ゆうほう(続)
2023.02.11
おそらく誰のトクにもならない情報
謎の赤いボタンの仕組みがわかりました。
キーワード「日立 有線放送電話装置」で検索すると、当時の日立評論のPDFがダウンロードできます。
私が持っている電話機はNEC製ですが、おそらく同じような考え方だと思います。
色々な工夫が読み取れます。
通話時と放送時で極性を変えたりとか・・・
電話回線は1軒ずつではなく数軒まとめて共用(但し、番号は1軒ごとに割当)
あと、畑の真ん中にスピーカーが立っていたのは、放送だけではなく電話がかかってきた事を知らせる為でもあった。農作業中でもわかるように。(何番さん、お電話です)
親戚の家にはアンプと鉄琴(ピンポンパンポーン)が置いてあって、地区で放送できるようになっていた。農協の本部とか町内会長の家には有ったのだろうと思う。
自分の記憶ではお昼ごろに放送が流れていたけど、その状態では回線に高い電圧がかかっている。
そこで緊急の用事があって受話器を上げると、受話器から大きい音が流れて耳をいためるおそれがある。その対策回路が組み込まれている。
その方式はいくつか有って、私が持っている電話機はフックに赤いボタンが付いていて、押すと回線に1kΩが接続されるようになっている。
また、電話機の回路にはダイオードが組み込まれていて、正しい極性でないと通話できない仕組みになっている。
通話時と放送時で極性を変えることで、放送中に受話器を上げても音が聞こえないようになっている。
しかしそのままでは受話器を上げても(逆極性で)直流ループができないから交換台には伝わらない。
それで赤いボタンを押して1kΩ(ダイオードは通らない)によって直流ループを作り、交換台のランプを点灯させるという仕掛け。ナルホド。
幼い頃から、もらった電話機(ダイヤル式)を複数つないで通話して遊んでいたが、電池をつなぐだけではどうしてもベルを鳴らす事ができなくて非常に不満があった。
この有線放送電話なら、オーディオ信号を回線に載せてやれば本体のスピーカーから音が出るのでベルの代わりになる。
実際、そのように運用されていたわけで、自分もこれにならってやってみればよかったけど、当時は知らなかった。思いつかなかった。
ただ、リップルの多い電源アダプタを電源としてつないだ時に、ブーンという不快な音がスピーカーから鳴ったのは知っていて、ここから発展させればよかったのになあ、と。
あと、当時は夜間の通話は基本的にできなかったようだ。何しろ人間が手動で対応していたから仕方ない。交代制も有ったかもしれないけど。
緊急通話は受け付けていて、それを宿直の人に伝える仕組みもあったようだ。
謎の赤いボタンの仕組みがわかりました。
キーワード「日立 有線放送電話装置」で検索すると、当時の日立評論のPDFがダウンロードできます。
私が持っている電話機はNEC製ですが、おそらく同じような考え方だと思います。
色々な工夫が読み取れます。
通話時と放送時で極性を変えたりとか・・・
電話回線は1軒ずつではなく数軒まとめて共用(但し、番号は1軒ごとに割当)
あと、畑の真ん中にスピーカーが立っていたのは、放送だけではなく電話がかかってきた事を知らせる為でもあった。農作業中でもわかるように。(何番さん、お電話です)
親戚の家にはアンプと鉄琴(ピンポンパンポーン)が置いてあって、地区で放送できるようになっていた。農協の本部とか町内会長の家には有ったのだろうと思う。
自分の記憶ではお昼ごろに放送が流れていたけど、その状態では回線に高い電圧がかかっている。
そこで緊急の用事があって受話器を上げると、受話器から大きい音が流れて耳をいためるおそれがある。その対策回路が組み込まれている。
その方式はいくつか有って、私が持っている電話機はフックに赤いボタンが付いていて、押すと回線に1kΩが接続されるようになっている。
また、電話機の回路にはダイオードが組み込まれていて、正しい極性でないと通話できない仕組みになっている。
通話時と放送時で極性を変えることで、放送中に受話器を上げても音が聞こえないようになっている。
しかしそのままでは受話器を上げても(逆極性で)直流ループができないから交換台には伝わらない。
それで赤いボタンを押して1kΩ(ダイオードは通らない)によって直流ループを作り、交換台のランプを点灯させるという仕掛け。ナルホド。
幼い頃から、もらった電話機(ダイヤル式)を複数つないで通話して遊んでいたが、電池をつなぐだけではどうしてもベルを鳴らす事ができなくて非常に不満があった。
この有線放送電話なら、オーディオ信号を回線に載せてやれば本体のスピーカーから音が出るのでベルの代わりになる。
実際、そのように運用されていたわけで、自分もこれにならってやってみればよかったけど、当時は知らなかった。思いつかなかった。
ただ、リップルの多い電源アダプタを電源としてつないだ時に、ブーンという不快な音がスピーカーから鳴ったのは知っていて、ここから発展させればよかったのになあ、と。
あと、当時は夜間の通話は基本的にできなかったようだ。何しろ人間が手動で対応していたから仕方ない。交代制も有ったかもしれないけど。
緊急通話は受け付けていて、それを宿直の人に伝える仕組みもあったようだ。
ゆうほう
2023.02.11
”ゆうほう”と言っても、最近話題の謎の飛行物体ではなく、
「有線放送電話」
の、ご紹介です。
略して有放。
昭和53年頃まで私の地元で使われていた、農村用の有線放送電話機です。

