給食
2025.03.11
現代では指導の仕方が違っているとは思いますが、
自分が小学生の頃は、とにかく残してはいけない、好き嫌いなどとんでもない事だ、居残りしてでも食べきってしまえという世界。
なにしろ先生たちは、戦争を経験した世代なので飢えに苦しんだ経験を持っている。
お前らコウリャンって知ってるか?(米が足りないので、ご飯に混ぜて食べていた) サツマイモの茎なども食べていたんだぞ・・・といった話は飽きるほど聞かされた。
残すなって言われたって、
体調がすぐれなかったり、個人差で少食の子もいるはずです。(最初から少なめに配膳してもらえばよかったのだが、気が回らなかったり)
みんな平等にということで同じ量を配膳するのだけど、結局食べきれなくて残すぐらいなら、最初から少なめにすればよかったと思います。
幼い頃の味覚は敏感すぎたような気がします。大人になってからの比較で、あくまでも個人的な感想です。
緑茶が渋くて飲めなかったのは先日も書きましたが、いまでは何ともありません。
チーズなんかも味が濃すぎて苦手で、ちょっとだけかじって、パンを頬張って(味を薄めて)、またちょっとだけ・・・を繰り返しながらやっと食べていました。
マヨネーズも刺激が強かった。
味や匂いを強く感じるから抵抗があって嫌いになったりする。
牛乳はビンから飲むと匂いが気になっていました。特に生ぬるくなっている時なんかそうでした。(そしてお腹が弱いから後で腹を下す)
ttps://kyushoku.kyo-shi.co.jp/nigatenako
やってはいけない指導に、「無理やり食べさせる」、「食べきることの強要」、「緊張感のある時間」が載っています。当時これら全部やってましたからね・・・。
自分の経験では、上級生が監視にはりついて、さあ食え食えって。食べない奴は絶対悪だと決めつけられていましたから、命令に従わないやつは悪。正義の言うことに従え。
担任から、お前普段なに食って生きてんだよって尋問されたりして、ひどいものでした。
中学校を卒業するまで、(学年が変わるたび)担任は給食指導にうるさい人ではないだろうか?という不安がずっとつきまとっていました。
自分が小学生の頃は、とにかく残してはいけない、好き嫌いなどとんでもない事だ、居残りしてでも食べきってしまえという世界。
なにしろ先生たちは、戦争を経験した世代なので飢えに苦しんだ経験を持っている。
お前らコウリャンって知ってるか?(米が足りないので、ご飯に混ぜて食べていた) サツマイモの茎なども食べていたんだぞ・・・といった話は飽きるほど聞かされた。
残すなって言われたって、
体調がすぐれなかったり、個人差で少食の子もいるはずです。(最初から少なめに配膳してもらえばよかったのだが、気が回らなかったり)
みんな平等にということで同じ量を配膳するのだけど、結局食べきれなくて残すぐらいなら、最初から少なめにすればよかったと思います。
幼い頃の味覚は敏感すぎたような気がします。大人になってからの比較で、あくまでも個人的な感想です。
緑茶が渋くて飲めなかったのは先日も書きましたが、いまでは何ともありません。
チーズなんかも味が濃すぎて苦手で、ちょっとだけかじって、パンを頬張って(味を薄めて)、またちょっとだけ・・・を繰り返しながらやっと食べていました。
マヨネーズも刺激が強かった。
味や匂いを強く感じるから抵抗があって嫌いになったりする。
牛乳はビンから飲むと匂いが気になっていました。特に生ぬるくなっている時なんかそうでした。(そしてお腹が弱いから後で腹を下す)
ttps://kyushoku.kyo-shi.co.jp/nigatenako
やってはいけない指導に、「無理やり食べさせる」、「食べきることの強要」、「緊張感のある時間」が載っています。当時これら全部やってましたからね・・・。
自分の経験では、上級生が監視にはりついて、さあ食え食えって。食べない奴は絶対悪だと決めつけられていましたから、命令に従わないやつは悪。正義の言うことに従え。
担任から、お前普段なに食って生きてんだよって尋問されたりして、ひどいものでした。
中学校を卒業するまで、(学年が変わるたび)担任は給食指導にうるさい人ではないだろうか?という不安がずっとつきまとっていました。
えんじん
2025.03.11
以前書いたかもしれないけど、中学校の技術家庭科
