丹治佐一さん
2024.03.28
「ラジオの製作」に載っていた丹治佐一さんの記事は、ほかの筆者さんたちとはちょっと違って、好奇心をそそられる内容が多く、個人的にはビンビンくるものがありました。
マイコン、パソコンを利用したものが多かったと思います。LEDドットマトリクスでオシロを作ろうとか最高!じゃないかと当時思いました。
脱線するけど、そのオシロの仕組みはユニークでした。
基本はレベルメータのICなのです。当時LM3914だったと思う。ラジカセ等についていたレベルメータはLEDが一列に並んでいて、音量に合わせて光る数が変わっていました。
要するに、これがオシロの電圧軸になり、あとは時間軸で走査していけば波形が表示できるじゃないか、ということだったと思います。
あと覚えているのは「プリンタ・ディスプレイ」
私がHB-101のプリンタポートを利用してLEDをチカチカさせたり、リレーを動かした話は書きましたが、
同じようにプリンタポートを利用した製作記事で、7セグLEDに数字を表示するものでした。確か4桁で、BASICのLPRINTから自在に数字を表示できました。
たったそれだけかと今の時代じゃ言われそうですが、当時はとても興味がありました。
これができるなら、あんなこともできるんじゃないか、という応用に気付かされる面もありました。
トイレの電灯を自動的にON/OFFしようという記事もありました。アイデアがユニークなんですよね、この方は。
消し忘れなどの経験から考えついたのかもしれません。それをわざわざ自動化しようというのが大したものです。
ほかの著者の方の記事でも同じ目的のものがあり、そちらはステッピングリレーを使っていました。要するに多接点のロータリースイッチを電磁石で一コマずつ進めるような仕組みです。
ドアにスイッチを仕込んでおいて、開閉のたびにスイッチがON/OFFするのでステッピングが進みます。
たとえば、偶数の接点を並列にしておき、偶数の時に電球が点灯するようにしておけば、交互についたり消えたりするわけです。
中途半端に開閉したりすると、
ON/OFFがズレてしまうんじゃないかと思うのは当然で、そんな時はドアを開閉して合わせてあげなければなりません。
丹治さんといえば「バックアップ活用テクニック」でのご活躍を思い出す方もおられると思いますが、個人的には「バッ活」は数えるほどしか見たことがありませんでした。
ド田舎で育ちましたから、本屋なんか身近にありません。新聞屋の片隅に婦人雑誌とか漫画がチョロッと置いてある程度。
隣町に本屋があったけど、結局パソコン関係の本は無く、独り言で「やっぱりここには無いね」と言ったら親父に(失礼だろと)怒鳴られたのを覚えています。
大きな町に出かけないと、パソコン関係の本が置いてある本屋は無かったし、そんな本屋でも必ずしも売っているとは限りません。
高校生になってから、友達から借りて読むようになりました。必要なところは複写して今も保存してあります。当時はそんなお金も貴重でした。それでも10冊も読んでないと思います。わりと近年になって、総集編を買ってようやく満たされた感じです。
だから自分は、バッ活の知識はとても乏しかったのです。もっと早くから注目しておけばよかったなと。しかしラジオライフは時々買っていたので、そっちのほうがずっと興味があったのかもしれません。
マイコン、パソコンを利用したものが多かったと思います。LEDドットマトリクスでオシロを作ろうとか最高!じゃないかと当時思いました。
脱線するけど、そのオシロの仕組みはユニークでした。
基本はレベルメータのICなのです。当時LM3914だったと思う。ラジカセ等についていたレベルメータはLEDが一列に並んでいて、音量に合わせて光る数が変わっていました。
要するに、これがオシロの電圧軸になり、あとは時間軸で走査していけば波形が表示できるじゃないか、ということだったと思います。
あと覚えているのは「プリンタ・ディスプレイ」
私がHB-101のプリンタポートを利用してLEDをチカチカさせたり、リレーを動かした話は書きましたが、
同じようにプリンタポートを利用した製作記事で、7セグLEDに数字を表示するものでした。確か4桁で、BASICのLPRINTから自在に数字を表示できました。
たったそれだけかと今の時代じゃ言われそうですが、当時はとても興味がありました。
これができるなら、あんなこともできるんじゃないか、という応用に気付かされる面もありました。
トイレの電灯を自動的にON/OFFしようという記事もありました。アイデアがユニークなんですよね、この方は。
消し忘れなどの経験から考えついたのかもしれません。それをわざわざ自動化しようというのが大したものです。
ほかの著者の方の記事でも同じ目的のものがあり、そちらはステッピングリレーを使っていました。要するに多接点のロータリースイッチを電磁石で一コマずつ進めるような仕組みです。
ドアにスイッチを仕込んでおいて、開閉のたびにスイッチがON/OFFするのでステッピングが進みます。
たとえば、偶数の接点を並列にしておき、偶数の時に電球が点灯するようにしておけば、交互についたり消えたりするわけです。
中途半端に開閉したりすると、
ON/OFFがズレてしまうんじゃないかと思うのは当然で、そんな時はドアを開閉して合わせてあげなければなりません。
