活線を切っちゃった話
2024.04.07
合戦といえば戦国時代の・・・、じゃなかった活線
通電状態の配線の事
ガキの頃は、まともな道具を持っておらず、小学校で使っていたハサミをニッパーやペンチ代わりにしていた。
電線を切ったり剥いたりと便利に使っていた。(本来の使い方じゃないけど)
それ以前は、自分の歯で被覆を噛みちぎったりしていた。エナメル線なんか、歯で挟んで塗装を削り落とし、ペッと吐き出していた。
新品の電線を扱う事は当時ほとんどなく、拾ってきたような切れっ端を扱う事が多かった。けっこう汚れた電線なんかも構わず口にしていた。吐き出せば良いだろうと。
そんな「原始時代」に比べたら、ハサミを使うようになっただけマシになったといえる。
ただ紙工作用のハサミだったから無理があった。電線が太くて切れない時でも強引に力をかけてブッタ切れという勢いがあった。
それで、まあ、確か真空管ラジオをいじっていた時だと思う。
電源コードがプラグ側で切れているのを見つけて、プラグを付け替えようとしたのかな。プラグ部分を切り落として、被覆を剥いて新しいプラグにネジ止めする手順。
コンセントから延長コードをひっぱってきており、それを抜いたつもりだったんだな。確か。
で、そのハサミで「貯金」とやったら、バチって。
家中が停電。
ハサミには、その痕跡がクッキリと。
通電状態の配線の事
ガキの頃は、まともな道具を持っておらず、小学校で使っていたハサミをニッパーやペンチ代わりにしていた。
電線を切ったり剥いたりと便利に使っていた。(本来の使い方じゃないけど)
それ以前は、自分の歯で被覆を噛みちぎったりしていた。エナメル線なんか、歯で挟んで塗装を削り落とし、ペッと吐き出していた。
新品の電線を扱う事は当時ほとんどなく、拾ってきたような切れっ端を扱う事が多かった。けっこう汚れた電線なんかも構わず口にしていた。吐き出せば良いだろうと。
そんな「原始時代」に比べたら、ハサミを使うようになっただけマシになったといえる。
ただ紙工作用のハサミだったから無理があった。電線が太くて切れない時でも強引に力をかけてブッタ切れという勢いがあった。
それで、まあ、確か真空管ラジオをいじっていた時だと思う。
電源コードがプラグ側で切れているのを見つけて、プラグを付け替えようとしたのかな。プラグ部分を切り落として、被覆を剥いて新しいプラグにネジ止めする手順。
コンセントから延長コードをひっぱってきており、それを抜いたつもりだったんだな。確か。
で、そのハサミで「貯金」とやったら、バチって。
家中が停電。
ハサミには、その痕跡がクッキリと。
ブレーカー操作禁止
2024.04.07
ブレーカーを落として作業中、誰かが勝手にブレーカーを上げて通電してしまうと危険。
そこで当然その対策は必須。
誰も操作しないだろう、と思うのは大間違い。対策しなかった方が悪い。
ブレーカー 操作禁止
ハンドルキャップ
ロックカバー
操作禁止 標識
投入禁止
ロックアウト
といったキーワードで検索すると、用品が出てくる。
なにもカギまでかけなくたって、と思うかもしれないけど、事故を経験すると考えが変わる。
実際に某怪社であった出来事・・・確か200ボルトを使う機器を試験していた担当者。(私ではない)
いつも使っている実験室には200ボルトは来ていない。そこで工場まで移動して、空いている回路を使わせてもらった。
その電線を接続しようとしたか、作業中いじっている時に感電した。何者かが勝手にブレーカーを上げた。
上げた側からしてみれば、なんで落ちてるんだろうと無意識に上げてしまったのかもしれない。
不幸中の幸いで、しびれただけで済んだ、と聞いたが・・・おそろしい。
そこで当然その対策は必須。
誰も操作しないだろう、と思うのは大間違い。対策しなかった方が悪い。
ブレーカー 操作禁止
ハンドルキャップ
ロックカバー
操作禁止 標識
投入禁止
ロックアウト
といったキーワードで検索すると、用品が出てくる。
なにもカギまでかけなくたって、と思うかもしれないけど、事故を経験すると考えが変わる。
実際に某怪社であった出来事・・・確か200ボルトを使う機器を試験していた担当者。(私ではない)
