算数の問題集
2025.02.13
なんでドリルっていうんだろうね。変なの、って当時は思っていた。
ドリルっていったら一種類しか思い浮かばないじゃん。穴あけ。これ以外のドリルは無いよ。
それでまあ、高校生だった自分は数学がダメすぎて、他の科目はそこそこ良いのに、数学だけのために底辺を彷徨っていた(笑)
お前ば*じゃないの、数学なんて簡単ジャーン、スパッと答えが出るし、要領が悪いんじゃないの!ハハハハハ!! といった具合に周囲からは、からかわれていた。(こっちは真剣に悩んでるのにな)
そもそも数学苦手で工業高校に来るなんて。
そんなの、後から気付いた。純粋に電気いじりが好きだから来た。だが、電気には数学がつきまとう。交流回路理論なんか、三角関数に虚数にベクトル、まるで数学の授業みたいだ。
VI cos θ とか、シータって聞くたびにラピュタを思い出し、そしてムスカを思い出していた。
それにしても、
あの一位・二位を争う彼らは一体・・・勉強のことしか考えない冷酷なロボットみたいなやつだろうか? そうではなかったが、確かにちょっと変わっている感じはした。一位は見た感じ普通、二位は見るからにガリ勉。
1年生の一学期に試験の出来が悪かった奴は、「強制収容所」送りとなった。(笑)
強制収容所は、要するに学校の合宿所である(2025年現在も有る)。事前に呼び出しが有り、登校時には着替えを準備してこい、と。
今夜から二泊三日で学力養成合宿だ。
だいたい成績が悪いやつは素行も悪い。その中でもおとなしいやつ、弱そうなやつはいじめられた。(自分も、上級生からいじめられ、寝る布団も無かった)
3日で学力向上するならすごいけど、実際はほとんど変わらなかった。
食事も自分たちで作れ、と。
夜は夜で自習時間といっても研修室で、先生たちが何人もついて見張りと指導役。
突然、「みんなグラウンドへ出ろ!」
強制収・・・じゃなかった合宿所と学校のグラウンドは道路を隔ててすぐ近くにある。
「走れ!」
「並べ!」
まるで軍事教練の雰囲気であった。
「これから一人ずつ、それぞれの覚悟や目標を最大限大きい声で叫んでもらう。いいか、気合を入れろ!!」
なんでこんな事をさせられにゃならんのじゃ・・・
自分の番になり、なんと叫んだか忘れたが、数学がんばるぞーファイト~とか言ったかもしれない。(どさくさ紛れに**先生の悪口でも叫ぼうかという発想はたぶんなかった)
「声が小さい!! もう一度、腹の底から声を出せ!!!!」
「やり直しだ!!」
もうヘロヘロである。
しかも夜の8時か9時頃だったと思う。周囲には住宅もあるというのに、何の騒ぎかと周辺住民の皆さんには思われたかもしれない。
さらに、グラウンドを何周も走らされ、いいか、良しというまで走り続けろって言われたような気がする。
ヘロヘロ、クタクタになった。もう休めるかと思ったら、また強制収・・・じゃなかった合宿所の研修室で自習の続き。
2007年に講師として母校を訪れた時、電気科の科長先生にこの話をしたら、「なんですかその青春ドラマ、わはははは(笑)」と笑われてしまった。
青春ドラマ。
青春ドラマ、ね。
それなりに真剣にやったんだよ。
こんな調子で精神論みたいなわけのわからない合宿を続けて、ようやく「出所」となった次第。
2日目に、そういえば昼ご飯どうするんだろうと思ったら学校が弁当を手配してくれていて、職員室の前に置いてあるから取りに来いって。(お金は後で支払い)
ところで冒頭のドリル、
あまりにも出来が悪い私のことを心配して、(確か2年生の時)昨年度まで担任だった数学の先生が問題集(数学というより算数)を買って私に与えてくれたのでした。
これを少しずつやれ。わからなかったら聞きに来い。
だけど「続かない」私はほとんど進むことなく、日々の実習レポートや宿題などに追われるばかりで全然手がつけられず、
しかも、
その問題集の代金未払のまま、卒業してしまって・・・
