大ピンチずかんの実物を見る
2024.03.27
読後の感想・・・なーんだ、こんなのみんな経験した。(現代風に言うと、マウントをとる、ってやつか)



テープの端が見つからないのは、見つかって引き出そうとしたら斜めに切れちゃったとかもある。1周以上無駄になってしまってピンチ。(残り少ない時)

自分が時々やらかすのは、ハンダゴテ台をひっくり返してしまう事。ハンダカスやリード線の切れ端が飛び散って、片付けが大変。作業台の上だけでなく床まで飛び散る事も。
何かの拍子に触ったか、コードをひっかけてしまって発生する。


命に関わるピンチは、さすがに子ども向けの本には書けないか。しかし、意外と身近なところに危険は潜んでいるものだ。
PC-286BOOKにSCSI
2024.03.27
これは相当古い。90年代前半の話。

その頃、SPC-SCSIというのが有って、MB89352を(本来SCSIが内蔵されていない機種に)組み込んで動かすのが流行っていました。

なんと、ワープロ専用機に組み込んだ人もいました。(当時トラ技の記事あり)

このためのSCSIドライバがフリーソフトで公開されていたので、本当に有り難かった。

ほかにもSCSI接続の試みは有って、EasyHardというのだが、ケーブル1本だけでSCSIのHDDをつなぐ。もはや専用ICすら不要。
ダイナブックのパラレルポートを利用したもので、電気的にはSCSIの規格を満たさないところもあるが一応動くというもの。
残念ながらPC98系では片方向しかデータが行かないので原理的にできませんでした。AT互換機はデータが双方向だったのでこんな事もできたんですね。

当時の私に依頼があったのは、PC-286BOOKというEPSONのPC98互換機にSCSIを組み込めないか、という話。パソコン通信仲間の学校の先生から。

オプションのモデムを組み込む部分があり、そこが引き出しのようになっているので、ここに何とか(基板とコネクタが)おさまらないか、と。

当時はサンハヤトの感光基板、その片面パターンでMB89352と終端抵抗や周辺ICを載せた基板を手作りしたものでした。

実際に作ってテストした時の写真が昔のネガの中に残っていました。




(お気づきかもしれないが、ネガを裏返しにしてしまった!)

確か、配布されていたドライバでは(PC286BOOK上では)I/Oアドレスが競合するので、自分でSYMDEBを使い、空いているI/Oアドレスにパッチを当てて書き換えたのでした。
これを含めて、2~3点ほど試行錯誤があったような記憶です。

思い出してみると、ソースをアセンブルしようにも86用のアセンブラがなかったか、有ったと思うけれど。手っ取り早いのはパッチだなと思ったんだろう。SYS(ドライバ)をデバッガに読み込み、逆アセンブルしながらI/Oアクセスの命令を探して、書き換えて、保存した、というのが手順。

今さらこんな事を書いても仕方ないけど、SCSIのHDDから起動はできません。(起動の為のROMはない)
まずフロッピーから起動して、SPC-SCSI用のドライバを組み込んでから初めてSCSIが使えるようになります。
それでも当時は不便とは思いませんでした。HDDやMOが使えるようになっただけで、まるで今までとは天と地のような差を感じました。

確か依頼主は小学校の先生だったかな。これを見たその先生の知り合いの先生も、自分も欲しいと言い出してもう1台作っておさめたような記憶です。

確か最初の1台だけは手配線で作ったはず。何度も手配線で作るのは大変だから、それで感光基板で何枚も作れるようにしたわけだ。
ネガガガ
2024.03.25
何かと物持ちの良い私、「研修旅行のしおり」が有りました。


これに旅程表が載っているので、撮影順と重ね合わせてみれば、どこで撮った写真かを知るヒントになりそうです。

12/6 鉄道で京都へ移動、現着16:30 (宿泊先:ホテルウオジ苑 今は無いようです)
12/7 自主研修 (各班ごとにそれぞれ計画をたてて京都市内を回る。夕方にはホテルに戻ってくる事)
12/8 長岡京の三菱電機を見学。その後、法隆寺 →奈良公園(東大寺・春日大社) そして奈良へ。奈良で宿泊。
12/9 門真の松下電器を見学。万博記念公園の民俗学博物館、大阪城、梅田花月、神戸港から阪九フェリーで小倉へ
12/10 小倉港に到着。あとはバスで移動。玉名(熊本)で昼食。フェリーで地元へ帰り。

自分たちの班の自主研修行動日程(概要)
8:30ホテル →9:30銀閣寺 →11:00清水寺 →13:10三十三間堂 →15:10二条城 →16:30ホテル

行ったこともない場所へ行く前に計画をたてて、もちろん予算とか時間もだけど、今のようにネットもないから調べ物は手間がかかったと思う。

どこかでバスに乗った記憶があるけど、知らない土地のバスに初めて乗るのは不安があったね。間違って乗ったら違う方向へ行ってしまうから。幸い、失敗はなかったが、間違ってどこかへ行ってしまってもそれはそれで良い経験になっただろうと思う。

なんと、「自主研修」のしおりもそのまま残っていた。


各班ごとに計画をたてて、それをまとめてワープロで打てという先生の指示。たしか私は他班の分も頼まれて自宅のMZのワープロで打ったと思う。まだMZのフロッピーに残っている可能性がある。

それにしても良く調べてある。バスの時刻なんか、今ではスマホ一丁だけど、当時はそんなものはない。パンフレットとか旅行ガイド本を見たんだろうけど、全然記憶にない。
細かい時刻まで良く調べてあるのには感心する。単純に書き写しただけなのか、そうとも思えないが・・・いまさらわからない。







当時は携帯電話もポケベルもなかった(少なくとも我々は持っていなかった)。途中で何かトラブル等あれば、公衆電話からホテルに電話して引率の先生に取り次いでもらうしかなかっただろう。幸い、トラブルはなかったと思う。自分が知る限り。

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