線がつながっていないのに鳴るスピーカー
2025.02.13
高校入学前年、高校の文化祭を見に行った時の記憶。
特に電子科の展示には興味があったけど、今でもナゾなのは、
線がつながっていないのに鳴るスピーカー
確かに何もつながっていない。そのスピーカーの周囲には線は無い。
スピーカーは立てた状態で板に固定してあり、確か透明アクリル板じゃなかったかな。
コーン紙を見ると確かに振動していて音が出ていた。
立ち止まって近づいて良く見てみた記憶。
裏側も見て、極細の線などでつながっていない事は確かめたと思う。
結局わからないまま、現在に至る。(種明かしは無し)
あれはひょっとしたら電磁誘導で鳴っていたのかもしれない。近くに別のコイルがあって、それに反応していたとか?違うかな。
スピーカーの周囲を囲うようにコイルが埋め込んであったとか?
何だったんだろう。今でも時々思い出して考えてしまう。
夢とか妄想じゃなくて本当の話。
線がつながっていないのに鳴るスピーカー。どうやって作るか考えてみると面白そう。
特に電子科の展示には興味があったけど、今でもナゾなのは、
線がつながっていないのに鳴るスピーカー
確かに何もつながっていない。そのスピーカーの周囲には線は無い。
スピーカーは立てた状態で板に固定してあり、確か透明アクリル板じゃなかったかな。
コーン紙を見ると確かに振動していて音が出ていた。
立ち止まって近づいて良く見てみた記憶。
裏側も見て、極細の線などでつながっていない事は確かめたと思う。
結局わからないまま、現在に至る。(種明かしは無し)
あれはひょっとしたら電磁誘導で鳴っていたのかもしれない。近くに別のコイルがあって、それに反応していたとか?違うかな。
スピーカーの周囲を囲うようにコイルが埋め込んであったとか?
何だったんだろう。今でも時々思い出して考えてしまう。
夢とか妄想じゃなくて本当の話。
線がつながっていないのに鳴るスピーカー。どうやって作るか考えてみると面白そう。
冷暖房の無かった頃
2025.02.13
今では学校の教室に冷暖房完備は当然のようだが、我々の頃には無かった。
我々が卒業した後に取り付けられた。
なぜかというと、お山の噴火で火山灰が降ってくるので、窓を締め切るしかなかった為。すぐにザラザラになる。
今では温暖化の影響か、エアコン無しでは過ごせなくなってきたのでやむを得ないが、そもそもは火山灰対策だった。
それでも当時はそれなりに暑かった。
しかも男ばっかりで、余計に暑苦しい。女の子は数えるほどしかいなかった。
さすがに先生も暑さに参っていた感じ。
うちわ代わりに下敷きをバタバタやっていると、おい!**、バタバタするな、暑いのは先生も同じだ、って注意されたやつもいた。
もうグタグタ。
水泳の時間は涼しかったが、その後の授業は・・・みんな眠くなっていた。どうして水泳の後は眠いんだろうね。
居眠りが大多数だと、さすがの先生も苦笑、参ったという感じ。一人や二人だったら、注意したり起こしたりするんだけど。
国語の先生だったか、居眠りしている奴の頭をペン先でチクチクやる先生がいた。こればかりは絶対やられまいと心に誓って、特に国語の授業だけは絶対に居眠りしないぞと頑張っていた。
ところが・・・夜遅くまで勉強していたせいか? ひどく眠くなって・・・・・・チクッ、チクッ、・・・何だ? アッ、しまった、うっかり居眠りだ。この感覚は気持ち悪かった。忘れられない。
いまでは実習棟も含めて冷暖房完備。
あの実習棟、我々の頃はプレハブみたいな建物で底冷えしていた。なんか急ごしらえみたいなもので、ずいぶん年季も入っていた。
電子や建築は、まだマシなほうで機械の実習棟はコンクリートの床だった。自分たちも各科の実習を一通り経験した。