いつも使っている実験室には200ボルトは来ていない。そこで工場まで移動して、空いている回路を使わせてもらった。
その電線を接続しようとしたか、作業中いじっている時に感電した。何者かが勝手にブレーカーを上げた。
上げた側からしてみれば、なんで落ちてるんだろうと無意識に上げてしまったのかもしれない。
不幸中の幸いで、しびれただけで済んだ、と聞いたが・・・おそろしい。
ブレーカーを落としても電圧がかかっている話
2024.04.07
これはかなり以前の現場での経験
ある設備の修理に行ったのだが、ハイテク工場を支える裏方の機械室。ポンプ等が回っていて大変騒がしく会話も大変。規則上、耳栓を渡された。
まずは電源を切ろう、という事で社員の方にブレーカーを落とすようにお願いした。
ブレーカーを落としてきました。
よし、まずは検電器で確認して、さらに念の為にテスターで電圧をみてみる。
あれっ? 数十ボルトある。完全にゼロというわけではないのだ。
デジタルテスターだと高感度でノイズ的な電圧も拾ってしまうが、この時はアナログテスターを使った。
結果から言ってしまえば、ブレーカーからこの現場までのケーブルは長いし、ほかの回路のケーブルと一緒くたにダクトの中を通っている。つまり、他の活きている回路から電磁誘導を受けて、このブレーカーを落とした回路にも弱い電圧がかかっているというわけ。
もちろん触っても問題ないが、基本は極力触らないようにすること。安全のため。
家庭内の工事で「ほたるスイッチ」をOFFにしても、負荷側で50ボルト以上あったりするけれど、これは「ほたる」の漏れ電流のせいで、
やはり基本は工事する分岐回路のブレーカーを落とす事です。
そういえば「ほたるスイッチ」、昔はネオン管だったと思う。いつの間にかLEDに変わっていた。
以下は全然関係ない話。おまけ。
ほかの現場経験では、
店員さんに聞いてもブレーカーがどこにあるかわからない。それ以前に、営業中だから停電は困る。ブレーカー落とすな。
それなら壁のスイッチをひとつずつ切っていこう。でも、どのスイッチがどの器具につながっているかわからない、なおかつ、営業中に工事を無事終わらせてくれというのがあった。無茶を言うものだ。
スイッチなんか何十個も並んでいて、どれがどれだかサッパリわからなかった。そもそも書いてないし。店員さんもしらんという。
ガラス工芸品の店で高額なものが並んでいた。
脚立をぶつけたり、うっかりつまずいたりするとガラスを割ってしまいそうで怖かった。
古い照明器具をLEDに交換する工事で、器具はショーケースの中に1台か2台ずつ入っている。その古い物を取り出し、線を外して、新しい器具に付け替える。
線をショートさせないように外し、また差し込むところで最新の注意を払った。普通は活線作業はしない。
さすがに少しでも危険が予想される場所では、その高額な工芸品を一時的に撤去してもらって作業した。
何とか無事に終わらせたけど、これでできたんだと営業が自信を深めてもらっても困る。事前の調整が何もできてないじゃないかと。
あのー、ついでに2Fの電球も交換してもらえませんか、高いところにあって・・・
(そんなの見積範囲外なのに、仕方ない)1個だけですよと。
ある設備の修理に行ったのだが、ハイテク工場を支える裏方の機械室。ポンプ等が回っていて大変騒がしく会話も大変。規則上、耳栓を渡された。
まずは電源を切ろう、という事で社員の方にブレーカーを落とすようにお願いした。
ブレーカーを落としてきました。
よし、まずは検電器で確認して、さらに念の為にテスターで電圧をみてみる。
あれっ? 数十ボルトある。完全にゼロというわけではないのだ。
デジタルテスターだと高感度でノイズ的な電圧も拾ってしまうが、この時はアナログテスターを使った。
結果から言ってしまえば、ブレーカーからこの現場までのケーブルは長いし、ほかの回路のケーブルと一緒くたにダクトの中を通っている。つまり、他の活きている回路から電磁誘導を受けて、このブレーカーを落とした回路にも弱い電圧がかかっているというわけ。
もちろん触っても問題ないが、基本は極力触らないようにすること。安全のため。