数学の先生だから、いまでもその利息を計算しているかもしれない。
卒業式の時に先生から言われた。お金まだ払ってないよねって。
たしか200円か300円程度だったと思うけど、
在学中にも何度も催促されては忘れての繰り返し、
こういうのをすぐ忘れて、何度も繰り返して忘れるから、どうしようもないよね。自分で、どうしてこうなんだろうって思う。明日はちゃんとしようと思いながら忘れてしまう。
今はそんな事ない。ちゃんと明日持ってきますと言ったら必ず持っていきます。
いまは某所の町内会長をやっている当時の担任、何十年ぶりにカステラでも持って挨拶に行ってみようかね。
ドリルっていったら一種類しか思い浮かばないじゃん。穴あけ。これ以外のドリルは無いよ。
それでまあ、高校生だった自分は数学がダメすぎて、他の科目はそこそこ良いのに、数学だけのために底辺を彷徨っていた(笑)
お前ば*じゃないの、数学なんて簡単ジャーン、スパッと答えが出るし、要領が悪いんじゃないの!ハハハハハ!! といった具合に周囲からは、からかわれていた。(こっちは真剣に悩んでるのにな)
そもそも数学苦手で工業高校に来るなんて。
そんなの、後から気付いた。純粋に電気いじりが好きだから来た。だが、電気には数学がつきまとう。交流回路理論なんか、三角関数に虚数にベクトル、まるで数学の授業みたいだ。
VI cos θ とか、シータって聞くたびにラピュタを思い出し、そしてムスカを思い出していた。
それにしても、
あの一位・二位を争う彼らは一体・・・勉強のことしか考えない冷酷なロボットみたいなやつだろうか? そうではなかったが、確かにちょっと変わっている感じはした。一位は見た感じ普通、二位は見るからにガリ勉。
1年生の一学期に試験の出来が悪かった奴は、「強制収容所」送りとなった。(笑)
強制収容所は、要するに学校の合宿所である(2025年現在も有る)。事前に呼び出しが有り、登校時には着替えを準備してこい、と。
今夜から二泊三日で学力養成合宿だ。
だいたい成績が悪いやつは素行も悪い。その中でもおとなしいやつ、弱そうなやつはいじめられた。(自分も、上級生からいじめられ、寝る布団も無かった)
3日で学力向上するならすごいけど、実際はほとんど変わらなかった。
食事も自分たちで作れ、と。
夜は夜で自習時間といっても研修室で、先生たちが何人もついて見張りと指導役。
突然、「みんなグラウンドへ出ろ!」
強制収・・・じゃなかった合宿所と学校のグラウンドは道路を隔ててすぐ近くにある。
「走れ!」
「並べ!」
まるで軍事教練の雰囲気であった。
「これから一人ずつ、それぞれの覚悟や目標を最大限大きい声で叫んでもらう。いいか、気合を入れろ!!」
なんでこんな事をさせられにゃならんのじゃ・・・
自分の番になり、なんと叫んだか忘れたが、数学がんばるぞーファイト~とか言ったかもしれない。(どさくさ紛れに**先生の悪口でも叫ぼうかという発想はたぶんなかった)
「声が小さい!! もう一度、腹の底から声を出せ!!!!」
「やり直しだ!!」
もうヘロヘロである。
しかも夜の8時か9時頃だったと思う。周囲には住宅もあるというのに、何の騒ぎかと周辺住民の皆さんには思われたかもしれない。
さらに、グラウンドを何周も走らされ、いいか、良しというまで走り続けろって言われたような気がする。
ヘロヘロ、クタクタになった。もう休めるかと思ったら、また強制収・・・じゃなかった合宿所の研修室で自習の続き。
2007年に講師として母校を訪れた時、電気科の科長先生にこの話をしたら、「なんですかその青春ドラマ、わはははは(笑)」と笑われてしまった。
青春ドラマ。
青春ドラマ、ね。
それなりに真剣にやったんだよ。
こんな調子で精神論みたいなわけのわからない合宿を続けて、ようやく「出所」となった次第。
2日目に、そういえば昼ご飯どうするんだろうと思ったら学校が弁当を手配してくれていて、職員室の前に置いてあるから取りに来いって。(お金は後で支払い)
