昔のLAN
2025.06.18
これは昨夜の夢の話

なぜか学生の頃の下宿屋で、MSXによってLANを構成していた。
まだイーサネットなど一般家庭には普及していない頃

(現実には、RS-232Cを利用した簡易的なネットワークを構成していた研究室がある。CP/M手作りマイコン入門だったか、なんかそのあたりの本に書いてあった)

カセットI/Fの信号を延長してお互いを接続するというやり方で、
実際に中学生の頃、近所のMSX持ちの奴と線を引っ張って通信しようと妄想していたもの。

ただ、いつ"CSAVE"、"CLOAD"するか、そのタイミングがわからないので、連絡用のインターホン回線としても兼用できなければならない。
いまから送るよ、いいよ、という感じ。

夢の中では、何やら本格的な装置を作っていて、それで各部屋を配線していた。

(現実には、当時はRS-232Cインターフェースを作るのがやっとだった)

なんと、そのLAN経由で他のMSXが操作できるという。リモートデスクトップみたいな機能もあった。

なぜか、途中からMSXではなくWindows画面にかわっているのが夢のおかしなところ。

これじゃセキュリティもへったくれもない。自分のPCが勝手にいじられそうになって心配していた。
老眼鏡デビューならず
2025.06.17
いよいよ老眼鏡が必要かなと一大決心して、
数年ぶりに眼科へ行き、視力測定と、久しぶりなので簡単に目の検査をお願いしました。

処方箋がもらえるものと思っていたら出なくて、簡単に口頭で・・・ 必要なら、+1.00の老眼鏡を100均で買ってくださいという。

眼底検査なども受けて、眼圧が正常値の中では高い方ですと言われたのと、あとはドライアイ。目に傷がついているという。
眼圧については半年か1年に一度の検査を。

ドライアイ、ああそういえば、目がゴロゴロするなと思っていた。冬で湿度の低い時だったので、仕方ないかと勝手に思い込み。
仕事に集中できないというか続かない時があるのも、これのせいか。

いまは湿度が高いのに、それでもドライアイ。うーん、診てもらってよかった。なんでもっと早く相談しなかったのか自分。

目薬が2種類出て、眼精疲労とドライアイ用。

視力検査(Cとひらがな、覗き込んで気球が見えるやつ)の後、
あの苦手な眼圧検査(プシッ)と、何やら色々とのぞきこんで検査する機械各種。いずれも、目を開いたまま耐えないといけない。
途中で集中力が途切れた。まばたきするなって言われたのに、ついうっかり。

赤いプラスが見えて、線が動くやつとか、ピカッと光って、目に残像が残るやつ。
緑色の点を両目で見つめるのも。

薬を受け取り、会計を済ませて
その足で眼鏡屋さんに行ってみたが、遠近両用眼鏡はどんなものでしょうか等と色々と質問したり相談してみた。
レンズを入れ替えて見え方を試したりした。
遠近は、慣れが必要らしい。

あまり商売っけが無いのか、暇なのか、商品を買うような流れにはならず、色々有難うございましたと言って帰ってきた。

結局、近視のめがねをはずして見えてるなら現状で良いでしょうという結論。

確かにデスクワークで近視めがねをはずして拡大鏡を使うから特にいらないのだけど、たまに現場に入って狭いところを調べる時なんかにいちいちめがねをずらして見るのが不便だからなんとかしたかったのだが。
沖縄へ
2025.06.17
なぜか、信用金庫だか銀行だか知らないが、その店舗の中を通って出たところに砂浜があり、いわゆるプライベートビーチ

沖縄の海の水は澄んでいるねえ~
でも、そこらへんのプールの水だって?(比べる対象が違うだろ)

それにしても、泳ぐ準備もしてないのに、そもそも泳げないのに、なんでこんな所へ来た?

なぜかATMは正常に動かず、役立たず。

ひとつ注意されたのは、紙幣を引き出した時に枚数が違っていることがあり、多かった場合そのまま出ていくと罰せられるという。
そこでまた数え直して、ヨシ。
わけのわからない展開でした。

沖縄へ行く、という夢でした。

別に行きたいという願望はないのだけど。

寝る前に読んだ本の影響でもなさそう。Dr.マシリト最強漫画術。全然関係なし。
めがね屋さん
2025.06.16
前回めがねを買い替えたのは10~15年ぐらい前だったか・・・ずっと長持ちです。

