おもちゃ屋の話
2025.07.18
ここもとっくの昔にやめちゃって、建物だけ残っているような状態

確か、**商店という名前だったと思います。

幼い頃、祖母に連れられて来た時にはパチンコ台が有り、当然いまのような物じゃなくて、一発ずつはじいて飛ばすやつです。
意味が全然わかってなくて、盤面の一番下の穴に入れたらいいのかなと思っていたぐらいで・・・
何か景品をもらったような、もらわなかったような、紙袋だけ持っていたような記憶がかすかにあります。玉を持ち帰ってきて、レイメイだとか書いてあったような。
そのパチンコ台に電源コードがあったのは覚えており、コンセントに差し込んでなくてよいのかなと思ったぐらい。

ガラス越しに外から見える棚には、プラモがたくさん並んでいました。

そんな所に置いたら日焼けして色褪せるだろって、その通りでして、私もその色褪せした箱のプラモを買いました。

おもちゃも色々あったような記憶。
虫取りか、魚取りかわからないけど、網も売られており、
あとは模型用のモーターとか、そうそう・・・船外モーター、水中モーター

船外モーターって、あの頃のお気に入りで、本物そっくりだと喜んでいました。

実際に模型の船を学校のプールで走らせて遊んだりしたものです。
25mを走る途中で浸水してしまい、回収に苦労しました。何しろシーズンオフで、水が汚れていました。

当時はガンダムのプラモが流行っており、周囲の連中はみんなそれを買って組み立てていました。
私はガンダムを見てなかったし(男なら見るもんだろって言うな)、動かないものには興味がなかったので、モーターで動くものを買っていました。

電気じかけじゃないとダメだった。

一番よかったのは扇風機のプラモでしょう。
なんと首振り機構まで付いているという、大きさ以外は本物そっくり。

その首振りのギアボックスの組み立てが複雑で、よくこんなものを考えつくなあと思ったけど、まあ何とかできました。

そこで大失敗。

羽根を踏んづけて割ってしまったのです。大失敗です。

今もあまり変わりませんが、まわりをあまり見てないので(特に何か考え事をしているとき)、身体をぶつけたり引っ掛けたりするのは良くあります。足元も見ていませんから、小指をぶつけたりします。

ああ!! あの涼し気な透明の羽根が台無しです。

あわてて接着剤でくっつけましたが、元のような姿にはほど遠いものでした。くっつくまでが大変で、おさえておかないとズレてきたりします。どうやったのかは忘れました。じっと押さえていたかもしれません。

テープや輪ゴムで仮止めしたらと思いついたと思うけど、それがうまくできなくて、あれこれいじるから接着剤があちこちくっついて汚くなり、どんどん泥沼に沈んでいく感じでした。

接着の仕方もいい加減で、塗ってくっつけておけばくっつくだろうと。
説明書きは読んでいたけど、なになに、接着しようとする面に塗って、ある程度乾かして、それから押し付けてやるみたいな、そんな暇のかかるようなことできるかよって。
とにかく、塗ってくっつけて塗ってくっつけるだけだろって。

ちなみに本物の扇風機で割れた羽根を接着して補修すると(したことがある)、回転中に羽根が割れて吹っ飛びます。危険です。割れたらあきらめてください。
ガチャガチャ、コスモス
2025.07.17
いまでもガチャという言葉があるけれど、その元はおそらくこれでしょう。我々は子どもの頃、それをガチャガチャと呼んでいました。

昭和の時代にはコスモスという会社、そして、そのカプセルおもちゃの販売機がありました。

10円を2枚重ねて入れて、ハンドルをグルッと回すと(硬貨を入れないと回らない)カプセルがコロッと出てきました。

たいていは、消しゴムと呼ばれながらも消しゴムにならない変な怪獣とかそんなものばかりでガッカリしていました。

それでも、懲りずにまた買ってしまっていました。(我ながらバカだった)

カプセルがたくさん入っている所には、魅力的な景品の紙が内側から仕込まれていて、内部のカプセルが良く見えないようになっていました。

実際にその魅力的な景品が入っていてもいなくても関係ないのでしょう。もし「入ってない」と言われても、先に売れたから無いのでしょうという逃げができたかも。

だけど純粋な心を持つ我々子どもは、いつか欲しいものが出てくると期待して貴重な資金を投入していたのです。
あれだけ投入したのにゴミしかでなかった。本当に泣いたときもありました。

世の中には悪い大人がいるものです。子どもたちを騙して小銭を巻き上げるなんて。

ガチャガチャは世の中の現実の厳しさを教えてくれたように思います。

家に帰って親に訴えても、お前がそんなのに手を出すから悪いんだ、二度とするなと言われて、誰も味方になってくれません。ひとり泣いていました。

ジュースの自販機のようなスタイルで、100円玉を入れるコスモスの自販機もありました。レバーを押し下げる仕組みだったと思います。そうすると小箱が下から出てきました。