家庭内の工事で「ほたるスイッチ」をOFFにしても、負荷側で50ボルト以上あったりするけれど、これは「ほたる」の漏れ電流のせいで、
やはり基本は工事する分岐回路のブレーカーを落とす事です。
そういえば「ほたるスイッチ」、昔はネオン管だったと思う。いつの間にかLEDに変わっていた。
以下は全然関係ない話。おまけ。
ほかの現場経験では、
店員さんに聞いてもブレーカーがどこにあるかわからない。それ以前に、営業中だから停電は困る。ブレーカー落とすな。
それなら壁のスイッチをひとつずつ切っていこう。でも、どのスイッチがどの器具につながっているかわからない、なおかつ、営業中に工事を無事終わらせてくれというのがあった。無茶を言うものだ。
スイッチなんか何十個も並んでいて、どれがどれだかサッパリわからなかった。そもそも書いてないし。店員さんもしらんという。
ガラス工芸品の店で高額なものが並んでいた。
脚立をぶつけたり、うっかりつまずいたりするとガラスを割ってしまいそうで怖かった。
古い照明器具をLEDに交換する工事で、器具はショーケースの中に1台か2台ずつ入っている。その古い物を取り出し、線を外して、新しい器具に付け替える。
線をショートさせないように外し、また差し込むところで最新の注意を払った。普通は活線作業はしない。
さすがに少しでも危険が予想される場所では、その高額な工芸品を一時的に撤去してもらって作業した。
何とか無事に終わらせたけど、これでできたんだと営業が自信を深めてもらっても困る。事前の調整が何もできてないじゃないかと。
あのー、ついでに2Fの電球も交換してもらえませんか、高いところにあって・・・
(そんなの見積範囲外なのに、仕方ない)1個だけですよと。
丹治佐一さん
2024.03.28
「ラジオの製作」に載っていた丹治佐一さんの記事は、ほかの筆者さんたちとはちょっと違って、好奇心をそそられる内容が多く、個人的にはビンビンくるものがありました。
マイコン、パソコンを利用したものが多かったと思います。LEDドットマトリクスでオシロを作ろうとか最高!じゃないかと当時思いました。
脱線するけど、そのオシロの仕組みはユニークでした。
基本はレベルメータのICなのです。当時LM3914だったと思う。ラジカセ等についていたレベルメータはLEDが一列に並んでいて、音量に合わせて光る数が変わっていました。
要するに、これがオシロの電圧軸になり、あとは時間軸で走査していけば波形が表示できるじゃないか、ということだったと思います。
あと覚えているのは「プリンタ・ディスプレイ」
私がHB-101のプリンタポートを利用してLEDをチカチカさせたり、リレーを動かした話は書きましたが、
同じようにプリンタポートを利用した製作記事で、7セグLEDに数字を表示するものでした。確か4桁で、BASICのLPRINTから自在に数字を表示できました。
たったそれだけかと今の時代じゃ言われそうですが、当時はとても興味がありました。
これができるなら、あんなこともできるんじゃないか、という応用に気付かされる面もありました。
トイレの電灯を自動的にON/OFFしようという記事もありました。アイデアがユニークなんですよね、この方は。
消し忘れなどの経験から考えついたのかもしれません。それをわざわざ自動化しようというのが大したものです。
ほかの著者の方の記事でも同じ目的のものがあり、そちらはステッピングリレーを使っていました。要するに多接点のロータリースイッチを電磁石で一コマずつ進めるような仕組みです。
ドアにスイッチを仕込んでおいて、開閉のたびにスイッチがON/OFFするのでステッピングが進みます。
たとえば、偶数の接点を並列にしておき、偶数の時に電球が点灯するようにしておけば、交互についたり消えたりするわけです。
中途半端に開閉したりすると、
ON/OFFがズレてしまうんじゃないかと思うのは当然で、そんな時はドアを開閉して合わせてあげなければなりません。
丹治さんといえば「バックアップ活用テクニック」でのご活躍を思い出す方もおられると思いますが、個人的には「バッ活」は数えるほどしか見たことがありませんでした。
ド田舎で育ちましたから、本屋なんか身近にありません。新聞屋の片隅に婦人雑誌とか漫画がチョロッと置いてある程度。
