工業高校
2025.02.18
この分野(電子工学)に興味があったから学校と学科を選んだのだけど、どうも自分は勘違いしていたような気がする。(いまさら)
入学したら、電子工作やマイコン(パソコン)や無線好きの仲間が増える!と思っていた。
小学生の頃、同級生の家へ遊びに行ったら、彼の兄が工業高校に通っていて、家には電子部品やスピーカーやジャンクが色々転がっていた。この時にめちゃくちゃ刺激を受けた。
ところが現実は違っていて、パソコンを持っている奴が数名いる程度。無線部は名ばかりの帰宅部(兼・放送部)
多くの人は、部品を集めて何か作ったりとか、そんなのはやってなかった。
みんなは将来の進路や就職を考えていたのだ。自分は考えが幼かったのかもしれない。
進学校に行って大学の工学部に入る道もあっただろうけど、そんなに勉強できなかったから無理だった。
工業高校から大学を目指す話もあったけど、やっぱり成績が悪くて難しかった。
好きな分野の勉強ができると思ったけど、理論ばっかりでついていけなくなり、落ちこぼれに。
これは今でもそうだなあ。本を何度繰り返して読んでもいまいちピンとこないけど、実際に作って失敗してやり直して色々いじって調べてまた作って試してぶっ壊して、それでもチャレンジしてようやくできた、というところで、本当にわかる。
高専に入る学力もなかったが、もし高専に入っていたら落ちこぼれ、留年は間違いなしだったな。レベルが高すぎるし詰め込みで頭がパンクする。
入学したら、電子工作やマイコン(パソコン)や無線好きの仲間が増える!と思っていた。
小学生の頃、同級生の家へ遊びに行ったら、彼の兄が工業高校に通っていて、家には電子部品やスピーカーやジャンクが色々転がっていた。この時にめちゃくちゃ刺激を受けた。
ところが現実は違っていて、パソコンを持っている奴が数名いる程度。無線部は名ばかりの帰宅部(兼・放送部)
多くの人は、部品を集めて何か作ったりとか、そんなのはやってなかった。
みんなは将来の進路や就職を考えていたのだ。自分は考えが幼かったのかもしれない。
進学校に行って大学の工学部に入る道もあっただろうけど、そんなに勉強できなかったから無理だった。
工業高校から大学を目指す話もあったけど、やっぱり成績が悪くて難しかった。
好きな分野の勉強ができると思ったけど、理論ばっかりでついていけなくなり、落ちこぼれに。
これは今でもそうだなあ。本を何度繰り返して読んでもいまいちピンとこないけど、実際に作って失敗してやり直して色々いじって調べてまた作って試してぶっ壊して、それでもチャレンジしてようやくできた、というところで、本当にわかる。
高専に入る学力もなかったが、もし高専に入っていたら落ちこぼれ、留年は間違いなしだったな。レベルが高すぎるし詰め込みで頭がパンクする。
おかしな遊び
2025.02.17
小学生の頃のおかしな遊び。
椅子に座って自分でくるくる回り、具合が悪くなってきたら、椅子を蹴って畳に倒れ込む。
寝そべった状態で、頭の中がグルグル回るような感覚が新鮮だけど気持ち悪かった。
一時は癖になってしまい、これを何度も繰り返して気分が悪くなっていた。本当に吐きそう。
発端はたぶん、宇宙飛行士の訓練の映像なんかをテレビで見て、マネしたかったんだと思う。
ちなみに昔から乗り物酔いしやすく、車に乗って遠くへ出かけるのは苦痛だった。
小学校の社会科見学や旅行などでバスに乗っている時、隣の奴がゲロゲロやっていると自分まで「もらい」そうになる。早く休憩になれ、どこかで止まってくれとひたすら願っていた。
「トラベルミン」なんかを事前に飲むようにしていたけど、効かない時は効かなかった。
