ロスケからの怪電波
2024.04.10
北の国も怪しいが、当時ソ連と呼ばれていた某国もそれ以上に怪しい。
ラジカセの短波でダイヤルの端から端までゆっくり回しながら、この音は何だろう、と考えるという暇つぶしを中学生の頃にしていた。
雑誌の情報なども参考にしながら、これの正体はあれなんだ、と知識を深めていった。
トトトピロピロピロロロロ・・・というのはRTTY(ラジオテレタイプ)
文字で表現するのは難しいが、トッ、トッ、トッ、と規則的な音にギャ、ギャギャ、と音が混ざるのは気象FAX
これらは某国からではなく、アマチュア無線や気象関係の機関が出しているもの。
ソ連からと思われる電波は、いくつかあって、代表的なものは2つ。
K信号
レターコードKとか呼ばれる。
モールスのKをずっと打ち続けている。たまに数字を打っていたが、その数字が何を意味するのかは不明。
UVB-76
断続的なブザー音がずっと鳴っている。
これは現在も続いている。たまに音声が入るらしい。
ネット上にはマニアがいるし、Youtubeでライブされている。
過去の送信所(廃墟)を探検したという人も。
そのほか、
どこの国からか分からないが、昔(昭和末期)はいろんな音が鳴っていたものである。
あの頃は長崎無線JOSも健在だった。
ほかにも色々あったけど、
パタパタパタパタ・・・と鳴り続けるのは確かウッドペッカーといってOTHレーダーと呼ばれるもの
ラジカセの短波でダイヤルの端から端までゆっくり回しながら、この音は何だろう、と考えるという暇つぶしを中学生の頃にしていた。
雑誌の情報なども参考にしながら、これの正体はあれなんだ、と知識を深めていった。
トトトピロピロピロロロロ・・・というのはRTTY(ラジオテレタイプ)
文字で表現するのは難しいが、トッ、トッ、トッ、と規則的な音にギャ、ギャギャ、と音が混ざるのは気象FAX
これらは某国からではなく、アマチュア無線や気象関係の機関が出しているもの。
ソ連からと思われる電波は、いくつかあって、代表的なものは2つ。
K信号
レターコードKとか呼ばれる。
モールスのKをずっと打ち続けている。たまに数字を打っていたが、その数字が何を意味するのかは不明。
UVB-76
断続的なブザー音がずっと鳴っている。
これは現在も続いている。たまに音声が入るらしい。
ネット上にはマニアがいるし、Youtubeでライブされている。
過去の送信所(廃墟)を探検したという人も。
そのほか、
どこの国からか分からないが、昔(昭和末期)はいろんな音が鳴っていたものである。
あの頃は長崎無線JOSも健在だった。
ほかにも色々あったけど、
パタパタパタパタ・・・と鳴り続けるのは確かウッドペッカーといってOTHレーダーと呼ばれるもの
北の国から (の暗号放送)
2024.04.10
現在やってないという認識だが、だいたい2000年頃まで続いていた?
某北の国からの暗号放送
朝鮮中央放送の日本語放送終了後ラジオをそのまま聴いていると、深夜0時から不思議な放送が始まった。
息を詰めた女性アナウンサーの声、朝鮮語で5桁の数字を読み上げている。番組の始まりと終わりは、あの国の勇ましい音楽が流れていたと思う。
当時はAMラジオの783?kHzとか短波の・・・周波数忘れた。とにかく、複数の周波数で放送されていた。(受信状態が悪くなってもスパイが聞き取れるようにでしょうね)
朝鮮語は聞き取れなかったが、もし数字がわかったとしても乱数表がないと解読できない。
乱数表は某国から密かに持ち込まれるらしい。どうやっていたのか知らないが、何かの本で読んだ記憶では、化粧品のクリームの底に埋め込んだりしたらしい。
旅行者の荷物にさりげなく紛れ込ませたりしても、全員は調べないからわからないだろう。
あの拉致とも関連があったとか。
深夜の勉強時など、好奇心の向くままに聴いてみたりしたが、内容がわかるわけでもなく、ただ・・・こんな放送がリアルに存在する事実をかみしめていた感じ。
当時NHKの番組でも、この暗号放送について取り上げられた事があった。
それ何年何月何日の何時から放送されたものだよって聞かれても記録してないし分からないが、番組を見た覚えはある。30年以上前だと思う。
某北の国からの暗号放送
朝鮮中央放送の日本語放送終了後ラジオをそのまま聴いていると、深夜0時から不思議な放送が始まった。
息を詰めた女性アナウンサーの声、朝鮮語で5桁の数字を読み上げている。番組の始まりと終わりは、あの国の勇ましい音楽が流れていたと思う。
当時はAMラジオの783?kHzとか短波の・・・周波数忘れた。とにかく、複数の周波数で放送されていた。(受信状態が悪くなってもスパイが聞き取れるようにでしょうね)
朝鮮語は聞き取れなかったが、もし数字がわかったとしても乱数表がないと解読できない。
乱数表は某国から密かに持ち込まれるらしい。どうやっていたのか知らないが、何かの本で読んだ記憶では、化粧品のクリームの底に埋め込んだりしたらしい。
旅行者の荷物にさりげなく紛れ込ませたりしても、全員は調べないからわからないだろう。
あの拉致とも関連があったとか。
深夜の勉強時など、好奇心の向くままに聴いてみたりしたが、内容がわかるわけでもなく、ただ・・・こんな放送がリアルに存在する事実をかみしめていた感じ。
当時NHKの番組でも、この暗号放送について取り上げられた事があった。
それ何年何月何日の何時から放送されたものだよって聞かれても記録してないし分からないが、番組を見た覚えはある。30年以上前だと思う。
自転車は宅配便で輸送できるか
2024.03.28
30年以上前、下宿屋の仲間が実家から自転車を送ってもらおうとしていた。
自転車があれば出かけるにも色々便利だよなあ、とか言いながら・・・
ところが、色々あって難しいようで、なかなか送ってこない。細かい事は忘れたが、宅配便業者が難色を示しているようだった。
それでも後日なんとか送られてきて、よかったねー、という話。
但し、料金がいくらかかったのかは不明。
いまはどうなっているだろう?
例:ヤマト運輸
送ること自体は可能だが、問題は料金。サイズや重量で通常の宅急便の適用外となれば、追加料金もかかるだろうし・・・要相談というところでしょうか。
梱包も課題でしょう。
金額を考えると、現地で安いのを買ってしまったほうが良い場合も。(ちなみに当時は金銭的余裕がなかったので買わないで送ってもらったのだ)
さて、送られてきてよかったねー、の後日談。
喜んで乗り回していたが、・・・
盗まれた。
確か最初はマウンテンバイク。盗まれた後、次に乗っていたのはママチャリだったが、これはもらったのか再び送ってもらったのかは忘れた。
どっちも、盗まれた。ガッカリ。
自転車があれば出かけるにも色々便利だよなあ、とか言いながら・・・
ところが、色々あって難しいようで、なかなか送ってこない。細かい事は忘れたが、宅配便業者が難色を示しているようだった。
それでも後日なんとか送られてきて、よかったねー、という話。
但し、料金がいくらかかったのかは不明。
いまはどうなっているだろう?
例:ヤマト運輸
送ること自体は可能だが、問題は料金。サイズや重量で通常の宅急便の適用外となれば、追加料金もかかるだろうし・・・要相談というところでしょうか。
梱包も課題でしょう。
金額を考えると、現地で安いのを買ってしまったほうが良い場合も。(ちなみに当時は金銭的余裕がなかったので買わないで送ってもらったのだ)
さて、送られてきてよかったねー、の後日談。
喜んで乗り回していたが、・・・
盗まれた。
確か最初はマウンテンバイク。盗まれた後、次に乗っていたのはママチャリだったが、これはもらったのか再び送ってもらったのかは忘れた。
どっちも、盗まれた。ガッカリ。
ネガガガ
2024.03.25
何かと物持ちの良い私、「研修旅行のしおり」が有りました。

