PC-8001
2024.10.11
PC-8001 NEC

これも所有はしたことがなく、学校にあったので使ったぐらい。

当時(1988年頃)でもPC-8001は古かった。

マシン語の実習があり、これでI/Oポートを操作してモーターを動かしたり、リレーを制御したりしていた。

その頃、マシン語の表をカードケース(下敷き)に挟んで持ち歩き、いつでもどこでもハンドアセンブルをしていた。
マシン語を覚えてしまい、ある程度はバイナリを直接ニーモニックとして読める。
特に良く使う命令は覚えてしまい、それでパッチを当ててしまう。
ソード M5
2024.10.11
ソードのM5

これも実物を見たことがない。

小学生の頃、「子供の科学」という雑誌で紹介されていたのがM5だったと記憶している。

当時それほどパソコン(マイコン)に興味はなかったが、このあとからだんだんと興味が出てきたと思う。

そして、こんな小さい物の中によく回路とかおさまるもんだなあと思っていたような気がする。でも実物を見たことがないのでどのくらいか知らない。たぶん小さいんだろうなぐらいの感覚。

田舎だからパソコン自体が珍しかったんだよなあ。

ほかに仲間もいない。
井の中の蛙で一人でやっていたから、それほどのびなかったと思う。

打ち込みはできても、自分でゲームのプログラムを作れるまでにはならなかった。
そもそもゲームにあまり興味がないというか、苦手だった。
素早い反応とか持久力が駄目。運転も全然駄目。

それよりも、時間のかかる計算をさせて結果が出るのを待つとか、きれいなグラフィックの模様を描いたりすることに興味を持っていた。

M5の話から脱線してしまったが・・・とにかく現物を見たことがないので語れる内容はちょっぴりしかない。
ポケコン
2024.10.11
ポケコンは、今のスマホみたいにそれをいじるのに夢中になっていた。

最初は中学の同級生がPB-100を持ってきて、それで怪しげな占いプログラム(乱数)を作ったり、じゃんけんプログラム(乱数)を作ったりして遊んでいた。

その彼がいつの間にかPB-80も買ってきた。平面キーだったから押しにくかった感じもする。

自分がポケコンを買ったのは高校の教材として入学時に購入したもので、PC-1417Gだった。これに夢中となり学校の勉強そっちのけになって、見事に赤点と追試。

授業中にいじっていて、先生から、いまはそれをいじる時間か?と言われるまで気が付かなかったぐらいで相当やばかった。

そのほか、ノストラダムスの大予言とかオカルトにも熱中し、図書館や古本屋に入り浸ってそんな本ばかり読んでいたから馬鹿になるのは当然だ。

いまも当時のPC-1417Gは持っているけど見事にボロボロ。
X1 または X1turbo
2024.10.11
X1とかX1turboは全然触れる機会がなかった。

高校の同級生が持っていたけど、その程度。

ただ、そのフロッピーはMZでも工夫すると読み込むことができたので、CP/M移植の参考にさせてもらったりした。
(X1版のCP/Mフロッピーをセクターダンプして、FDCの論理が違うので論理反転して読み込ませていた)

セクターをずっと送って見ていくとソースらしき物が見つかり、それを抽出してファイル化したりした。

あとは、本体を所有したこともなく、それっきりという感じ。

そのほか覚えている事は、X1Dだっけ、3インチドライブは不遇だったというユーザーの嘆き。

そして、サンハヤトのX1用のユニバーサル基板は裏返すとMZ-2000でも使えた。実際にそのようにして使った。静止画取り込み基板を作ったときがそれ。
JR-200
2024.10.11
JR-200、これはナショナル(現パナソニック)の製品だった。

私が生まれて初めて触ったPC

当時、サンアイ(現存せず)というディスカウント店があり、ここは色んな物が安価で売られていた。今でいうところのドンキホーテみたいな店の先駆け?

その店に置いてあったのがJR-200

おそるおそるキー入力してみた。もちろん、1文字ずつに時間がかかった。

自分の名前を入れようと思いながら、なかなか文字が見つからず、あきらめて「マントヒヒ」などと打ってみた。

いま思えば、あんなBASIC画面で何ができるかって思う人も多かっただろうな。同級生の親がそんな感じで、8万いくらもしたのに(PC-6001mkII)箱は破れてるし、何もできないし、って文句言っていた。

そんな中に楽しみを見出していけるかどうかが分かれ目だったのかもしれん。

結局、JR-200に触ったのは記憶の限りではそのときが最初で最後。

JR-100は本で存在は知っていたが、結局、実物に触れる機会もなかった。

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