真冬に機械科の実習棟でヤスリがけ修行?をやった。
コークスを燃やして暖を取りつつ(近づかないと暖かくない)、ひたすらヤスリを前後に往復させて、鉄を削り出していったのである。
平面になってないぞとか、直角が出てないとか注意されながら、だりーとか思いながらやっていた。
もういいだろって感じで早々に飽きてきたが、まわりを見るとずいぶん削っていて、そんなに削るのかと・・・削りすぎをおそれたせいもあったが・・・
でも、この鉄を削る感覚は一度ぐらい手でやって覚えておくと良いかもね。
我々が卒業した後に取り付けられた。
なぜかというと、お山の噴火で火山灰が降ってくるので、窓を締め切るしかなかった為。すぐにザラザラになる。
今では温暖化の影響か、エアコン無しでは過ごせなくなってきたのでやむを得ないが、そもそもは火山灰対策だった。
それでも当時はそれなりに暑かった。
しかも男ばっかりで、余計に暑苦しい。女の子は数えるほどしかいなかった。
さすがに先生も暑さに参っていた感じ。
うちわ代わりに下敷きをバタバタやっていると、おい!**、バタバタするな、暑いのは先生も同じだ、って注意されたやつもいた。
もうグタグタ。
水泳の時間は涼しかったが、その後の授業は・・・みんな眠くなっていた。どうして水泳の後は眠いんだろうね。
居眠りが大多数だと、さすがの先生も苦笑、参ったという感じ。一人や二人だったら、注意したり起こしたりするんだけど。
国語の先生だったか、居眠りしている奴の頭をペン先でチクチクやる先生がいた。こればかりは絶対やられまいと心に誓って、特に国語の授業だけは絶対に居眠りしないぞと頑張っていた。
ところが・・・夜遅くまで勉強していたせいか? ひどく眠くなって・・・・・・チクッ、チクッ、・・・何だ? アッ、しまった、うっかり居眠りだ。この感覚は気持ち悪かった。忘れられない。
いまでは実習棟も含めて冷暖房完備。
あの実習棟、我々の頃はプレハブみたいな建物で底冷えしていた。なんか急ごしらえみたいなもので、ずいぶん年季も入っていた。
電子や建築は、まだマシなほうで機械の実習棟はコンクリートの床だった。自分たちも各科の実習を一通り経験した。
真冬に機械科の実習棟でヤスリがけ修行?をやった。
コークスを燃やして暖を取りつつ(近づかないと暖かくない)、ひたすらヤスリを前後に往復させて、鉄を削り出していったのである。
平面になってないぞとか、直角が出てないとか注意されながら、だりーとか思いながらやっていた。
もういいだろって感じで早々に飽きてきたが、まわりを見るとずいぶん削っていて、そんなに削るのかと・・・削りすぎをおそれたせいもあったが・・・
でも、この鉄を削る感覚は一度ぐらい手でやって覚えておくと良いかもね。
エッサッサ
2025.02.13
もう、なんというか、男ばっかりの学校だから暑苦しいというか汗臭いと言うか、そんな感じ。
体育祭を目前にして、みんなで毎日応援の練習。
エッサッサという独特の振り付けって言うんですか、それを練習する。
日体大が元祖なのかな。当時は知らなかった。
えーーーっさっさ、えっさっさ、・・・ 今の後輩たちは、やってんだろうか。たぶんやってないな。
そしてまた、お前は声がしっかり出てないとか言って注意され、中腰で耐えろって。よしというまで。
(最初、中腰ってどうするのか知らないから先輩に聞いた)
とにかくだるい。面倒くさい。早く終われ。帰りたい。
応援歌がいくつか有って、歌詞のプリントとか配られないのだ。応援団長が歌うからみんな聞いて覚えろって。そんなノリ(笑)
みんな歌ってみろ。・・・ちゃんと覚えてないじゃないかと怒り狂ってやり直しの繰り返し。
グラウンドの砂ボコリ
早く終われ。
青春のひとこま?