ところで冒頭のドリル、
あまりにも出来が悪い私のことを心配して、(確か2年生の時)昨年度まで担任だった数学の先生が問題集(数学というより算数)を買って私に与えてくれたのでした。
これを少しずつやれ。わからなかったら聞きに来い。
だけど「続かない」私はほとんど進むことなく、日々の実習レポートや宿題などに追われるばかりで全然手がつけられず、
しかも、
その問題集の代金未払のまま、卒業してしまって・・・
数学の先生だから、いまでもその利息を計算しているかもしれない。
卒業式の時に先生から言われた。お金まだ払ってないよねって。
たしか200円か300円程度だったと思うけど、
在学中にも何度も催促されては忘れての繰り返し、
こういうのをすぐ忘れて、何度も繰り返して忘れるから、どうしようもないよね。自分で、どうしてこうなんだろうって思う。明日はちゃんとしようと思いながら忘れてしまう。
今はそんな事ない。ちゃんと明日持ってきますと言ったら必ず持っていきます。
いまは某所の町内会長をやっている当時の担任、何十年ぶりにカステラでも持って挨拶に行ってみようかね。
計算技術検定
2025.02.13
計算技術検定というのは工業高校だけの検定試験
4級から1級まである。
2級になると突然難しくなる。3級と2級の谷というか断崖絶壁というか、そんな感じ。
情報は公開されているので計算技術検定を検索してみるとよい。合格率に注目してみると、2級と3級の開きは明らか。
3級と4級は電卓の操作と、カッコの中を先に計算するとか、四捨五入とか有効数字、そういった基本がわかっていれば何とかなる。楽勝と思える。
ところが・・・2級で問題を見た瞬間にフリーズした(笑)。
数学の苦手な自分は完全にお手上げ。こりゃあ数学のテストじゃないかと。
電卓なんか補助的に使うだけじゃないかと。
3級は楽勝で合格したから2級もこの調子でいいだろ、と思っていたら、いきなり谷底へ突き落とされた(笑)。
これがわかるやつの頭の中はどうなってるんだ? と思いながら何もできず手が出せず試験終了までボーッとしていた。
なんでできてないんだと怒鳴られるし・・・(全然わかんないし)
お前の努力不足だ、って言われても何をどう努力すりゃいいんだ。算数なんていつまでも覚えてない。全部覚えてない。小学校1年生からやり直すか?
ところで我々の大先輩の話では、その当時には計算尺の検定が有ったらしい。計算尺は古道具屋で見つけて買ってきてちょっといじった事がある。
なんで物差しみたいなやつで計算できるんだと不思議でしょうがないけど、確かに掛け算割り算はできた。計算尺で足し算引き算はしない。
三角関数なども確かあったと思うけど(操作が)よくわからなかった。
4級から1級まである。
2級になると突然難しくなる。3級と2級の谷というか断崖絶壁というか、そんな感じ。
情報は公開されているので計算技術検定を検索してみるとよい。合格率に注目してみると、2級と3級の開きは明らか。
3級と4級は電卓の操作と、カッコの中を先に計算するとか、四捨五入とか有効数字、そういった基本がわかっていれば何とかなる。楽勝と思える。
ところが・・・2級で問題を見た瞬間にフリーズした(笑)。
数学の苦手な自分は完全にお手上げ。こりゃあ数学のテストじゃないかと。
電卓なんか補助的に使うだけじゃないかと。
3級は楽勝で合格したから2級もこの調子でいいだろ、と思っていたら、いきなり谷底へ突き落とされた(笑)。
これがわかるやつの頭の中はどうなってるんだ? と思いながら何もできず手が出せず試験終了までボーッとしていた。
なんでできてないんだと怒鳴られるし・・・(全然わかんないし)
お前の努力不足だ、って言われても何をどう努力すりゃいいんだ。算数なんていつまでも覚えてない。全部覚えてない。小学校1年生からやり直すか?
