切削加工基板
2024.09.15
最初の頃(2007年~)は、自分で購入したCNCを使い切削基板を作っていた。オリジナルマインド COBRA2520

その前に勤めていた会社でCNCを買って、それ以前から切削基板は主に社内で活用していたのだが、とくに試作で同じものを何台も作るときには非常に助かっていた。
ユニバーサル基板で同じものを何台も、というのは本当に勘弁してほしかった。面倒くささマックス。

基本的に片面ながら、パターンが配線されていれば手間暇が全然違う。ずいぶんラクになったし、配線もスッキリした。



それこそ色んなものを数え切れないぐらい作った。

ただ、パターン同士の隙間に削りカスが挟まっていたり、ハンダ付けをうまくやらないとショートしやすい欠点はあった。そこで顕微鏡で見ながら削りカスを除去するなどの手間はかかっていた。

銅箔の研磨も兼ねて、スコッチブライトやスチールウールで擦っていたけど、その時に削りカスもある程度は落ちる。完全には落としきれない。

パターンを引くのはどうしたかというと、これはもう完全に手作業で、最初の頃は基板設計CADをうまく使えなかったから、
フリーソフトの2次元のCADを使い、2.54mmピッチあるいは1.27mmといったグリッドに補助線でパターンを描いていき(配線済みの線は紙の回路図の塗りつぶしを行う)、
パターンの太さに合わせて、たとえば0.3mmだったらオフセット0.15として両サイドに膨らませ、最終的にパターンの断片同士をつなぎ合わせる編集を行っていた。
何のことやらわけがわからんだろうな。

基本的に片面パターンで済むように、最低限のジャンパー線で済むように、部品配置や配線の仕方、回路の見直しまで行いながら進めていた。

ガーバーデータから輪郭線を抽出すれば・・・というのは分かっていたが、いまいちうまくできなかったのか、忘れたけれど結局やらなかった。

それでさっきのCADからDXF出力し、CAMソフトを使って、パターンデータ、穴あけデータ、外形データの3つに分けて出力し、CNCへ持っていって加工していた。

MITSかLPKFの基板切削加工機も検討していて、一番安くて80万ぐらいだったけど、一時期マジで買おうと思って(躊躇する金額だったが)メーカーに電話してやりとりをしたこともある。

でも、その当時でも基板を安価に作れる所は使っていたから、そっちを利用する方が手間や自分の時間はかからないので、結局その機械は買わなかった。

実際の加工に戻るが、

まずパターンを削り出し、
次に穴あけを行って、(刃物を交換)
最後に外形の切り出しを行う(やはり刃物を交換)。

自動的にツールチェンジしてくれる仕組みがあったらいいなあ、と思いながらやっていた。

材料投入から完成品まで、洗濯機みたいに洗濯物と洗剤を放り込んでボタンを押せば、あとは洗濯が終わるのを待つだけ、みたいなのが理想だった。

銅箔を研磨した後、フラックスを塗る。これは銅箔の酸化を抑えるためとハンダ付けしやすくするため。
レジストはできないか。よくある緑色の被膜。これは一時サンハヤトのスプレーを検討したが、選択的にできない、つまりハンダ付けする部分にも付着するため、使えないなあ、と。

ハンダ付けする部分に付着したレジストをいちいち削ってからハンダ付けするのは面倒すぎる。

ハンダ付けする部分を隠すようなマスクが作れたら、と考えたけれど難しい。ポジとネガの関係というか、板に穴あけをして塗装用のマスクを作ろうとしても、隠したい部分は・・・

説明が難しい。

隠したい部分は部品の取付穴など点在していて、板に穴あけのマスクは作りにくい。プリント基板の製造工程では確か写真法で、レジストをかけない(除去したい)所を露光するようなマスクだったと思うけど、
レジストを残したい部分は光を当てないようになっている。
きゅうしょく
2024.09.14
好き嫌いが多いので給食は良い思い出ばかりではないが・・・

牛乳に混ぜてコーヒー牛乳にする粉
ミルメークは、チューブ状のものではなく顆粒状の袋入りで、
牛乳(当時は瓶)に混ぜて飲む。
牛乳のフタ(紙)をとって、いきなり入れると粉を入れた分だけあふれるから(最初はそんな事も考えずにやってしまったが)、
ちょっとだけ牛乳を飲んで減らしてから粉を入れる。
長いストローを使って、かき混ぜてよく溶かしてから飲む。
単なる牛乳はおいしくなかったから、ずっとコーヒー牛乳にしてほしかった。