これに旅程表が載っているので、撮影順と重ね合わせてみれば、どこで撮った写真かを知るヒントになりそうです。
12/6 鉄道で京都へ移動、現着16:30 (宿泊先:ホテルウオジ苑 今は無いようです)
12/7 自主研修 (各班ごとにそれぞれ計画をたてて京都市内を回る。夕方にはホテルに戻ってくる事)
12/8 長岡京の三菱電機を見学。その後、法隆寺 →奈良公園(東大寺・春日大社) そして奈良へ。奈良で宿泊。
12/9 門真の松下電器を見学。万博記念公園の民俗学博物館、大阪城、梅田花月、神戸港から阪九フェリーで小倉へ
12/10 小倉港に到着。あとはバスで移動。玉名(熊本)で昼食。フェリーで地元へ帰り。
自分たちの班の自主研修行動日程(概要)
8:30ホテル →9:30銀閣寺 →11:00清水寺 →13:10三十三間堂 →15:10二条城 →16:30ホテル
行ったこともない場所へ行く前に計画をたてて、もちろん予算とか時間もだけど、今のようにネットもないから調べ物は手間がかかったと思う。
どこかでバスに乗った記憶があるけど、知らない土地のバスに初めて乗るのは不安があったね。間違って乗ったら違う方向へ行ってしまうから。幸い、失敗はなかったが、間違ってどこかへ行ってしまってもそれはそれで良い経験になっただろうと思う。
なんと、「自主研修」のしおりもそのまま残っていた。