ところで我々の大先輩の話では、その当時には計算尺の検定が有ったらしい。計算尺は古道具屋で見つけて買ってきてちょっといじった事がある。
なんで物差しみたいなやつで計算できるんだと不思議でしょうがないけど、確かに掛け算割り算はできた。計算尺で足し算引き算はしない。
三角関数なども確かあったと思うけど(操作が)よくわからなかった。
ボツリヌス
2025.02.12
嫌気性菌というんですか、レトルトとか真空パックでも過信したらいけないのですね。
レトルト食品をたまに食べたりするけど、「袋が膨れていたら食べないで下さい」って書いてあるのはそういうことだったのか。
インドのカレーやビリヤニを時々食べたくなり、通販で買って食べたりするけど、向こうは日本と衛生の感覚が違うから、どうなのかな。少しは気になる。今まで色々食べたけど大丈夫。
一度だけ、「ほうれん草のカレー」だったか。もともとこういう味なのか、それとも腐っているのか、なんかカビっぽくもあるし、初めて食べたし判断が微妙だったので勢いで食ってしまった。その後、腹を下してしまった。
もしボツリヌスだったら、腹を下すぐらいでは済まない。
そもそもインドに行くと、インド腹という洗礼を受ける(笑)
2~3日寝込んだりトイレに通い続けたという話は、直接知り合いから聞いたり、動画などで知っている。
衛生的にアレなので食中毒になるが、そうでなくても油と香辛料が多いのでやられてしまう。
さっき書いたインドのレトルト食品はインド人が実際に食べている物と同じなので、現地の味の感覚で作られているわけ。
ベジタリアンが多いので肉が入っているものは少ない。有ってもチキンかマトンだと思う。
肉の代わりなのか、チーズや豆などが入っている。
聞いた話では、肉を料理したことのある厨房で作られたものは食べられないので、海外に行くときにレトルト食品を持参していくのだという。
香辛料の刺激は、物によるし人によっても感じ方は違うけど、私は辛いのは苦手。あとで胃が痛くなったりする。
なんか食中毒の話題から遠ざかってしまったが・・・
じつは昔、知人一家がサルモネラで全員入院したことがあった。野外で焼き肉をしたとき、生肉をつまんだ箸と食事用の箸を一緒くたにしたのだろう。
生肉に菌がついているので、必ず分けて使い、よく火を通してから食べる必要がある。
レトルト食品をたまに食べたりするけど、「袋が膨れていたら食べないで下さい」って書いてあるのはそういうことだったのか。
インドのカレーやビリヤニを時々食べたくなり、通販で買って食べたりするけど、向こうは日本と衛生の感覚が違うから、どうなのかな。少しは気になる。今まで色々食べたけど大丈夫。
一度だけ、「ほうれん草のカレー」だったか。もともとこういう味なのか、それとも腐っているのか、なんかカビっぽくもあるし、初めて食べたし判断が微妙だったので勢いで食ってしまった。その後、腹を下してしまった。
もしボツリヌスだったら、腹を下すぐらいでは済まない。
そもそもインドに行くと、インド腹という洗礼を受ける(笑)
2~3日寝込んだりトイレに通い続けたという話は、直接知り合いから聞いたり、動画などで知っている。
衛生的にアレなので食中毒になるが、そうでなくても油と香辛料が多いのでやられてしまう。
さっき書いたインドのレトルト食品はインド人が実際に食べている物と同じなので、現地の味の感覚で作られているわけ。
ベジタリアンが多いので肉が入っているものは少ない。有ってもチキンかマトンだと思う。
肉の代わりなのか、チーズや豆などが入っている。
