冷暖房の無かった頃
2025.02.13
今では学校の教室に冷暖房完備は当然のようだが、我々の頃には無かった。
我々が卒業した後に取り付けられた。

なぜかというと、お山の噴火で火山灰が降ってくるので、窓を締め切るしかなかった為。すぐにザラザラになる。

今では温暖化の影響か、エアコン無しでは過ごせなくなってきたのでやむを得ないが、そもそもは火山灰対策だった。

それでも当時はそれなりに暑かった。

しかも男ばっかりで、余計に暑苦しい。女の子は数えるほどしかいなかった。

さすがに先生も暑さに参っていた感じ。
うちわ代わりに下敷きをバタバタやっていると、おい!**、バタバタするな、暑いのは先生も同じだ、って注意されたやつもいた。

もうグタグタ。

水泳の時間は涼しかったが、その後の授業は・・・みんな眠くなっていた。どうして水泳の後は眠いんだろうね。
居眠りが大多数だと、さすがの先生も苦笑、参ったという感じ。一人や二人だったら、注意したり起こしたりするんだけど。

国語の先生だったか、居眠りしている奴の頭をペン先でチクチクやる先生がいた。こればかりは絶対やられまいと心に誓って、特に国語の授業だけは絶対に居眠りしないぞと頑張っていた。

ところが・・・夜遅くまで勉強していたせいか? ひどく眠くなって・・・・・・チクッ、チクッ、・・・何だ? アッ、しまった、うっかり居眠りだ。この感覚は気持ち悪かった。忘れられない。

いまでは実習棟も含めて冷暖房完備。

あの実習棟、我々の頃はプレハブみたいな建物で底冷えしていた。なんか急ごしらえみたいなもので、ずいぶん年季も入っていた。

電子や建築は、まだマシなほうで機械の実習棟はコンクリートの床だった。自分たちも各科の実習を一通り経験した。
真冬に機械科の実習棟でヤスリがけ修行?をやった。

コークスを燃やして暖を取りつつ(近づかないと暖かくない)、ひたすらヤスリを前後に往復させて、鉄を削り出していったのである。
平面になってないぞとか、直角が出てないとか注意されながら、だりーとか思いながらやっていた。
もういいだろって感じで早々に飽きてきたが、まわりを見るとずいぶん削っていて、そんなに削るのかと・・・削りすぎをおそれたせいもあったが・・・

でも、この鉄を削る感覚は一度ぐらい手でやって覚えておくと良いかもね。
エッサッサ
2025.02.13
もう、なんというか、男ばっかりの学校だから暑苦しいというか汗臭いと言うか、そんな感じ。

体育祭を目前にして、みんなで毎日応援の練習。
エッサッサという独特の振り付けって言うんですか、それを練習する。

日体大が元祖なのかな。当時は知らなかった。

えーーーっさっさ、えっさっさ、・・・ 今の後輩たちは、やってんだろうか。たぶんやってないな。

そしてまた、お前は声がしっかり出てないとか言って注意され、中腰で耐えろって。よしというまで。
(最初、中腰ってどうするのか知らないから先輩に聞いた)

とにかくだるい。面倒くさい。早く終われ。帰りたい。

応援歌がいくつか有って、歌詞のプリントとか配られないのだ。応援団長が歌うからみんな聞いて覚えろって。そんなノリ(笑)

みんな歌ってみろ。・・・ちゃんと覚えてないじゃないかと怒り狂ってやり直しの繰り返し。

グラウンドの砂ボコリ

早く終われ。

青春のひとこま?
だるま先生
2025.02.13
だるま先生と勝手に名付けたけど、当時は何と呼んでいたっけ。もちろん、面と向かって言うようなあだ名ではなかった。生徒同士では呼び捨てで呼んでいた。

後輩たちが「だるま」と名付けたと思う。我々は名字を呼び捨てにしていた。

確かに、だるまに似ている。

その先生が赴任して来られたのは高校2年の時だったか。

まず、体格が違った。柔道は黒帯だそうで。いつも胸を張って堂々と歩いていた。
「武士が歯を見せて笑うもんじゃない」 武士なのか。

ちょっと悪ふざけや態度の悪い生徒がいると容赦ない。(いまの時代だと問題になるが)

いまでも覚えているのは製図の授業で、その一番最初のとき。
授業開始と共に入ってきた先生、開口一番、

だるま:「お前ら、何をしにきているんだ?」

みんな:「?」

だるま:「だから、何をしにきているんだって聞いてるんだ。」

生徒:「製図の・・・」

だるま:「だったら紙を準備してこいよ」

生徒: 「聞いていません」

だるま:「なんだと」(このあたりで言われたことはよく覚えてない)

どうやら、こういう”やり方”らしい。

だるま:「すぐに購買部へ行って紙を買ってこい!!」、「そして、不満のある者は教室の外へ出ろ」

何名かの生徒が教室の外へ出た。大多数は購買部へ走った。自分も。

購買部のおじさん、おばさんはびっくりしただろうな。急な需要増加と、このタイミング(笑)
なかなか授業時間中に買い物に来る生徒はいなかっただろう。お茶でも飲んで休んでいた時だったかもしれない。

だるま:「不満のある者は俺が相手をしてやる。かかってこい」

みんな、無謀だった。
ある者はブン殴られ、ビンタを喰らい、投げ飛ばされ、もうメチャクチャ(見ていられない)

脳みそ筋肉タイプっていうんですか、もろに体育会系というか、なんといいましょうか。

でも、教え方は良かった。理解しやすかった。

ところで、
この先生は宿題をチェックした後などに独特のサイン(シンボルマーク)を描いていた。自分の名字の漢字をアレンジしたもの。

別の電気科の先生も独特のサインをしていたので、これらを組み合わせて、へんてこなシューティングゲームを作って遊んでいた。そのマークの先端からビームが出て、もうひとつのマークを片っ端から消していくやつ。
私が作ったプログラムは中途半端だったので、後輩にまかせて仕上げてもらった。

そのだるまは既に引退されて久しいが、某進学校の校長先生をしていたこともあり、自分から言ってるとは思えないがまさか電気科の先生だったとは生徒たちも知らなかったかもしれない。

その先生がよく言っていた言葉があり、これを書くとキーワードでつながってしまうので伏せておくが・・・その言葉を書いている人がネット上にいたので、たぶん同じ先生の教え子だったのだろう。

そしてまた、その先生は意外と近くに現在お住まいらしく、会う機会は無いと思うが、どこかでバッタリ出会ってしまうかもな。

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