牛乳瓶は重いから、後で三角パックに変わったっけ。
そうなると、どうやって粉を入れるかという課題が出たと思うが、その頃にはミルメークは出なくなったような気がする。

ラーメンは一度だけ出た。それっきりだった。野菜が少なく、栄養に欠けるから出なくなったのかも。

くじらの肉は、何か黒っぽいサイコロ状のものが2個ぐらいだったか。いまでは貴重品かもしれないが、どうも苦手でおそらく一度も食べなかった。

こんにゃく。
細長いのがそれ一個だけ皿に載って出てきたが、ぐにゃぐにゃしておいしくなかった。
あの頃、喉の感覚が敏感だったようで、うえっとなっていた。
お腹の掃除になるから食べなさい!!と言われても、どうやって掃除をしているのかそのメカニズムが解明されないと納得できなかった。(まさに文字通り、腑に落ちない)

低学年まではパン食で、その後から米飯になったっけ。

先割れスプーンから、箸に変わったのも同じ時期だったかもしれない。

食器は全部アルマイトで、お盆だけ教室で洗って保管しており、洗い方がいい加減だから臭いが残ったりしている物もあった。

熱い器の下にマーガリンの袋を敷いておくと熱で柔らかくなり、絞り出しやすくなる。放置しすぎると液体になって、かえって扱いにくくなる。
細く絞り出し、パンに好きな絵を描いたりして遊んだっけ。

欠席の子の分のパンは、その近所の者が持っていく事になっていたが、面倒くさくて結局持って行かなかったような。

ピーナツバターが好きだった。いま買って食べても当時のような感動がない。なんでだろう。舌が肥えすぎたか。

タカベビー(タカ食品)といって学校給食のジャムなどを作っているメーカーがあり、小売や通販でも購入できるので、以前いろいろ買ってみたが、やはり当時のような感覚ではなかった。自分の味覚が変わったんだろうな。

皿うどんが出たのも地元らしく、ちゃんと揚げ麺にあんかけをかけていた。パリパリ麺。

小魚とアーモンドの小さな袋入り、これはスーパーでも買えるのでたまにカルシウム補給のため食べたりする。小魚が口の中に刺さるので、袋のまま揉んで細かく割ってから食べると良い。
五十肩と、まほーのステッキ
2024.09.14
年始頃から痛かったのですが、いわゆる五十肩
イカンこのままじゃ、まほーのステッキが振れなくなるじゃないかと。

パンプルピンプル・・・

だけど左肩だから大丈夫か。ステッキは右手で持つから。

両手を上に上げると、左手はきれいに上がらなくて痛い。右手はなんともない。

病院はとにかく苦手で、ネットの口コミを見るたびにゲンナリして、やる気が激減していた。
とくに市内の整形外科はどこも評判が悪いようだ。

ひとつ徹底的に酷評されている病院があり、かえって興味をもった。試しに行ってみようと思ったが、どうなんだろう。

痛みはじめた原因はわからない。
例のレーザーカッターを荷造り発送や設置するときに重いのを運んだせいか。(時期的に重なる)

それとも新コロワクワクのせいか。(にわか陰謀論者)

痛み始めた頃は常に痛かったり、寝ている間に痛くなって目が覚めたりしたが、最近は落ち着いていてそれらの痛みは無くなっていた。
腕をのばしたりひねったりした時に痛むぐらいで、平常時は何ともなかった。

以前(別の症状で)かかった他の整形外科はまともに診てくれなくて、「なんともないよ」「ひどくなってから来い」と本当に言われた。先生、痛いんですと言っても何もなし。こんな事を3回繰り返したら、もうそこへ行くのは止めた。
こんな調子じゃ整形外科に行っても無駄足かと、代わりに鍼灸へ通ったりもしたが、ずっと痛みが続くのでちゃんと診てもらってハッキリさせよう。

行くぞ、行くぞと毎日念じながら1ヶ月ぐらいか。ようやく重い腰を上げた。

土曜日の受付時間は昼までなので、その1時間ぐらい前に行ったら空いていないかと予想して行ってみた。(みんな昼飯食いたいだろうからね)

こんにちは、はじめてです。

だいたい30分後ぐらいに呼ばれて、診察があってレントゲン撮影。それから1時間ぐらい待って、また診察があって今度はエコー撮影。

骨はきれいですね。

炎症がありますね。これは五十肩ですね。

リハビリを受けますか。はい。

それでは予約を。

来週からリハビリを受ける事になった。(おそらく低周波の治療と運動)

その係の方が来られて予約表を広げたが、いつにしますかって言われてもびっしり埋まっている。
自営業の利点で、といっても平日の昼間なんかみんな埋まってる。
どうにか空きをみつけて入れてもらった。

予約を終えて、ようやく病院を出たのは12時半ごろ。
まだ診察待ちの方が数名待合室におられたので、先生たちは昼休みもなさそう。

自分でできる運動のプリントをもらったので、さっそく自宅でやってみる事にする。

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