船はどうだったかな。乗船時間が短い(1時間程度)航路しか乗ったことがなくて船酔いはなかった。だけど中年になって、大学の研究の手伝いで漁船に乗った時は、もう最悪。
一晩船上で過ごして、翌朝に船を降りても半日以上~1日ぐらいは身体がゆらゆらする感覚が続いた。
飛行機は、一度だけ酔った事がある。羽田空港に降りる寸前で、待機になったのか上空でグルグル回っていた。雲が多く、結構揺れていて、そのうちにウエッと来た。あれがあと5分続いていたら確実にゲロったと思う。
椅子に座って自分でくるくる回り、具合が悪くなってきたら、椅子を蹴って畳に倒れ込む。
寝そべった状態で、頭の中がグルグル回るような感覚が新鮮だけど気持ち悪かった。
一時は癖になってしまい、これを何度も繰り返して気分が悪くなっていた。本当に吐きそう。
発端はたぶん、宇宙飛行士の訓練の映像なんかをテレビで見て、マネしたかったんだと思う。
ちなみに昔から乗り物酔いしやすく、車に乗って遠くへ出かけるのは苦痛だった。
小学校の社会科見学や旅行などでバスに乗っている時、隣の奴がゲロゲロやっていると自分まで「もらい」そうになる。早く休憩になれ、どこかで止まってくれとひたすら願っていた。
「トラベルミン」なんかを事前に飲むようにしていたけど、効かない時は効かなかった。
船はどうだったかな。乗船時間が短い(1時間程度)航路しか乗ったことがなくて船酔いはなかった。だけど中年になって、大学の研究の手伝いで漁船に乗った時は、もう最悪。
一晩船上で過ごして、翌朝に船を降りても半日以上~1日ぐらいは身体がゆらゆらする感覚が続いた。
飛行機は、一度だけ酔った事がある。羽田空港に降りる寸前で、待機になったのか上空でグルグル回っていた。雲が多く、結構揺れていて、そのうちにウエッと来た。あれがあと5分続いていたら確実にゲロったと思う。
今日のはてな(子供の科学)
2025.02.16
昔から有る科学雑誌「子供の科学」
ttps://www.kodomonokagaku.com/
そのサイト上の「今日のはてな」というコーナーで目からウロコ。
南極はあんなに寒いのに、息が白くならないって本当? という質問。
行ったことある人のほうが少ないから体験したことないよな。たぶん、行った人の話をどこかで聞いたか読んだのだろう。
白く見えるのは空気中の「ちり」に水蒸気がついてたくさんの小さな水滴ができるから、という答え。(そして雪は、ちりが無いとできないと書いてある。)
なんと、そうだったんだ! 単純に水蒸気が見えているものだと今まで思い込んでいた。冬に外でハーハー息を吐きながら、水蒸気だとばかり思っていた。
この年齢になって新しく覚える事もあるんだ。
外から太陽の光が差し込んでいるところでホコリが見えたりするけど、つまり、そこらじゅうチリだらけなんだ。
じゃあ、台所のガスコンロにかけているヤカンから吹き出す水蒸気が白く見えるのも、チリだらけだからか。
髪の毛一本入っていたとかいうレベルじゃないぐらいチリだらけなんだ。
うちの母は、(料理に)髪の毛が入っていたと苦情を言えば、「良いダシが出てるでしょう」と開き直る。(笑)
見えないチリに関しては気にしないし考えもしないのに、見えている物たとえば髪の毛なんかが料理に入っていれば文句を言う。
これからは見えないチリにも文句を言うかというとそうでもないな。許容範囲だろう。
そして、なぜ?と疑問に思って実際に調べた人がいるから、ちりに水蒸気が付いて白く見えるとわかったんだ。
ちりより小さい細菌などもたくさん食品に含まれているわけだが、いちいち顕微鏡で見なくても、誰かが研究してくれたから、何度で何分間加熱すれば殺菌されて大丈夫だとわかっている。