面白いのは、その自販機は電源なしで動いていたことです。温めたり冷やす必要もないので当たり前でしょうけれど、純粋にメカだけで動く仕掛けに興味がありました。

あるとき、業者が来て自販機を開けたときに中を見ましたが、「防犯ブザー内蔵」とか書いてありながら・・・ブザーの部品は付いているけど、電池ホルダーに電池が入っていないのを確認しました。
妙なところでケチっているものだなと思いました

もし電池が入っていたとして、どういう仕掛けで防犯ブザーが鳴り出すのかは謎のままです。

そういえば、ソーラー付きのジュースの自販機を見たことがあります。それらしく電圧計がついているけど、あんな小さなパネルで蓄電したって大した電力にはなりません。内部で実際に電気を使っているかどうか疑わしいものです(と個人的に思っている)。
たぶん、3.11で節電が呼びかけられた時に、自販機なんか電気の無駄食いだと批判されるのを避けるために考案したのかもしれません。

小箱が出たところの話に戻りますが、妙に軽いので「スカ」だと思い込み、開けるまでもなくガッカリしました。

それでも一応あけてみると、「ヤッタゼおめでとう クリスマスカード」と書いてある紙切れが出てきました。
店の方に申し出てくださいと書いてあったような記憶
それで店の方に言ってみると、クリスマスカードを渡されました。

なんだ、ただのきれいなカードかと思ったら、メロディが鳴り出すではありませんか。ビックリしました。
当時そんなものは珍しいと言うか、それまで無かったのではないかと思います。

当然のように仕組みが気になり、紙を剥がして中身を見ると、小さな基板と圧電スピーカーがついていました。
なるほど、二つ折りのカードを開くと、ここがひっぱられて接点がくっついて・・・
いまでは接点ではなく光センサー式なのかもしれませんが、当時は接点でした。

これに電子ライターの火花を飛ばしたらどうなるかと、思いついてやってみたら意外と大丈夫で、何とも無いなあ、と思ったら壊れてしまい、以後は弱々しい音しか出なくなりました。
いまでも自分のことなのに理解できません。なんでそんなことをする。

なんとなく余計なことをして大失敗するというのは以後もあり、なんとなく何か触ってみるとか、いじったりしないように心がけてきました。

これに付いていたボタン電池(ウオッチセル)に何かの用でリード線をはんだ付けしたくなり、ハンダゴテで加熱したらいきなりプクッと膨れてはじけてしまいました。
もう、なんというか本当に我ながら馬鹿だなと思いました。
駄菓子屋は悪の巣窟
2025.07.16
小学生の頃に有った駄菓子屋は、学校からは「悪の巣窟」のように言われていました。

事あるごとに朝礼などで、あの駄菓子屋は悪だと。万引きは悪。そして、買い食いは悪。
あのバーサンは悪だと。

万引きはわかるけど、なんで買い食いは悪なんだ。(当時でも疑問)

学校の先生は、たびたび店に苦情を入れに行っていたかもしれません。しかしバーサンに商売やめろとは言えませんし、やめろって言われてやめるわけにもいかんでしょう。
学校としては、こうです。子どもが非行に走らないようにしてください。そんなところじゃないでしょうか。

その店は横断歩道をわたってすぐの場所にありました。
小さくてぼろい建物で、見た目では二階建てのようでした。

店の前にも陳列があったけど、閉店時は商品を中にしまいこんでいました。

数台の自動販売機と、ガチャガチャの機械がありました。
このガチャガチャの機械だけでも色々と思い出します。(ほとんどは嫌な記憶)

ぎっしり詰まった狭い店内に入ると、左手にはパイプ椅子が3脚ほど有り、すでに先客がいたりしました。
そのあたりに、パンを陳列するガラスケースがあったような気がします。
ガラスケースで外と仕切られていたのではなかったか。

先客も色々で、悪い上級生だったりすると最悪です。すぐに逃げなければなりません。脅されたり、いじめられたりします。

カップ麺に湯を注いでもらって食べている人を見かけると、自分も食べたくなったものです。
でも、そんな食事の時間でもないのに何か食べて満腹になり、家に帰ってご飯を食べないと怒られるから食べるわけにはいきません。

当時はドラえもんの「おかしメン」がお気に入りでした。(フタにドラえもんのシールつき)

座っていた場所の前には小さなテーブルがあったように思いますが、その上にはくじ引きの箱がありました。ごちゃごちゃ置いてあるから、空いたスペースなんかわずかなものでした。

アイスの木匙みたいな形をしたクジがたくさん差し込んであり、お金を払ってクジを引き、紙をめくって何等賞が出たら、その何等賞の引き出しを開けて好きなものを選んで取り出す。
湿気たビスケットが入っていた事もあり、腹が減っていたので勢いで食ってしまいました。