丹治さんといえば「バックアップ活用テクニック」でのご活躍を思い出す方もおられると思いますが、個人的には「バッ活」は数えるほどしか見たことがありませんでした。
ド田舎で育ちましたから、本屋なんか身近にありません。新聞屋の片隅に婦人雑誌とか漫画がチョロッと置いてある程度。
隣町に本屋があったけど、結局パソコン関係の本は無く、独り言で「やっぱりここには無いね」と言ったら親父に(失礼だろと)怒鳴られたのを覚えています。
大きな町に出かけないと、パソコン関係の本が置いてある本屋は無かったし、そんな本屋でも必ずしも売っているとは限りません。
高校生になってから、友達から借りて読むようになりました。必要なところは複写して今も保存してあります。当時はそんなお金も貴重でした。それでも10冊も読んでないと思います。わりと近年になって、総集編を買ってようやく満たされた感じです。
だから自分は、バッ活の知識はとても乏しかったのです。もっと早くから注目しておけばよかったなと。しかしラジオライフは時々買っていたので、そっちのほうがずっと興味があったのかもしれません。
PC-286BOOKにSCSI
2024.03.27
これは相当古い。90年代前半の話。
その頃、SPC-SCSIというのが有って、MB89352を(本来SCSIが内蔵されていない機種に)組み込んで動かすのが流行っていました。
なんと、ワープロ専用機に組み込んだ人もいました。(当時トラ技の記事あり)
このためのSCSIドライバがフリーソフトで公開されていたので、本当に有り難かった。
ほかにもSCSI接続の試みは有って、EasyHardというのだが、ケーブル1本だけでSCSIのHDDをつなぐ。もはや専用ICすら不要。
ダイナブックのパラレルポートを利用したもので、電気的にはSCSIの規格を満たさないところもあるが一応動くというもの。
残念ながらPC98系では片方向しかデータが行かないので原理的にできませんでした。AT互換機はデータが双方向だったのでこんな事もできたんですね。
当時の私に依頼があったのは、PC-286BOOKというEPSONのPC98互換機にSCSIを組み込めないか、という話。パソコン通信仲間の学校の先生から。
オプションのモデムを組み込む部分があり、そこが引き出しのようになっているので、ここに何とか(基板とコネクタが)おさまらないか、と。
当時はサンハヤトの感光基板、その片面パターンでMB89352と終端抵抗や周辺ICを載せた基板を手作りしたものでした。
実際に作ってテストした時の写真が昔のネガの中に残っていました。


(お気づきかもしれないが、ネガを裏返しにしてしまった!)
確か、配布されていたドライバでは(PC286BOOK上では)I/Oアドレスが競合するので、自分でSYMDEBを使い、空いているI/Oアドレスにパッチを当てて書き換えたのでした。
これを含めて、2~3点ほど試行錯誤があったような記憶です。
思い出してみると、ソースをアセンブルしようにも86用のアセンブラがなかったか、有ったと思うけれど。手っ取り早いのはパッチだなと思ったんだろう。SYS(ドライバ)をデバッガに読み込み、逆アセンブルしながらI/Oアクセスの命令を探して、書き換えて、保存した、というのが手順。
今さらこんな事を書いても仕方ないけど、SCSIのHDDから起動はできません。(起動の為のROMはない)
まずフロッピーから起動して、SPC-SCSI用のドライバを組み込んでから初めてSCSIが使えるようになります。
それでも当時は不便とは思いませんでした。HDDやMOが使えるようになっただけで、まるで今までとは天と地のような差を感じました。
確か依頼主は小学校の先生だったかな。これを見たその先生の知り合いの先生も、自分も欲しいと言い出してもう1台作っておさめたような記憶です。
確か最初の1台だけは手配線で作ったはず。何度も手配線で作るのは大変だから、それで感光基板で何枚も作れるようにしたわけだ。
その頃、SPC-SCSIというのが有って、MB89352を(本来SCSIが内蔵されていない機種に)組み込んで動かすのが流行っていました。
なんと、ワープロ専用機に組み込んだ人もいました。(当時トラ技の記事あり)
このためのSCSIドライバがフリーソフトで公開されていたので、本当に有り難かった。
ほかにもSCSI接続の試みは有って、EasyHardというのだが、ケーブル1本だけでSCSIのHDDをつなぐ。もはや専用ICすら不要。
ダイナブックのパラレルポートを利用したもので、電気的にはSCSIの規格を満たさないところもあるが一応動くというもの。
残念ながらPC98系では片方向しかデータが行かないので原理的にできませんでした。AT互換機はデータが双方向だったのでこんな事もできたんですね。
当時の私に依頼があったのは、PC-286BOOKというEPSONのPC98互換機にSCSIを組み込めないか、という話。パソコン通信仲間の学校の先生から。
オプションのモデムを組み込む部分があり、そこが引き出しのようになっているので、ここに何とか(基板とコネクタが)おさまらないか、と。
当時はサンハヤトの感光基板、その片面パターンでMB89352と終端抵抗や周辺ICを載せた基板を手作りしたものでした。
実際に作ってテストした時の写真が昔のネガの中に残っていました。


(お気づきかもしれないが、ネガを裏返しにしてしまった!)
