AppleII
2024.10.11
AppleII

初期のApple社を支えた製品

まずAppleIがあって、次にAppleIIがヒットした。

高校生の頃から、スティーブ・ジョブズの本などを読んでいて非常に興味をもった。とくに相棒の技術者Wozniakには興味があった。

その頃からハマっていて、ぜひAppleIIも手に入れたいと思った。

雑誌の売り買いコーナーを見ているとAppleIIコンパチボードなるものがあって、モニタやFDD、プリンタも含めて一式で売りますという事で購入を申し込んだ。

残念ながらFDDは壊れていたし、プリンタも操作を誤って焼けてしまったりした。

コンパチボードはHOGE!という名前で、いまも持っている。(だけど電源を捨ててしまったので動かしようがない)
Macintosh
2024.10.11
Macintoshはレトロマイコンといってよいのか分からないが、

初めて触れたのは高校生の頃。

建築科の先生が持っていて、教員住宅に遊びに行き、自由に触らせてもらった。
GUIなんて他になかった(知らなかった)からなあ。
将来みんなこういうふうになるんだろうかと、おぼろげながら・・・

その時の機種はMacintosh IIで、モニタ一体型ではない筐体としては初めての機種だったと思う。

自分でMacintoshを手に入れたのは、その5年後ぐらいだったか。

パソコン通信で知り合った人から、新しいMacを買うので古いのを買わないかと。
まさか、その前にオフ会で見かけた本体そのものを譲ってもらうなんて。
わざわざ佐賀からクルマで運んでもらった。
20万円を支払ったけど、当時としては思い切った額だった。でも、すごいよな。

その機種はMacintosh II vxで、RAMは20MBだったと思う。当時はそれだけでも相当な値段だったはず。

CDはキャディというケースに入れて差し込む方式。いちいち面倒だった。

このII vxは壊れてしまった。チップ電解コンデンサが腐っていたけど当時の自分ではどうしようもなかった。

のちにLC630の中古をやはり誰かから譲ってもらい、しばらく使っていた。

それから10年後ぐらいか、iBookタンジェリンが気に入って中古で買って所有していた。バッテリーはリフレッシュサービスに出して復活させた。

その後はMacintoshは所有していない。iPad初代を持っていたぐらいか。これも売ってしまった。
PC-9801初代
2024.10.11
これは親戚からもらったもので、その時点で不動品だった。

本体、モニタ、外付8インチFDD、8インチフロッピーなど揃っていたけど、まあ、ゴミをおしつけられたようなものか。

もっと新しい98があるのに、ということで使い道もなく、結局捨ててしまったと思う。

それにしても8インチはでかかった。冗談みたいにでかかった。

よくこんなの使っていたなあ、と思う。


高校の時、PC-9801Fは使ったことがある。文化祭に展示するゲームを作れというので、センサーの拡張基板と組み合わせてスロットマシンみたいなプログラムを作った。

そもそもスロットマシンがどういうものか詳しく知らなかったから、想像で適当に作ったら、同級生から「違う、そういうものではない」と指摘を受けた。

当時の自分がどんな認識だったかというと、レバーを引けば各リールは勝手にランダムに止まるものだと。

同級生が言うには、レバーを引いてスタートしたらボタンを押してそれぞれのリールを目押しするんだと。

なんだか難しいなあ、というところでやる気は半減。

絵柄も何もないよ。大きい数字がくるくる回るだけ。

一般の方にも公開していた文化祭だったから、その一般の方に遊び方を説明しなさいと言われて、ぎこちない説明をした。そんなの全く苦手。

そこで模造紙にマジックでヘタクソな字の駄文を書いて貼り付けておいた。
FMR-50
2024.10.11
FMR-50 富士通

これも一般向けじゃないな。

官公庁とか学校向けで、いわゆる汎用機(メインフレーム)の端末として使われる事が多かったと思う。FACOM M730があった。

実習棟にも小さめながらPC室があり、そこに汎用機とFMR-50が20台ぐらい並んでいた。その部屋だけ冷房があったので、夏は楽しみだったのである。

我々が卒業した後、あの雲仙普賢岳の噴火の頃から火山灰で窓が開けられないので全部の教室にエアコンが付いたという。

F6680エミュレータというフロッピーを入れると、汎用機の端末として動作した。

(これの偽画面プログラムを作って遊んでいた。ユーザ名、パスワード入力からコンパイル開始まで正常に動くのだが、そのあと「システム異常」とピーピー鳴って止まるといういたずら)

主にFORTRAN実習に使っていて、そのコンパイルに時間がかかること・・・これだったら、MS-DOS上でFORTRANコンパイラを使うほうが早くないか、しかも安くできなかったか、と当時でも思っていた。

まあ、汎用機を使えるようになるのが目的だったのだろう。(いまでは化石)

当時ハードディスクは珍しく、一部のPCにしか内蔵されていなかった。

それから、全てのPCがLANで接続されており、まあ汎用機とつながっている時点でそうなのだが、校内に同軸ケーブルをはりまわして通信できるようにしていた。
先輩方が、実習棟の端から端まで同軸をひっぱっている姿を目撃したことがある。
だが、一度もそれを利用したことは(自分は)ない。(PC室以外からアクセスしたことがないという意味)

いまでは当たり前なLANだが、当時は珍しかった。
MULTI 16 IV
2024.10.11
マルチ16 三菱電機

これも知らない人が多いだろうな。

高校にパソコン室が出来て、そこへ導入されたのがMULTI16 IV

マニア連中は、なんでPC98にしないんだと言っていた。なんか政治的な大人の事情でもあったんでしょう。

一応、CP/M86とMS-DOSが使えて、BASICも動いた。A1M2(エースワンマークツー)というワープロだったと思うけど文書作成もできた。

授業開始でみんなが一斉に電源を入れると、ポポポッ、ポポポポポッ、という音があちこちから鳴るので面白かった。

最初「PLEASE SET SHEET」って表示が出る。フロッピーを入れろということ。

このパソコン室には仕掛けがあって、教員の席から各PC画面の監視や、逆にメッセージを送ったりできた。
「モットマジメニヤレ」というメッセージを送られたこともある。

学校の放課後に一般向けのパソコン教室があり、70代のおばあちゃんがBASICを勉強に来ていたのを覚えている。
その教室で使っていたのも同じMULTI 16

役に立ったぞMULTI 16

- CafeLog -