疲れる夢
2024.10.13
昨夜の夢は、

なぜかプーチンとその取り巻きから銃を向けられて、追われるところから始まった。
(寝る前にウクライナ戦争の解説動画を見たせいだな)

命からがら逃げ出して、鉄道に乗って移動したような記憶だが、

夜になって腹が減ってきて、地元で(自分の出身地の近く)行きつけ?のそば屋に行きたくなったが、
その道中、街灯がなくて真っ暗な中を歩いていった。記憶だけが頼りだ。

明るい場所が見えてきた。
なぜかパチンコ屋があり、(実際、昔はそのそば屋の隣にパチンコ屋が有った。ネオンのパの字が消えていたのでよく覚えている)

パチンコ屋の中に、そのそば屋があるという奇妙な店で、店員が真面目に働かないし、こんな店で大丈夫かと思いながら注文

とりあえず食事は出来たが、

そのあとはどういうわけかジャンク屋の祭りなのか、そこらへん一帯にガラクタの出店が並んでいるような場所へ。

(これは修理屋の今井さんの動画を見たせいだな)

(夢の中で大量にお宝ゲットして満足したら目が覚めて、何も残っていない現実でガッカリするよな)

そのあとは良く覚えていないが、すぐメモすれば良いのにと思いながらなかなかできない。

とにかく、あちこち歩き回って色んな体験をするという、疲れる夢だったというのが全体的な感想。

Youtubeで見た内容が直接あるいはアレンジして夢の中に反映されるようなので、もうちょっとそのあたりを意識して視聴するようにするか。

あと、夢は白黒だという人がいるけど、自分は基本的にカラー。ただ、少々薄暗い感じはする。昭和のあの頃を思い出しているのかもしれない。

昔のアルバムを見たら白黒写真ばっかりだから、自分が生まれる前までの世界は白黒だったと思い込んでいた。
漫画
2024.10.13
小学校低学年の頃、ドラえもん等の影響か、漫画にも興味を持ち始めた。

漫画雑誌などに漫画の描き方といったページもあった。そこで、自分で漫画を描こうとし始めたのである。
それ以前から落書き帳に色々描くのは好きだったが、ちゃんとコマ割りして漫画らしい漫画を・・・

まずはストーリーを、というところでつまずき、それからラフに描いて、下書きをしてペンを入れて、・・・・・・ああ面倒くさそう。そんなことよりも、絵を描こうよと。

しかし、線を描いてみても、何か違う。本に載っている漫画と違う。何がどんなふうに違う?

それ以前にヘタクソだったからまずは練習すべきだったろうけど、その当時はそう思わなかった。印刷したようにキレイに描くにはどうしたら良いか?という方向へ進んだ。

そうだ、漫画家の先生たちと「同じ道具を使わないと駄目」だと思いつき、

本を見ると、黒インク、開明墨汁とか、それとカブラペン、Gペン、丸ペンといったものが紹介されていた。

なぜか家にはカブラペン(軸と、交換用のペン先がたくさん)があったので、それに墨汁をつけて描いてみたりした。

ペンにインクをいちいち付けるよりも、万年筆だったらいちいち付けなくて良いじゃないか、とも考えたかもしれない。

結果的に、やっぱり道具の問題じゃなくて・・・絵はヘタクソなまま現在に至る(笑)

根本的な部分には、面倒くさがりと、持続力の無さと、丁寧さに欠けていたと思う。字も絵もヘタクソなままだ。


小学校のテストの答案用紙の裏に、色々落書きをしていた時期があった。
表面の問題はサッサと解いてしまって(または、わからなくて飛ばして)、あとの空き時間には裏面に落書きをした。

ある時に、(担任の代わりに来られた)教頭先生が言われた。「時間が余ったら裏面に落書きをしてもいいよ!」と。
このことをしっかり覚えていて、「そうして良い」ものと思い込んでいた。

ところが後日、同じように落書きをしていたら担任の先生に見られて、「何やってんだ」「いまはそういう時間じゃないぞ!」と怒鳴られ、昭和なので当然いきなり殴られ・・・

結局、なにを信じたら良いのか、いままで乗っていた台がいきなり消失したような気持ちになったのであった。

今だったら、もう少し大目に見ろよと思うんだが。落書きも良いけど、もう一度、おもての問題と答えを見直してみてね!ぐらいは(自分が担任だったら)言うだろう。

余談だが、
「ドラえもん百科」(方倉陽二)で今も印象に残っている事

「紙とペンがあればできる商売は何か?」という問題に対する解答は、「紙とペンを売る!」
これを漫画家の先生が書いていたのだから面白い。
モデムの自作
2024.10.12
初期の頃、モデムを自作しようという動きもあった。

電話回線に接続する機器は認定を受けなければならないが、製作記事ではあくまでも「内線用」という建前になっていた。

「ラジオの製作」で丹治さんのモデム、そしてI/OにNHKのパソコン通信講座の記事があって、そこにもモデムの回路図など載っていた記憶。

当時は沖電気のモデムICがあった。

どちらの製作記事も純粋にデータの変調・復調と回線I/Fまでしかないから、ダイヤルを回すのは併設の電話機から。

ORG(オリジネートモード)、ANS(アンサーモード)という切り替えスイッチがあったのを覚えている。こういった、どうでも良い事は良く覚えていて、いま記憶だけで書いた。
発信側、着信側の切り替えスイッチである。

後のモデムではそんな切り替えは不要となった。

モデムはアイワなどから製品が出ていたと思う。当時の通信速度は確か300bpsか1200bpsだった。

音響カプラといって、黒電話の受話器がピッタリはまるようになっていた装置もあった。自分は使った記憶がない。
端末の自由化以前は電話回線に自由に機器を接続することができず、規制が厳しかった。そのため、電話線と電気的に接続しなくて済む音響カプラが登場したという経緯だったと思う。

音響カプラは、モデム全盛の頃にも持ち運び用の機種があった。公衆電話の受話器に装着して使う想定だったと思う。わりと最近、その音響カプラを使って公衆電話から通信する動画を見た。
ISDN公衆電話はモジュラージャックがあったから、モデム内蔵PCから直接つないで発信することができた。

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