確か、配布されていたドライバでは(PC286BOOK上では)I/Oアドレスが競合するので、自分でSYMDEBを使い、空いているI/Oアドレスにパッチを当てて書き換えたのでした。
これを含めて、2~3点ほど試行錯誤があったような記憶です。
思い出してみると、ソースをアセンブルしようにも86用のアセンブラがなかったか、有ったと思うけれど。手っ取り早いのはパッチだなと思ったんだろう。SYS(ドライバ)をデバッガに読み込み、逆アセンブルしながらI/Oアクセスの命令を探して、書き換えて、保存した、というのが手順。
今さらこんな事を書いても仕方ないけど、SCSIのHDDから起動はできません。(起動の為のROMはない)
まずフロッピーから起動して、SPC-SCSI用のドライバを組み込んでから初めてSCSIが使えるようになります。
それでも当時は不便とは思いませんでした。HDDやMOが使えるようになっただけで、まるで今までとは天と地のような差を感じました。
確か依頼主は小学校の先生だったかな。これを見たその先生の知り合いの先生も、自分も欲しいと言い出してもう1台作っておさめたような記憶です。
確か最初の1台だけは手配線で作ったはず。何度も手配線で作るのは大変だから、それで感光基板で何枚も作れるようにしたわけだ。
テーブルタップの交換と分解
2024.02.28
テスターの手入れ(大した内容じゃないけど重要)
2024.02.19
CP/M移植(4)
2024.02.16
MZ-2000へのCP/M移植で重要な役割を果たしたのは8251ボード(自作)だ。
外部との通信あってこそ、移植ができた。
本体を後ろから見た時に拡張BOXの左側、上から2段目にプリンタI/Fのスロットがある。
そのプリンタI/F基板から配線を引き出し、自作のボードをくっつけた。
WindowsのPCでBIOSをアセンブルし、そのHEXをRS-232C経由でMZへ送る。
MZ側ではBASICでHEXの受信プログラムを作った。BIOSが実際にロードされる番地へ、受信したデータを書き込んでいく。
当然BASICは遅いからとりこぼさないように、送り出し側のPCでは十分にウェイトを入れた。とにかく確実性を重視した。
遅いのは見ているから遅く感じるのであって、ほかの用事でもやっていればいつの間にか終わっているものである。
とにかくMZのRAM上におさまれば、しめたもの。これをBSAVEでフロッピーに保存する。CP/Mを構成する他のファイルも同じようにした。
RAMに必要な物を全部ロードした状態で、BIOSの先頭番地へジャンプすれば、これでCP/Mが起動するわけである。
但し、ジャンプする前にフロッピーをCP/M用に(忘れずに)入れ替えておく必要がある。
この時点でのBIOSは、1文字入力、1文字出力を8251にしてある。RS-232Cで操作するようになっている。
MZには画面もキーボードもあるが、これらを一切使わずに、つまりワンボードマイコンとあまり変わらない状態で使っていたわけだ。
WindowsのPCのTeraTerm画面にCP/Mの表示、なんとも奇妙な感じだったが、とにかく動き始めた。
DIRなど実行するとフロッピーにアクセスし、確かにCP/Mが動いた。
外部との通信あってこそ、移植ができた。
本体を後ろから見た時に拡張BOXの左側、上から2段目にプリンタI/Fのスロットがある。
そのプリンタI/F基板から配線を引き出し、自作のボードをくっつけた。
WindowsのPCでBIOSをアセンブルし、そのHEXをRS-232C経由でMZへ送る。
MZ側ではBASICでHEXの受信プログラムを作った。BIOSが実際にロードされる番地へ、受信したデータを書き込んでいく。
当然BASICは遅いからとりこぼさないように、送り出し側のPCでは十分にウェイトを入れた。とにかく確実性を重視した。
遅いのは見ているから遅く感じるのであって、ほかの用事でもやっていればいつの間にか終わっているものである。
とにかくMZのRAM上におさまれば、しめたもの。これをBSAVEでフロッピーに保存する。CP/Mを構成する他のファイルも同じようにした。
RAMに必要な物を全部ロードした状態で、BIOSの先頭番地へジャンプすれば、これでCP/Mが起動するわけである。
但し、ジャンプする前にフロッピーをCP/M用に(忘れずに)入れ替えておく必要がある。
この時点でのBIOSは、1文字入力、1文字出力を8251にしてある。RS-232Cで操作するようになっている。
MZには画面もキーボードもあるが、これらを一切使わずに、つまりワンボードマイコンとあまり変わらない状態で使っていたわけだ。
WindowsのPCのTeraTerm画面にCP/Mの表示、なんとも奇妙な感じだったが、とにかく動き始めた。
DIRなど実行するとフロッピーにアクセスし、確かにCP/Mが動いた。