体育祭を目前にして、みんなで毎日応援の練習。
エッサッサという独特の振り付けって言うんですか、それを練習する。
日体大が元祖なのかな。当時は知らなかった。
えーーーっさっさ、えっさっさ、・・・ 今の後輩たちは、やってんだろうか。たぶんやってないな。
そしてまた、お前は声がしっかり出てないとか言って注意され、中腰で耐えろって。よしというまで。
(最初、中腰ってどうするのか知らないから先輩に聞いた)
とにかくだるい。面倒くさい。早く終われ。帰りたい。
応援歌がいくつか有って、歌詞のプリントとか配られないのだ。応援団長が歌うからみんな聞いて覚えろって。そんなノリ(笑)
みんな歌ってみろ。・・・ちゃんと覚えてないじゃないかと怒り狂ってやり直しの繰り返し。
グラウンドの砂ボコリ
早く終われ。
青春のひとこま?
だるま先生
2025.02.13
だるま先生と勝手に名付けたけど、当時は何と呼んでいたっけ。もちろん、面と向かって言うようなあだ名ではなかった。生徒同士では呼び捨てで呼んでいた。
後輩たちが「だるま」と名付けたと思う。我々は名字を呼び捨てにしていた。
確かに、だるまに似ている。
その先生が赴任して来られたのは高校2年の時だったか。
まず、体格が違った。柔道は黒帯だそうで。いつも胸を張って堂々と歩いていた。
「武士が歯を見せて笑うもんじゃない」 武士なのか。
ちょっと悪ふざけや態度の悪い生徒がいると容赦ない。(いまの時代だと問題になるが)
いまでも覚えているのは製図の授業で、その一番最初のとき。
授業開始と共に入ってきた先生、開口一番、
だるま:「お前ら、何をしにきているんだ?」
みんな:「?」
だるま:「だから、何をしにきているんだって聞いてるんだ。」
生徒:「製図の・・・」
だるま:「だったら紙を準備してこいよ」
生徒: 「聞いていません」
だるま:「なんだと」(このあたりで言われたことはよく覚えてない)
どうやら、こういう”やり方”らしい。
だるま:「すぐに購買部へ行って紙を買ってこい!!」、「そして、不満のある者は教室の外へ出ろ」
何名かの生徒が教室の外へ出た。大多数は購買部へ走った。自分も。
購買部のおじさん、おばさんはびっくりしただろうな。急な需要増加と、このタイミング(笑)
なかなか授業時間中に買い物に来る生徒はいなかっただろう。お茶でも飲んで休んでいた時だったかもしれない。
だるま:「不満のある者は俺が相手をしてやる。かかってこい」
みんな、無謀だった。
ある者はブン殴られ、ビンタを喰らい、投げ飛ばされ、もうメチャクチャ(見ていられない)
脳みそ筋肉タイプっていうんですか、もろに体育会系というか、なんといいましょうか。
でも、教え方は良かった。理解しやすかった。
ところで、
この先生は宿題をチェックした後などに独特のサイン(シンボルマーク)を描いていた。自分の名字の漢字をアレンジしたもの。
別の電気科の先生も独特のサインをしていたので、これらを組み合わせて、へんてこなシューティングゲームを作って遊んでいた。そのマークの先端からビームが出て、もうひとつのマークを片っ端から消していくやつ。
私が作ったプログラムは中途半端だったので、後輩にまかせて仕上げてもらった。
そのだるまは既に引退されて久しいが、某進学校の校長先生をしていたこともあり、自分から言ってるとは思えないがまさか電気科の先生だったとは生徒たちも知らなかったかもしれない。
その先生がよく言っていた言葉があり、これを書くとキーワードでつながってしまうので伏せておくが・・・その言葉を書いている人がネット上にいたので、たぶん同じ先生の教え子だったのだろう。
そしてまた、その先生は意外と近くに現在お住まいらしく、会う機会は無いと思うが、どこかでバッタリ出会ってしまうかもな。
後輩たちが「だるま」と名付けたと思う。我々は名字を呼び捨てにしていた。
確かに、だるまに似ている。