高校生の頃はメタルフレームのめがねでした。
それは意外と簡単に折れてしまい、とりあえず自分ではんだ付けして使っていました。
めっきされているので、そのままではハンダがキレイにつきません。ヤスリでゴリゴリこすって、真鍮の地肌を出してやる必要がありました。
そのあとめがね屋さんに持っていったら、上手につけてるじゃないって褒められてゴキゲンでした。
それでもハンダ付けは強度が低く、また外れたので買い替えたと思います。

ふちなしも使ったことがあります。軽いのが好みだったのでした。
壊れやすいとは言われていましたけど、最後まで割れることはありませんでした。

さて、今度はいよいよ老眼鏡デビューです。

めがね屋さんを探してみて気づきました。
いまでは個人経営の店ってほとんど無い!
大手安売りチェーンばっかり。

確かに安いんでしょうけれど・・・地元経済に微妙に微力ながら貢献するには、個人経営の店のほうが良いかなと思ったのです。

だけど高いでしょうね。5万とか10万とか言われると、ちょっと無理です。

個人的に、予算はせいぜい2~3万かなと思います。

大手安売りチェーンの6000円だの8000円だのは、安いでしょうけど、すぐに壊れるようではいけません。

過去に眼鏡を買ったのはほとんど個人経営の店ばかりでした。大手安売りチェーンでも一度か二度は買ったことがあります。
有線放送
2025.06.16
有線放送というと、あの飲食店などでBGMを流しているアレですか・・・と言われそうです。

個人的には、有線放送電話を先に思い出します。まだまだ有りますが、全国的にずいぶん少なくなりました。

スピーカー付き電話機から定時放送が流れ、放送時間外には通話もできるというものでした。

いまでは「防災ラジオ」に置き換わったりしています。

昔は電電公社(現NTT)の電話の整備が追いつかず、特に地方や農村では有線放送電話が普及しました。

但し、1軒ずつ独立した回線ではなく、近辺の10軒か20軒程度の電話機が全部並列につながっていましたから、区別ができません。「何番さ~ん」とスピーカーで呼びかけなければなりませんでした。
その方式は各種あり、1台ずつの鳴り分けができる物もあったようです。(手元に1台あるのがそれで、内部にリレーが仕込まれている)

複数の電話機が並列接続されているので、他人の通話を聞こうと思えば聞けたのですが、のちに対策されました。本体のスピーカーから漏れて聞こえたそうです。たとえばバリスターを組み込んで、ある程度高い電圧のかかる放送時しか音が出ないようになりました。

自分が実際に有線放送電話を見たのは幼い頃で、自宅には無くて、祖父・祖母の家と店でしか見る機会がなく、たまたま行った時ぐらいだったのでほとんど記憶にありません。

昼に音楽などが流れていたのをかすかに覚えているぐらい。ラジオ放送をそのまま流していたような気がします。

いつ廃止になったのかもさだかではありません。以前ずいぶん調べたけれど、農協に関しては記録を見つけきれていません。農協の統廃合の影響もあるかもしれません。

放送と通話は同時にできませんから、時間割で放送の時間と通話の時間が決められていました。

放送時間中でも緊急の用事で電話を使いたい時があります。
そんな時には割り込みボタンを使いました。受話器をかける所にある赤いボタンを押すと交換台に知らせる事ができました。
この赤いボタンは深く押さないと反応しない為、受話器をかけた状態ではONになりません。

仕組みは簡単で、1KΩの抵抗を回線につないでいました。これで直流ループができて交換台のランプが光って知らせる仕組み。

私の出身の町では昭和52年初めまで、電電公社の電話も手動交換だったのです。それからクロスバー交換機による自動交換に変わり、たぶんその後ぐらいに農協の有線放送電話も廃止されました。

農協の建物は残っていませんが、当時は二階に放送と交換を行う部屋があったと聞きました。一度も上がってみたことがないのは残念です。
廃止後に全部撤去されてしまったのかもしれません。

各家の電話機や電柱、電話線はずいぶん後まで残っていて、回収されなかったのか、回収もれだったのか、各自で自由に処分してくださいだったのかわからないけど、

よその家に行くと、まだ取り付けられたままになっていたりしました。
知り合いの家に頼んで、その電話機を取り外してもらってきたりしたものでした。

中には、シロホンとアンプとマイクが有り、そこから地区内へ放送できるようになっている家もありました。これと有線放送電話との関連は不明です。

小学校に行く途中の畑の中などにスピーカーの付いた電柱が建っていて、これもずいぶん後まで残っていたりしたものですが、いま改めて見ると、町内のどこにも見当たりません。
どこにあったのかも、記憶がなくなりました。

こうして、忘れ去られて歴史の中に消えていくのでしょう。

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