各班ごとに計画をたてて、それをまとめてワープロで打てという先生の指示。たしか私は他班の分も頼まれて自宅のMZのワープロで打ったと思う。まだMZのフロッピーに残っている可能性がある。
それにしても良く調べてある。バスの時刻なんか、今ではスマホ一丁だけど、当時はそんなものはない。パンフレットとか旅行ガイド本を見たんだろうけど、全然記憶にない。
細かい時刻まで良く調べてあるのには感心する。単純に書き写しただけなのか、そうとも思えないが・・・いまさらわからない。



当時は携帯電話もポケベルもなかった(少なくとも我々は持っていなかった)。途中で何かトラブル等あれば、公衆電話からホテルに電話して引率の先生に取り次いでもらうしかなかっただろう。幸い、トラブルはなかったと思う。自分が知る限り。

これに旅程表が載っているので、撮影順と重ね合わせてみれば、どこで撮った写真かを知るヒントになりそうです。
12/6 鉄道で京都へ移動、現着16:30 (宿泊先:ホテルウオジ苑 今は無いようです)
12/7 自主研修 (各班ごとにそれぞれ計画をたてて京都市内を回る。夕方にはホテルに戻ってくる事)
12/8 長岡京の三菱電機を見学。その後、法隆寺 →奈良公園(東大寺・春日大社) そして奈良へ。奈良で宿泊。
12/9 門真の松下電器を見学。万博記念公園の民俗学博物館、大阪城、梅田花月、神戸港から阪九フェリーで小倉へ
12/10 小倉港に到着。あとはバスで移動。玉名(熊本)で昼食。フェリーで地元へ帰り。
自分たちの班の自主研修行動日程(概要)
8:30ホテル →9:30銀閣寺 →11:00清水寺 →13:10三十三間堂 →15:10二条城 →16:30ホテル
行ったこともない場所へ行く前に計画をたてて、もちろん予算とか時間もだけど、今のようにネットもないから調べ物は手間がかかったと思う。
どこかでバスに乗った記憶があるけど、知らない土地のバスに初めて乗るのは不安があったね。間違って乗ったら違う方向へ行ってしまうから。幸い、失敗はなかったが、間違ってどこかへ行ってしまってもそれはそれで良い経験になっただろうと思う。
なんと、「自主研修」のしおりもそのまま残っていた。