それにしても、改めて見てみると「子供の科学」は面白い。大人も読むべき。
最後に読んだのはいつだったか。中学校には常備されていたんだよな。いつも読みふけっていた。
ttps://www.kodomonokagaku.com/
そのサイト上の「今日のはてな」というコーナーで目からウロコ。
南極はあんなに寒いのに、息が白くならないって本当? という質問。
行ったことある人のほうが少ないから体験したことないよな。たぶん、行った人の話をどこかで聞いたか読んだのだろう。
白く見えるのは空気中の「ちり」に水蒸気がついてたくさんの小さな水滴ができるから、という答え。(そして雪は、ちりが無いとできないと書いてある。)
なんと、そうだったんだ! 単純に水蒸気が見えているものだと今まで思い込んでいた。冬に外でハーハー息を吐きながら、水蒸気だとばかり思っていた。
この年齢になって新しく覚える事もあるんだ。
外から太陽の光が差し込んでいるところでホコリが見えたりするけど、つまり、そこらじゅうチリだらけなんだ。
じゃあ、台所のガスコンロにかけているヤカンから吹き出す水蒸気が白く見えるのも、チリだらけだからか。
髪の毛一本入っていたとかいうレベルじゃないぐらいチリだらけなんだ。
うちの母は、(料理に)髪の毛が入っていたと苦情を言えば、「良いダシが出てるでしょう」と開き直る。(笑)
見えないチリに関しては気にしないし考えもしないのに、見えている物たとえば髪の毛なんかが料理に入っていれば文句を言う。
これからは見えないチリにも文句を言うかというとそうでもないな。許容範囲だろう。
そして、なぜ?と疑問に思って実際に調べた人がいるから、ちりに水蒸気が付いて白く見えるとわかったんだ。
ちりより小さい細菌などもたくさん食品に含まれているわけだが、いちいち顕微鏡で見なくても、誰かが研究してくれたから、何度で何分間加熱すれば殺菌されて大丈夫だとわかっている。
それにしても、改めて見てみると「子供の科学」は面白い。大人も読むべき。
最後に読んだのはいつだったか。中学校には常備されていたんだよな。いつも読みふけっていた。
お寺とOA化
2025.02.14
30年以上も前の話。
まだ実家にいた頃で、幼い頃に通った保育所(お寺)の住職さんが、ワープロの使い方がわからないので来てくれと。
それで行ってみると、なんと超高級そうな機種が!!
しかも上等なコピー機、リソグラフまで。
なんかよくわかんないから、業者の都合の良い機種を買わされちゃった感じ?
お寺に似合わないような、そんなオフィス感(笑)
これを打ってくれ、と原稿を渡され、その場でパパパと打ち込んだ。印刷して見てもらうと、うん、これでいいよ、ありがとねー。
もう今では保育所は辞めちゃったようですが、子どもが少なくなった影響もあるんじゃないかと思います。
我々の頃は「お泊り会」で一晩お寺に泊まったことがありました。お墓は(敷地の中には)無かったんですけどね。
風呂は住職の家の風呂だから一般家庭と同じ。一人ずつ頭を洗ってもらって・・・なんとなく覚えている。
夜は本堂に布団を敷いて寝たが、枕元に虫が来たので(あの大嫌いな)Gかと思って先生を呼んだら、鈴虫かコオロギだったという人騒がせな出来事があった事だけは覚えています。
まだ実家にいた頃で、幼い頃に通った保育所(お寺)の住職さんが、ワープロの使い方がわからないので来てくれと。
それで行ってみると、なんと超高級そうな機種が!!
しかも上等なコピー機、リソグラフまで。
なんかよくわかんないから、業者の都合の良い機種を買わされちゃった感じ?