クジも色々な種類があり、記憶が確かではないものの「ねぶる」と文字が浮き出る物もあったような気がします。母親が見たら絶対、顔をしかめそうなものでした。

バーサンは階段の下のちょっとしたスペースに陣取っており、そこに座ったまま接客と会計をしていました。

その前あたりに火鉢と、火鉢にヤカンが乗っていました。

右手の奥に見える棚の上には、海苔と同じ容器に入った「串カツ」とか、タレのついたおつまみのような物が2つか3つありました。
製造年月日も賞味期限もわかりません。とにかく、1本20円とかそんなものでした。

その横にはマブチモーターとか模型関係の物があったり、甘納豆のクジなどが吊るしてありました。
プラモの箱も色々と積み重ねてありました。

イテテガムを買ったのはなんとなく覚えています。それと、あまり軍資金がない時はマルカワフーセンガムとか安いものを買っていました。
チョコバット君だったか、これには一時ハマって、そればっかり食べていたような記憶です。

吊るしてある物の中には、ゴムボールを押して取り出すやつもあったような気がします。

そのあたり一帯は陳列台で、お菓子の陳列の上に汚い野良猫が寝そべっていました。誰も気にしません。

モロッコ・ヨーグルというやつ、小さな容器に入っているクリームを舐める。

それから粉ジュース。小さな袋にジュースの粉が入っていて、ストローで吸うか、ストローの先をねぶって粉を付着させ、それを舐める。いかにも汚らしく、母親が見たら絶対顔をしかめるでしょう。
わざわざ家に持ち帰って、コップの水に溶かして飲むやつはあまりいなかった。試してみたけど、そんなにおいしいとは思わなかった。薄かった。

ベビースターにお湯を注いでみたけど、全然おいしくなくて、そのまま食べたほうが良かったという具合です。

入口から入って右手の奥はゲームコーナーで、電子ルーレットみたいな機械があり、硬貨を入れて回し、当たりが出ると硬貨がチャカチャカ出てくる仕組みでした。

正直言って、どういうルールだったのか当時でもわかっていませんでした。適当に硬貨を入れて回していました。

当時、小学生の自分でも、えっ、現金が出てきて良いの?と思ったけど、誰も気にしません。いわゆる、とばくゲーム機の一種じゃないかと。金額は少ないけれど。

当時たまにニュースで「とばくゲーム機」の摘発があり、警察がブルドーザーなどでゲーム機をつぶしている様子がTVニュースで流れたりして、ああ、もったいないなあ、と嘆いたものです。

そういえば「新幹線ゲーム」もありました。一度もクリアできなかったのが心残りでした。無情にも10円玉が吸い込まれておしまいです。

店内は過去いつからそこに有るのか分からない有象無象の品物でごちゃごちゃでした。売れるものは売れるんだろうけど、売れないものは何年も何十年もずっとそこに在るという世界でした。

夏になれば花火も売っていましたけど、冬にどうしても爆竹をやりたいというガキがあらわれました。自分です。
それでバーサンとの交渉です。どうしても爆竹で遊びたい。倉庫に有れば出して下さいと。色々言われましたが、結局、バーサンは二階にのぼって爆竹を出してきてくれました。

普通に売っていた花火もくせがあり、よく見ると製造は昭和40年代(当時は昭和50年代後半)、使えるのか不安だったけど試してみたら見事に花開きました。

この店がどういう構造だったのかは今となってはわかりません。現在は跡形もありません。
トイレはどうしていたのか。風呂はあったのか。生活の場所は?

ひょっとしたら、後ろに母屋があったのかもしれません。国土地理院で昔の航空写真を見ても、いまいち良くわかりませんでした。

この店は通称「****」で子どもたちの間には通っていましたが、どうやら正式名称は違っていて、「長沢商店」だったようです。なんとかパンの看板があって、その横にそう書いてありましたから。

バーサンはおそらく2Fで寝起きしていたものと思いますが、のぼって見たことがありません。いや、一度はバーサンの後を追って、のぞいてみたかもしれません。記憶がハッキリしない。それぐらい、謎の空間でした。
ちょっとしたSF(すこし・ふしぎ)のネタになりそうです。

あのバーサンは永遠の生命を持つ魔女なのかもしれないと思いましたが、そうではありませんでした。

中学生になり、高校生になり、あの駄菓子屋さんからはすっかり足が遠のいていました。

進学してよそで暮らし、また地元に戻ってきて、たまたま近所の医院に行ったら、あのバーサンが待合に座っていました。
どこか具合が悪いのかな、と心配でしたが、それからまもなく亡くなられたようです。

そして、あの駄菓子屋は跡形もなく、更地になってしまいました。

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