各班ごとに計画をたてて、それをまとめてワープロで打てという先生の指示。たしか私は他班の分も頼まれて自宅のMZのワープロで打ったと思う。まだMZのフロッピーに残っている可能性がある。
それにしても良く調べてある。バスの時刻なんか、今ではスマホ一丁だけど、当時はそんなものはない。パンフレットとか旅行ガイド本を見たんだろうけど、全然記憶にない。
細かい時刻まで良く調べてあるのには感心する。単純に書き写しただけなのか、そうとも思えないが・・・いまさらわからない。



当時は携帯電話もポケベルもなかった(少なくとも我々は持っていなかった)。途中で何かトラブル等あれば、公衆電話からホテルに電話して引率の先生に取り次いでもらうしかなかっただろう。幸い、トラブルはなかったと思う。自分が知る限り。
昔のネガ(続々々)
2024.03.24
とりあえず、これぐらいにしておきます。いずれ、また発掘されるかもしれません。
(1)これも京都のどこかだろうと思うけれど、どこだかサッパリわかりません。数十年後の自分に場所特定の挑戦状を叩きつけられたような気がします。

(2)これは「哲学の道」だったと思います。この撮影地点がどこなのかストリートビューで特定しようとしたが、観光客がたくさん写っていて、追うのが大変なので一旦あきらめました。

追記:
場所が特定できました。落ちそうな桜の木は、現在切り株だけになっています。
哲学の道は2キロほどあって長いです。あいまいな記憶では、ここから哲学の道なんだって・・・とか言いながら歩いていたので、その始点から見れば良いと考えてストリートビューで追ってみたら場所がわかった。
(3)これは説明不要ですね。

(4)これはなんだろうな。間違ってシャッターを押してしまったのでしょう。

(5)ツイン21タワー。当時気に入っていたビルでした。この修学旅行より前に大阪の親戚をたずねて、このビルの中で食事したりしたのを覚えています。

(6)これは実家の近くの海岸で、中学校の同級生たちと遊んだとき。いま、この風景はスッカリ変わっています。護岸工事で完全に変わりました。

(7)これは当時愛用のSC-3000とMSX。弟がチラッと写っている。

(8)これは中学校の図書室。悪ふざけか、大騒ぎをして校長先生に怒られている面々を撮影。

(1)これも京都のどこかだろうと思うけれど、どこだかサッパリわかりません。数十年後の自分に場所特定の挑戦状を叩きつけられたような気がします。

(2)これは「哲学の道」だったと思います。この撮影地点がどこなのかストリートビューで特定しようとしたが、観光客がたくさん写っていて、追うのが大変なので一旦あきらめました。

追記:
場所が特定できました。落ちそうな桜の木は、現在切り株だけになっています。
哲学の道は2キロほどあって長いです。あいまいな記憶では、ここから哲学の道なんだって・・・とか言いながら歩いていたので、その始点から見れば良いと考えてストリートビューで追ってみたら場所がわかった。
(3)これは説明不要ですね。

(4)これはなんだろうな。間違ってシャッターを押してしまったのでしょう。

(5)ツイン21タワー。当時気に入っていたビルでした。この修学旅行より前に大阪の親戚をたずねて、このビルの中で食事したりしたのを覚えています。

(6)これは実家の近くの海岸で、中学校の同級生たちと遊んだとき。いま、この風景はスッカリ変わっています。護岸工事で完全に変わりました。

(7)これは当時愛用のSC-3000とMSX。弟がチラッと写っている。

(8)これは中学校の図書室。悪ふざけか、大騒ぎをして校長先生に怒られている面々を撮影。

2024.04.10 06:59
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