コードはネズミにかじられたのかボロボロです。45年以上経過していますので仕方ありません。
しかし、今どきこんな袋打コードは売ってないと思います。かなりレア物です。
取り替えるとしたらビニールコードで妥協するしかありません。
袋打はコタツの電源コードぐらいしかありません。3芯とかは無いでしょう。
本来は、円形のローゼットが付いていました。中は端子ネジ2本で局線とつながっていました。屋内配線は白・黒のツイストペア線でした。
ご覧の通り、ダイヤルが無くてその部分にスピーカーが入っています。ツマミは音量調整です。残念ながら腐食しており回りません。

底板は木の圧縮材で、コストダウンのためと思われます。
3点についている金具に注目して下さい。

フックスイッチ(受話器をかける部分)は組み換え可能になっていて、ネジを緩めて、フック部分をクルッと回すと壁掛け用になります。
さっきの3点の金具は壁に固定する為のものでした。

まあ、知らない人にはゴミのようなものですが、歴史を知っている者にとっては昔を懐かしむお宝です。
せっかくなので将来(近いうちに)動かしたいものです。なかなかヒマがありませんけど、手入れをして、ラジオが聞けるようにするのも面白いかもしれません。
回路はいじらなくても、局線の代わりにスピーカー信号を入れてやると確かそのまま鳴らなかったかなと思います。
オンフック(受話器をかけた状態)だと、確か、局線からコンデンサを通して、ボリュームを通ってスピーカーにつながっていたと思います。
そういえば、このコンデンサは私が昔バラした個体だと、オイルコンデンサでした。この写真の物はペーパーコンデンサです。
オイルコンデンサは磁器でできた白いもので、割ると中からベタベタした油が出てきました。
「有線放送電話」
の、ご紹介です。
略して有放。
昭和53年頃まで私の地元で使われていた、農村用の有線放送電話機です。

コードはネズミにかじられたのかボロボロです。45年以上経過していますので仕方ありません。
しかし、今どきこんな袋打コードは売ってないと思います。かなりレア物です。
取り替えるとしたらビニールコードで妥協するしかありません。
袋打はコタツの電源コードぐらいしかありません。3芯とかは無いでしょう。
本来は、円形のローゼットが付いていました。中は端子ネジ2本で局線とつながっていました。屋内配線は白・黒のツイストペア線でした。
ご覧の通り、ダイヤルが無くてその部分にスピーカーが入っています。ツマミは音量調整です。残念ながら腐食しており回りません。