その先生が赴任して来られたのは高校2年の時だったか。
まず、体格が違った。柔道は黒帯だそうで。いつも胸を張って堂々と歩いていた。
「武士が歯を見せて笑うもんじゃない」 武士なのか。
ちょっと悪ふざけや態度の悪い生徒がいると容赦ない。(いまの時代だと問題になるが)
いまでも覚えているのは製図の授業で、その一番最初のとき。
授業開始と共に入ってきた先生、開口一番、
だるま:「お前ら、何をしにきているんだ?」
みんな:「?」
だるま:「だから、何をしにきているんだって聞いてるんだ。」
生徒:「製図の・・・」
だるま:「だったら紙を準備してこいよ」
生徒: 「聞いていません」
だるま:「なんだと」(このあたりで言われたことはよく覚えてない)
どうやら、こういう”やり方”らしい。
だるま:「すぐに購買部へ行って紙を買ってこい!!」、「そして、不満のある者は教室の外へ出ろ」
何名かの生徒が教室の外へ出た。大多数は購買部へ走った。自分も。
購買部のおじさん、おばさんはびっくりしただろうな。急な需要増加と、このタイミング(笑)
なかなか授業時間中に買い物に来る生徒はいなかっただろう。お茶でも飲んで休んでいた時だったかもしれない。
だるま:「不満のある者は俺が相手をしてやる。かかってこい」
みんな、無謀だった。
ある者はブン殴られ、ビンタを喰らい、投げ飛ばされ、もうメチャクチャ(見ていられない)
脳みそ筋肉タイプっていうんですか、もろに体育会系というか、なんといいましょうか。
でも、教え方は良かった。理解しやすかった。
ところで、
この先生は宿題をチェックした後などに独特のサイン(シンボルマーク)を描いていた。自分の名字の漢字をアレンジしたもの。
別の電気科の先生も独特のサインをしていたので、これらを組み合わせて、へんてこなシューティングゲームを作って遊んでいた。そのマークの先端からビームが出て、もうひとつのマークを片っ端から消していくやつ。
私が作ったプログラムは中途半端だったので、後輩にまかせて仕上げてもらった。
そのだるまは既に引退されて久しいが、某進学校の校長先生をしていたこともあり、自分から言ってるとは思えないがまさか電気科の先生だったとは生徒たちも知らなかったかもしれない。
その先生がよく言っていた言葉があり、これを書くとキーワードでつながってしまうので伏せておくが・・・その言葉を書いている人がネット上にいたので、たぶん同じ先生の教え子だったのだろう。
そしてまた、その先生は意外と近くに現在お住まいらしく、会う機会は無いと思うが、どこかでバッタリ出会ってしまうかもな。
算数の問題集
2025.02.13
なんでドリルっていうんだろうね。変なの、って当時は思っていた。
ドリルっていったら一種類しか思い浮かばないじゃん。穴あけ。これ以外のドリルは無いよ。
それでまあ、高校生だった自分は数学がダメすぎて、他の科目はそこそこ良いのに、数学だけのために底辺を彷徨っていた(笑)
お前ば*じゃないの、数学なんて簡単ジャーン、スパッと答えが出るし、要領が悪いんじゃないの!ハハハハハ!! といった具合に周囲からは、からかわれていた。(こっちは真剣に悩んでるのにな)
そもそも数学苦手で工業高校に来るなんて。
そんなの、後から気付いた。純粋に電気いじりが好きだから来た。だが、電気には数学がつきまとう。交流回路理論なんか、三角関数に虚数にベクトル、まるで数学の授業みたいだ。
VI cos θ とか、シータって聞くたびにラピュタを思い出し、そしてムスカを思い出していた。
それにしても、
あの一位・二位を争う彼らは一体・・・勉強のことしか考えない冷酷なロボットみたいなやつだろうか? そうではなかったが、確かにちょっと変わっている感じはした。一位は見た感じ普通、二位は見るからにガリ勉。
1年生の一学期に試験の出来が悪かった奴は、「強制収容所」送りとなった。(笑)