ふと思い出して調べてみると、今はエンジンの分解組立はやっていないらしい。
今は、どころじゃない、20年以上前から。
自分たちの頃はエンジンの分解組立をやった。
各班ごとにエンジンが1台ずつ割り当てられた。これを各班でバラして構造を学んで、また組み立てろ、と。
農機具か、発電機のエンジンだったと思う。
それが何台も技術室に並べてあった。壁際の棚(床上)にあったと思う。
そのエンジンを各班ごとの作業台へ運んできて、さあ、ばらしてみろと。
油臭いし、手は汚れるしで、当時はあまり好きではなかったが、機械いじりそのものは好きだった。
トルクレンチを知ったのもこの時で、カックンとなるやつ。今ではデジタルでピピピ・・・と知らせてくれる物もあるが、やっぱりカックンじゃないと落ち着かない。
結局、自分たちの班はピストンを取り出すところまで分解しきれず(どこを開けたら取り出せるのか分からず)、元に戻せるかと考えると余計不安になってあまり積極的に手がでなかった。
今だったらカメラで分解の過程を細かく撮影して、あとで戻す時に参考にするだろうけど、当時はそんな物はなかった。スケッチするぐらい。
今の車のエンジンなんか、詳しくは知らないが、もはや手が出せるものではないような気がする。ブラックボックス、というか、使い捨て。
そうそう、
最後にエンジンをかける体験をした。発電機か、ポンプ用のエンジンだったか忘れたが、1台だけ動く個体があり、
みんな交代交代で一人ずつ紐を引っ張ってエンジンをかけてみた。
バッテリーがないのになんでエンジンがかかるのか、当時は何も知らなかったが・・・
(リコイルスターターという)
ふと思い出して調べてみると、今はエンジンの分解組立はやっていないらしい。
今は、どころじゃない、20年以上前から。
自分たちの頃はエンジンの分解組立をやった。
各班ごとにエンジンが1台ずつ割り当てられた。これを各班でバラして構造を学んで、また組み立てろ、と。
農機具か、発電機のエンジンだったと思う。
それが何台も技術室に並べてあった。壁際の棚(床上)にあったと思う。
そのエンジンを各班ごとの作業台へ運んできて、さあ、ばらしてみろと。
油臭いし、手は汚れるしで、当時はあまり好きではなかったが、機械いじりそのものは好きだった。
トルクレンチを知ったのもこの時で、カックンとなるやつ。今ではデジタルでピピピ・・・と知らせてくれる物もあるが、やっぱりカックンじゃないと落ち着かない。
結局、自分たちの班はピストンを取り出すところまで分解しきれず(どこを開けたら取り出せるのか分からず)、元に戻せるかと考えると余計不安になってあまり積極的に手がでなかった。
今だったらカメラで分解の過程を細かく撮影して、あとで戻す時に参考にするだろうけど、当時はそんな物はなかった。スケッチするぐらい。
今の車のエンジンなんか、詳しくは知らないが、もはや手が出せるものではないような気がする。ブラックボックス、というか、使い捨て。
そうそう、
最後にエンジンをかける体験をした。発電機か、ポンプ用のエンジンだったか忘れたが、1台だけ動く個体があり、
みんな交代交代で一人ずつ紐を引っ張ってエンジンをかけてみた。
バッテリーがないのになんでエンジンがかかるのか、当時は何も知らなかったが・・・
(リコイルスターターという)
添加ふぐ
2025.03.09
唐突に変なことばかり思い出すが、
昔、同僚が「てんかふぐ」「てんかふぐってご存知ですか」などと言い出した。
確か電話だったような。
なんのこっちゃ???
「ふぐですか」
「違う、布武」
「ふぐ?」
「ふぶ」(ふぐと聞こえた)
わかる方はわかるでしょう。
「天下布武」
ちょうど、その名前のパチスロ機が登場した頃で、その事を言っていたわけ。
日本の歴史に接点があれば知っていただろうけど、そんなの初めて聞いたから「ふぐ」だと思うよなあ。
信長の言葉だとか。
昔、同僚が「てんかふぐ」「てんかふぐってご存知ですか」などと言い出した。
確か電話だったような。
なんのこっちゃ???
「ふぐですか」
「違う、布武」
「ふぐ?」
「ふぶ」(ふぐと聞こえた)
わかる方はわかるでしょう。
「天下布武」
ちょうど、その名前のパチスロ機が登場した頃で、その事を言っていたわけ。
日本の歴史に接点があれば知っていただろうけど、そんなの初めて聞いたから「ふぐ」だと思うよなあ。
信長の言葉だとか。