかり座学でやっていたが、ここにきてようやく、回路設計らしき事を経験できたので良かった。

だがその計算は相当な分量で、たかだか簡単な増幅回路といってもちゃんと計算すると大変だった。コンデンサの容量ひとつとっても実際に使う周波数などで決められる。
その計算手順をレポートにして出せ、と。

一番苦手なところだ。計算はダメダメだった。

当時の自分は良く理解できない部分もあり、クラスメイトに聞きながら、見様見真似のような状態で書いて提出したら、先生からここおかしいぞと指摘されたと思う。やり直しじゃなかったか。それとも提出前に呻吟していたような記憶がある。

そういえば、あの作った基板どうしたっけ。持ち帰って良かったはずだが、記念に保存してあるかなと。記憶がない。
感光基板の思い出
2024.04.08
専門学校の学生時代は、戸棚のガラス板で基板とフィルムを挟んで、要するに日光写真のようなもので屋上に持っていって焼付をしていた。

適当なガラス板なんかそこらへんにあったのは戸棚のやつぐらいだよ。

ガラス板って平面だと思っていたが、ところがどっこい、実際には微妙に反っていて、2枚を合わせるとスキマができる。
つまり、フィルムと基板の間にもスキマができて、その部分のパターンがぼやけてしまう。これをエッチングすると溶けてしまって欠落する。

屋上で焼付が終わるまで数十分も耐えるのは暑かったし、押さえていた腕も疲れたが、それで両面焼付を1回失敗して感光基板の材料もパー。確か\1,500もしたのに。
二度目はさすがにしっかり準備して、ぎりぎり成功した。

この課題は社会人になってから、ようやく購入できた感光基板のバキュームクランプとロボライトで解決することになる。

バキュームクランプは、真空引きをしてフィルムと基板をしっかり密着してくれる。
ロボライトは、蛍光灯がメカ仕掛けで往復して均等に露光してくれる。

そういえばエッチング槽まで買い揃えていたっけ。金魚のポンプで空気をボコボコやってエッチング液を循環させる。
そしてヒーターも。ある程度エッチング液を温めれば反応が早くなる。(熱くしすぎたらダメ。塩素ガスが出る)

エッチング槽はほとんど使わなくなった後、サビサビボロボロで汚れていたので捨ててしまったが、あとの2点はオークションで売ったので、まだこの世界のどこかで活躍しているかもしれない。
エッチングと基板
2024.04.08
初めてプリント基板の工作キットを買ったのは中学生の頃だったか。

確かサンハヤトのPK-3といって、今は無い。
弁当箱ぐらいの大きさの箱、乳白色の箱だったと思うけど、その中に必要な物が入ったキットだった。
中身は、エッチング液のボトル、溶剤とフラックスの小瓶、ナイロンたわし(銅箔を磨く用)、デザインナイフ、廃液処理剤と漏斗(厚紙を折って作る)、そして説明書だったと思う。そして、この箱自体がエッチング用の容器にもなるわけだ。

通販で頼んだのが届いたのは、ちょうど風邪で寝込んでいた時で、もうソワソワして早く開けてみたくてたまらない。
ところが、まだ直ってないんだから寝てなさいと怒られた。
いや、ちょっとぐらい開けてみるのは良いだろう、と起き上がって箱をあけたが最後。
さっそく基板を作ってみようと、やる気満々なのであった。

このキットはパターンの作り方が変わっていて、感光とかインレタではない。
粘着シートを貼り、それをパターンの通りに切り抜き、その切り抜いた部分にインクを塗り込んで乾かす。
記憶では、そういう作り方だったと思う。
インクが良く乾いたらエッチング液につける。すると、インクの乗っていない部分の銅箔が溶けて、インクの乗っている部分の銅箔が残る。
不要部分の銅箔がすっかり溶けたら、水洗いしてエッチング液を洗い流す。
そして、溶剤を使ってインクを溶かして拭き取る。
これでパターンが出来上がる。
仕上げにフラックスを薄く塗れば出来上がり。もちろん穴あけもする。

シートを切り抜くためのデザインナイフがキットの中に入っていた。私は不器用なほうだったから、そんなにきれいには切り抜けなかった。細かい作業を丁寧にやるのは、今はできるけど当時は本当に苦手だった。

結局、ペンでパターンを描いたほうが楽だと思って、その方式に切り替えた。

それでも思うようにいかず、塗り方が薄いとエッチングで溶けてしまい、虫食いみたいになってしまう。
トントントン・・・とインクを重ねて塗るような感じで作業するとうまくいく。

いずれにしても、エッチング液につけてパターンがきれいに溶けるまでが待ち遠しい。
自家製プリンを冷蔵庫に入れて固まるのが待てないタイプだった。

エッチング液をぬるま湯程度に温めたり、こまめに揺すったりして早く溶けるようにしたりしていた。

うっかりピチャッと飛ばしてしまい、服についたらさあ大変。なかなか落ちない。
そして金属につくと腐食してしまう。

まあとにかく時間がかかるので、せっかちな自分は、もうちょっとなんとかできないか工夫しようとした。

そこで、朝から学校に行く前にエッチング液に入れておいて、帰ってきたら出来上がっているはずだと。
その間は全く基板のことなんか忘れて、忘れた頃にできあがっているという素晴らしさ。

それで実際にやってみたんだが・・・フタをあけてみると銅箔がすっかりなくなってつんつるてんになっていた。

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