強制収容所は、要するに学校の合宿所である(2025年現在も有る)。事前に呼び出しが有り、登校時には着替えを準備してこい、と。
今夜から二泊三日で学力養成合宿だ。
だいたい成績が悪いやつは素行も悪い。その中でもおとなしいやつ、弱そうなやつはいじめられた。(自分も、上級生からいじめられ、寝る布団も無かった)
3日で学力向上するならすごいけど、実際はほとんど変わらなかった。
食事も自分たちで作れ、と。
夜は夜で自習時間といっても研修室で、先生たちが何人もついて見張りと指導役。
突然、「みんなグラウンドへ出ろ!」
強制収・・・じゃなかった合宿所と学校のグラウンドは道路を隔ててすぐ近くにある。
「走れ!」
「並べ!」
まるで軍事教練の雰囲気であった。
「これから一人ずつ、それぞれの覚悟や目標を最大限大きい声で叫んでもらう。いいか、気合を入れろ!!」
なんでこんな事をさせられにゃならんのじゃ・・・
自分の番になり、なんと叫んだか忘れたが、数学がんばるぞーファイト~とか言ったかもしれない。(どさくさ紛れに**先生の悪口でも叫ぼうかという発想はたぶんなかった)
「声が小さい!! もう一度、腹の底から声を出せ!!!!」
「やり直しだ!!」
もうヘロヘロである。
しかも夜の8時か9時頃だったと思う。周囲には住宅もあるというのに、何の騒ぎかと周辺住民の皆さんには思われたかもしれない。
さらに、グラウンドを何周も走らされ、いいか、良しというまで走り続けろって言われたような気がする。
ヘロヘロ、クタクタになった。もう休めるかと思ったら、また強制収・・・じゃなかった合宿所の研修室で自習の続き。
2007年に講師として母校を訪れた時、電気科の科長先生にこの話をしたら、「なんですかその青春ドラマ、わはははは(笑)」と笑われてしまった。
青春ドラマ。
青春ドラマ、ね。
それなりに真剣にやったんだよ。
こんな調子で精神論みたいなわけのわからない合宿を続けて、ようやく「出所」となった次第。
2日目に、そういえば昼ご飯どうするんだろうと思ったら学校が弁当を手配してくれていて、職員室の前に置いてあるから取りに来いって。(お金は後で支払い)
ところで冒頭のドリル、
あまりにも出来が悪い私のことを心配して、(確か2年生の時)昨年度まで担任だった数学の先生が問題集(数学というより算数)を買って私に与えてくれたのでした。
これを少しずつやれ。わからなかったら聞きに来い。
だけど「続かない」私はほとんど進むことなく、日々の実習レポートや宿題などに追われるばかりで全然手がつけられず、
しかも、
その問題集の代金未払のまま、卒業してしまって・・・
数学の先生だから、いまでもその利息を計算しているかもしれない。
卒業式の時に先生から言われた。お金まだ払ってないよねって。
たしか200円か300円程度だったと思うけど、
在学中にも何度も催促されては忘れての繰り返し、
こういうのをすぐ忘れて、何度も繰り返して忘れるから、どうしようもないよね。自分で、どうしてこうなんだろうって思う。明日はちゃんとしようと思いながら忘れてしまう。
今はそんな事ない。ちゃんと明日持ってきますと言ったら必ず持っていきます。
いまは某所の町内会長をやっている当時の担任、何十年ぶりにカステラでも持って挨拶に行ってみようかね。
ドリルっていったら一種類しか思い浮かばないじゃん。穴あけ。これ以外のドリルは無いよ。
それでまあ、高校生だった自分は数学がダメすぎて、他の科目はそこそこ良いのに、数学だけのために底辺を彷徨っていた(笑)
お前ば*じゃないの、数学なんて簡単ジャーン、スパッと答えが出るし、要領が悪いんじゃないの!ハハハハハ!! といった具合に周囲からは、からかわれていた。(こっちは真剣に悩んでるのにな)
そもそも数学苦手で工業高校に来るなんて。