底板は木の圧縮材で、コストダウンのためと思われます。
3点についている金具に注目して下さい。

フックスイッチ(受話器をかける部分)は組み換え可能になっていて、ネジを緩めて、フック部分をクルッと回すと壁掛け用になります。
さっきの3点の金具は壁に固定する為のものでした。

まあ、知らない人にはゴミのようなものですが、歴史を知っている者にとっては昔を懐かしむお宝です。
せっかくなので将来(近いうちに)動かしたいものです。なかなかヒマがありませんけど、手入れをして、ラジオが聞けるようにするのも面白いかもしれません。
回路はいじらなくても、局線の代わりにスピーカー信号を入れてやると確かそのまま鳴らなかったかなと思います。
オンフック(受話器をかけた状態)だと、確か、局線からコンデンサを通して、ボリュームを通ってスピーカーにつながっていたと思います。
そういえば、このコンデンサは私が昔バラした個体だと、オイルコンデンサでした。この写真の物はペーパーコンデンサです。
オイルコンデンサは磁器でできた白いもので、割ると中からベタベタした油が出てきました。
有線放送電話
2023.02.08
有線放送電話・・・
私の出身の町では1979年頃まで使われていた電話で、電電公社の電話に置き換えられてしまった。
当時の電話番号は、2桁か3桁だったと思う。それがそのまま、電電公社の電話番号の2000番台に割り当てられた。もともとが22番だったら、2022になった。
だから、電話番号が2000番台は昔からの加入者だとわかる。
よく使われていた電話機は、ダイヤルの代わりにスピーカーが組み込まれていたもの。NEC製だった。
https://www.japanradiomuseum.com/yusen-sengo.html
この中の、スピーカーテレホンに似ていたけど、同じ形ではない。もう少し角張っていたような感じ。底面は金属ではなく、木でできていた。(家具調テレビの裏側とか、昔のステレオとかラジオの裏側にあった、あの圧縮材の板)
・・・と書き込みながら、検索してみたら画像がありました。転載はしませんが、実家に現物が転がっていたような気がするので、いずれ写真をUPするかもしれません。
子供の頃はとにかくなんでも分解して部品取りしていたので、当時の物があまり残っていません。なんで保存しておかなかったのだろうと悔やまれる物が色々あります。
いっぱい有る時には貴重だと思わないから、当時は不要だからそんな扱いだったのかも。
有線放送電話時代の電話帳も、大事に保管しておいたけど、いつの間にか捨てられていて残念。
そのうち交換台も再現してみたりして・・・妄想です。
私の出身の町では1979年頃まで使われていた電話で、電電公社の電話に置き換えられてしまった。
当時の電話番号は、2桁か3桁だったと思う。それがそのまま、電電公社の電話番号の2000番台に割り当てられた。もともとが22番だったら、2022になった。
だから、電話番号が2000番台は昔からの加入者だとわかる。
よく使われていた電話機は、ダイヤルの代わりにスピーカーが組み込まれていたもの。NEC製だった。
https://www.japanradiomuseum.com/yusen-sengo.html
この中の、スピーカーテレホンに似ていたけど、同じ形ではない。もう少し角張っていたような感じ。底面は金属ではなく、木でできていた。(家具調テレビの裏側とか、昔のステレオとかラジオの裏側にあった、あの圧縮材の板)
・・・と書き込みながら、検索してみたら画像がありました。転載はしませんが、実家に現物が転がっていたような気がするので、いずれ写真をUPするかもしれません。
子供の頃はとにかくなんでも分解して部品取りしていたので、当時の物があまり残っていません。なんで保存しておかなかったのだろうと悔やまれる物が色々あります。
いっぱい有る時には貴重だと思わないから、当時は不要だからそんな扱いだったのかも。
有線放送電話時代の電話帳も、大事に保管しておいたけど、いつの間にか捨てられていて残念。
そのうち交換台も再現してみたりして・・・妄想です。