お寺に似合わないような、そんなオフィス感(笑)
これを打ってくれ、と原稿を渡され、その場でパパパと打ち込んだ。印刷して見てもらうと、うん、これでいいよ、ありがとねー。
もう今では保育所は辞めちゃったようですが、子どもが少なくなった影響もあるんじゃないかと思います。
我々の頃は「お泊り会」で一晩お寺に泊まったことがありました。お墓は(敷地の中には)無かったんですけどね。
風呂は住職の家の風呂だから一般家庭と同じ。一人ずつ頭を洗ってもらって・・・なんとなく覚えている。
夜は本堂に布団を敷いて寝たが、枕元に虫が来たので(あの大嫌いな)Gかと思って先生を呼んだら、鈴虫かコオロギだったという人騒がせな出来事があった事だけは覚えています。
製本(続)
2025.02.14
中学校の卒業文集は自分たちで手作りした記憶がある。(卒業文集は3年生、そのほか各年ごとに文集を作った)
当時はコピー機は使わなくて、トーシャファクスだったか、謄写版の発展型みたいな印刷機で印刷していた。
活字は和文タイプで先生が1文字ずつ打ち込み、膨大な時間と手間を要していた。まだワープロは出始めだった。放課後、先生がひとりでガシャ、ガシャ、と打っていた姿を覚えている。
トーシャファクスは、原稿用紙を読み取り、原紙に放電で穴をあけていく仕組みだったと思う。よく覚えていないけど、ドラムに原稿を巻き付けて、1ドット(1ライン)ずつスキャンしていく。同時に原紙へ針先から放電して細かい穴が開く。原稿の黒い点が穴となる。
原紙は黒い紙を重ねてあり、その黒い紙は導電性があった。原紙を作った後は不要となる。これを理科の電位差の実験で使った覚えがある。(高校の時)
その原紙の穴からインクが通るので、印刷できるという仕組みだったと思う。
小学校2年頃までは謄写版(ガリ版)で、先生たちはインクで手を汚しながらプリントを印刷していた。
ヤスリ板に鉄筆という道具があってだな・・・あの独特の書体が、ガリ版らしくて良かった。
とにかく、こうして印刷して部数分だけ作る。
ページの順番に重ねていくが、この作業を生徒がやっていた。図書室の机上に各ページごと積み上げてあった。よし、みんな1枚ずつ取って重ねていけ。間違わないように気をつけろよ!
内容を読みたくなるよな。でも、出来上がってから読むのを楽しみにしておけ。いまは目の前の作業に集中しろ。
B4で印刷して半分に折り、重ねて一冊にしたものを製本業者に出すんじゃなかったかな。
中3の時の担任は何でもとっておくのが好きで、「資料のはらわた」と我々は呼んでいた。
こんなプリントまで綴じる必要はないだろうという物まで漏らさず入っていた。
当時はコピー機は使わなくて、トーシャファクスだったか、謄写版の発展型みたいな印刷機で印刷していた。
活字は和文タイプで先生が1文字ずつ打ち込み、膨大な時間と手間を要していた。まだワープロは出始めだった。放課後、先生がひとりでガシャ、ガシャ、と打っていた姿を覚えている。
トーシャファクスは、原稿用紙を読み取り、原紙に放電で穴をあけていく仕組みだったと思う。よく覚えていないけど、ドラムに原稿を巻き付けて、1ドット(1ライン)ずつスキャンしていく。同時に原紙へ針先から放電して細かい穴が開く。原稿の黒い点が穴となる。
原紙は黒い紙を重ねてあり、その黒い紙は導電性があった。原紙を作った後は不要となる。これを理科の電位差の実験で使った覚えがある。(高校の時)
その原紙の穴からインクが通るので、印刷できるという仕組みだったと思う。
小学校2年頃までは謄写版(ガリ版)で、先生たちはインクで手を汚しながらプリントを印刷していた。
ヤスリ板に鉄筆という道具があってだな・・・あの独特の書体が、ガリ版らしくて良かった。
とにかく、こうして印刷して部数分だけ作る。
ページの順番に重ねていくが、この作業を生徒がやっていた。図書室の机上に各ページごと積み上げてあった。よし、みんな1枚ずつ取って重ねていけ。間違わないように気をつけろよ!
内容を読みたくなるよな。でも、出来上がってから読むのを楽しみにしておけ。いまは目の前の作業に集中しろ。
B4で印刷して半分に折り、重ねて一冊にしたものを製本業者に出すんじゃなかったかな。
中3の時の担任は何でもとっておくのが好きで、「資料のはらわた」と我々は呼んでいた。
こんなプリントまで綴じる必要はないだろうという物まで漏らさず入っていた。