そんなの、後から気付いた。純粋に電気いじりが好きだから来た。だが、電気には数学がつきまとう。交流回路理論なんか、三角関数に虚数にベクトル、まるで数学の授業みたいだ。
VI cos θ とか、シータって聞くたびにラピュタを思い出し、そしてムスカを思い出していた。
それにしても、
あの一位・二位を争う彼らは一体・・・勉強のことしか考えない冷酷なロボットみたいなやつだろうか? そうではなかったが、確かにちょっと変わっている感じはした。一位は見た感じ普通、二位は見るからにガリ勉。
1年生の一学期に試験の出来が悪かった奴は、「強制収容所」送りとなった。(笑)
強制収容所は、要するに学校の合宿所である(2025年現在も有る)。事前に呼び出しが有り、登校時には着替えを準備してこい、と。
今夜から二泊三日で学力養成合宿だ。
だいたい成績が悪いやつは素行も悪い。その中でもおとなしいやつ、弱そうなやつはいじめられた。(自分も、上級生からいじめられ、寝る布団も無かった)
3日で学力向上するならすごいけど、実際はほとんど変わらなかった。
食事も自分たちで作れ、と。
夜は夜で自習時間といっても研修室で、先生たちが何人もついて見張りと指導役。
突然、「みんなグラウンドへ出ろ!」
強制収・・・じゃなかった合宿所と学校のグラウンドは道路を隔ててすぐ近くにある。
「走れ!」
「並べ!」
まるで軍事教練の雰囲気であった。
「これから一人ずつ、それぞれの覚悟や目標を最大限大きい声で叫んでもらう。いいか、気合を入れろ!!」
なんでこんな事をさせられにゃならんのじゃ・・・
自分の番になり、なんと叫んだか忘れたが、数学がんばるぞーファイト~とか言ったかもしれない。(どさくさ紛れに**先生の悪口でも叫ぼうかという発想はたぶんなかった)
「声が小さい!! もう一度、腹の底から声を出せ!!!!」
「やり直しだ!!」
もうヘロヘロである。
しかも夜の8時か9時頃だったと思う。周囲には住宅もあるというのに、何の騒ぎかと周辺住民の皆さんには思われたかもしれない。
さらに、グラウンドを何周も走らされ、いいか、良しというまで走り続けろって言われたような気がする。
ヘロヘロ、クタクタになった。もう休めるかと思ったら、また強制収・・・じゃなかった合宿所の研修室で自習の続き。
2007年に講師として母校を訪れた時、電気科の科長先生にこの話をしたら、「なんですかその青春ドラマ、わはははは(笑)」と笑われてしまった。
青春ドラマ。
青春ドラマ、ね。
それなりに真剣にやったんだよ。
こんな調子で精神論みたいなわけのわからない合宿を続けて、ようやく「出所」となった次第。
2日目に、そういえば昼ご飯どうするんだろうと思ったら学校が弁当を手配してくれていて、職員室の前に置いてあるから取りに来いって。(お金は後で支払い)
ところで冒頭のドリル、
あまりにも出来が悪い私のことを心配して、(確か2年生の時)昨年度まで担任だった数学の先生が問題集(数学というより算数)を買って私に与えてくれたのでした。
これを少しずつやれ。わからなかったら聞きに来い。
だけど「続かない」私はほとんど進むことなく、日々の実習レポートや宿題などに追われるばかりで全然手がつけられず、
しかも、
その問題集の代金未払のまま、卒業してしまって・・・
数学の先生だから、いまでもその利息を計算しているかもしれない。
卒業式の時に先生から言われた。お金まだ払ってないよねって。
たしか200円か300円程度だったと思うけど、
在学中にも何度も催促されては忘れての繰り返し、
こういうのをすぐ忘れて、何度も繰り返して忘れるから、どうしようもないよね。自分で、どうしてこうなんだろうって思う。明日はちゃんとしようと思いながら忘れてしまう。
今はそんな事ない。ちゃんと明日持ってきますと言ったら必ず持っていきます。
いまは某所の町内会長をやっている当時の担任、何十年ぶりにカステラでも持って挨拶に行ってみようかね。