聞いた話では、肉を料理したことのある厨房で作られたものは食べられないので、海外に行くときにレトルト食品を持参していくのだという。
香辛料の刺激は、物によるし人によっても感じ方は違うけど、私は辛いのは苦手。あとで胃が痛くなったりする。
なんか食中毒の話題から遠ざかってしまったが・・・
じつは昔、知人一家がサルモネラで全員入院したことがあった。野外で焼き肉をしたとき、生肉をつまんだ箸と食事用の箸を一緒くたにしたのだろう。
生肉に菌がついているので、必ず分けて使い、よく火を通してから食べる必要がある。
科学番組
2025.02.12
昭和の頃は科学番組が今より多かったように感じるけど、どうだろう。
みんなの科学、楽しい実験室
これは有名な番組ですね。
ウルトラアイ
NHKを擬人化したらこうなるという感じの山川アナウンサー。
その身体を張った実験は最高に面白かった。
面白かったわりに、さすがに昔なのでよく覚えていないが・・・
お酒を飲んでいると蚊にさされやすいか?という実験で、実際にビールを飲んで蚊にさされてみたり・・・
アメリカに出張して、現地で納豆が手作りできるかどうか試してみたり。発音が悪かったのか、納豆と言ったのに現地の人にはNATOと聞こえていたというシーンを覚えている。
当時、小学校の理科の先生から、ウルトラアイを見ろよって言われたもんだ。
その後番組は、試してガッテンだったっけ。
だんだん世俗化?してきて、単なる健康番組になったような印象だが。
子どもたちには科学に興味をもつきっかけに、大人たちには詐欺にだまされないような、そんな教育的な番組であってほしかった。
みんなの科学、楽しい実験室
これは有名な番組ですね。
ウルトラアイ
NHKを擬人化したらこうなるという感じの山川アナウンサー。
その身体を張った実験は最高に面白かった。
面白かったわりに、さすがに昔なのでよく覚えていないが・・・
お酒を飲んでいると蚊にさされやすいか?という実験で、実際にビールを飲んで蚊にさされてみたり・・・
アメリカに出張して、現地で納豆が手作りできるかどうか試してみたり。発音が悪かったのか、納豆と言ったのに現地の人にはNATOと聞こえていたというシーンを覚えている。
当時、小学校の理科の先生から、ウルトラアイを見ろよって言われたもんだ。
その後番組は、試してガッテンだったっけ。
だんだん世俗化?してきて、単なる健康番組になったような印象だが。
子どもたちには科学に興味をもつきっかけに、大人たちには詐欺にだまされないような、そんな教育的な番組であってほしかった。
昔のゴミ処理場のおじさん
2025.02.11
昭和50年代の話。
町のゴミ処理場は人里離れた山の中にあった。
焼却炉があって、そして敷地内に粗大ごみが置いてあった。
焼却炉といっても、いわゆる清掃工場にあるような巨大なプラントじゃなくて、昔の学校にあったようなあの焼却炉をそのまま大きくしたような感じ。
ダイオキシン云々は当時誰も言ってなかった。
テレビや冷蔵庫、洗濯機など並べてあった。当時は家電リサイクル法以前なので普通に粗大ゴミで捨てていた。
このあとどうするのかは不明。ひょっとしたらどこかの業者が引き取りに来ていたのかもしれない。
その処理場の責任者だったのか、同級生の祖父がごみ収集をやっていて、職員の人数は不明だったが、おじさんが一人でやっているような感じもした。
そのおじさんがうちの祖母の店にたまたま来られた時だったか、その時にトラックに乗せてもらい、処理場まで連れて行ってもらった。
テレビでもラジカセでもなんでもある。好きなの持っていけ。帰りも送ってあげる。
まるで夢のような出来事だった。なんでもタダでもらい放題。
適当にテレビを選んで、事務所でコンセントにつないで見てみる。普通にうつる。まあ壊れたから捨てたんじゃなくて、白黒だから(時代遅れで)捨てられたんだろう。
白黒テレビを持っていれば、NHKの普通契約(白黒)で料金が安くなっただろう。当時は普通契約とカラー契約があった。
自分用には白黒テレビも悪くないと思う。最初の頃はMSXを白黒テレビにつないで使っていた。
特に小さいテレビ(車載用など)は後年まで白黒が多かったような印象がある。回路がカラーより少ないから小型化しやすかったんだろう。
短波付きのラジカセをもらってきて最高な気分。
ラジオの製作といった雑誌を読むと、ソニー等のBCLラジオを使っている人が多そうだったけど自分はとても手が届かない。ラジカセで短波が受信できるだけで十分だった。
でも、いいなあ、あこがれた。ボタンで周波数を入れるだけで受信できるなんて。
チューニングつまみを少しずつ回しながら探る必要もないんだ。
その後、町の処理場は廃止され、複数の町が合同で処理場を運営するようになったと思う。
中学生になってから、自転車であの処理場の所まで行ってみた。焼却炉の残骸があるぐらいで、あとは何も残ってない。
やっぱり夢だったのかもしれない。
町のゴミ処理場は人里離れた山の中にあった。
焼却炉があって、そして敷地内に粗大ごみが置いてあった。
焼却炉といっても、いわゆる清掃工場にあるような巨大なプラントじゃなくて、昔の学校にあったようなあの焼却炉をそのまま大きくしたような感じ。
ダイオキシン云々は当時誰も言ってなかった。
テレビや冷蔵庫、洗濯機など並べてあった。当時は家電リサイクル法以前なので普通に粗大ゴミで捨てていた。
このあとどうするのかは不明。ひょっとしたらどこかの業者が引き取りに来ていたのかもしれない。
その処理場の責任者だったのか、同級生の祖父がごみ収集をやっていて、職員の人数は不明だったが、おじさんが一人でやっているような感じもした。
そのおじさんがうちの祖母の店にたまたま来られた時だったか、その時にトラックに乗せてもらい、処理場まで連れて行ってもらった。
テレビでもラジカセでもなんでもある。好きなの持っていけ。帰りも送ってあげる。
まるで夢のような出来事だった。なんでもタダでもらい放題。
適当にテレビを選んで、事務所でコンセントにつないで見てみる。普通にうつる。まあ壊れたから捨てたんじゃなくて、白黒だから(時代遅れで)捨てられたんだろう。
白黒テレビを持っていれば、NHKの普通契約(白黒)で料金が安くなっただろう。当時は普通契約とカラー契約があった。
自分用には白黒テレビも悪くないと思う。最初の頃はMSXを白黒テレビにつないで使っていた。
特に小さいテレビ(車載用など)は後年まで白黒が多かったような印象がある。回路がカラーより少ないから小型化しやすかったんだろう。
短波付きのラジカセをもらってきて最高な気分。
ラジオの製作といった雑誌を読むと、ソニー等のBCLラジオを使っている人が多そうだったけど自分はとても手が届かない。ラジカセで短波が受信できるだけで十分だった。
でも、いいなあ、あこがれた。ボタンで周波数を入れるだけで受信できるなんて。
チューニングつまみを少しずつ回しながら探る必要もないんだ。
その後、町の処理場は廃止され、複数の町が合同で処理場を運営するようになったと思う。
中学生になってから、自転車であの処理場の所まで行ってみた。焼却炉の残骸があるぐらいで、あとは何も残ってない。
やっぱり夢だったのかもしれない。