隣町に本屋があったけど、結局パソコン関係の本は無く、独り言で「やっぱりここには無いね」と言ったら親父に(失礼だろと)怒鳴られたのを覚えています。
大きな町に出かけないと、パソコン関係の本が置いてある本屋は無かったし、そんな本屋でも必ずしも売っているとは限りません。
高校生になってから、友達から借りて読むようになりました。必要なところは複写して今も保存してあります。当時はそんなお金も貴重でした。それでも10冊も読んでないと思います。わりと近年になって、総集編を買ってようやく満たされた感じです。
だから自分は、バッ活の知識はとても乏しかったのです。もっと早くから注目しておけばよかったなと。しかしラジオライフは時々買っていたので、そっちのほうがずっと興味があったのかもしれません。
マイコン、パソコンを利用したものが多かったと思います。LEDドットマトリクスでオシロを作ろうとか最高!じゃないかと当時思いました。
脱線するけど、そのオシロの仕組みはユニークでした。
基本はレベルメータのICなのです。当時LM3914だったと思う。ラジカセ等についていたレベルメータはLEDが一列に並んでいて、音量に合わせて光る数が変わっていました。
要するに、これがオシロの電圧軸になり、あとは時間軸で走査していけば波形が表示できるじゃないか、ということだったと思います。
あと覚えているのは「プリンタ・ディスプレイ」
私がHB-101のプリンタポートを利用してLEDをチカチカさせたり、リレーを動かした話は書きましたが、
同じようにプリンタポートを利用した製作記事で、7セグLEDに数字を表示するものでした。確か4桁で、BASICのLPRINTから自在に数字を表示できました。
たったそれだけかと今の時代じゃ言われそうですが、当時はとても興味がありました。
これができるなら、あんなこともできるんじゃないか、という応用に気付かされる面もありました。
トイレの電灯を自動的にON/OFFしようという記事もありました。アイデアがユニークなんですよね、この方は。
消し忘れなどの経験から考えついたのかもしれません。それをわざわざ自動化しようというのが大したものです。
ほかの著者の方の記事でも同じ目的のものがあり、そちらはステッピングリレーを使っていました。要するに多接点のロータリースイッチを電磁石で一コマずつ進めるような仕組みです。
ドアにスイッチを仕込んでおいて、開閉のたびにスイッチがON/OFFするのでステッピングが進みます。
たとえば、偶数の接点を並列にしておき、偶数の時に電球が点灯するようにしておけば、交互についたり消えたりするわけです。
中途半端に開閉したりすると、
ON/OFFがズレてしまうんじゃないかと思うのは当然で、そんな時はドアを開閉して合わせてあげなければなりません。
丹治さんといえば「バックアップ活用テクニック」でのご活躍を思い出す方もおられると思いますが、個人的には「バッ活」は数えるほどしか見たことがありませんでした。
ド田舎で育ちましたから、本屋なんか身近にありません。新聞屋の片隅に婦人雑誌とか漫画がチョロッと置いてある程度。
隣町に本屋があったけど、結局パソコン関係の本は無く、独り言で「やっぱりここには無いね」と言ったら親父に(失礼だろと)怒鳴られたのを覚えています。
大きな町に出かけないと、パソコン関係の本が置いてある本屋は無かったし、そんな本屋でも必ずしも売っているとは限りません。
高校生になってから、友達から借りて読むようになりました。必要なところは複写して今も保存してあります。当時はそんなお金も貴重でした。それでも10冊も読んでないと思います。わりと近年になって、総集編を買ってようやく満たされた感じです。
だから自分は、バッ活の知識はとても乏しかったのです。もっと早くから注目しておけばよかったなと。しかしラジオライフは時々買っていたので、そっちのほうがずっと興味があったのかもしれません。
PC-286BOOKにSCSI
2024.03.27
これは相当古い。90年代前半の話。
その頃、SPC-SCSIというのが有って、MB89352を(本来SCSIが内蔵されていない機種に)組み込んで動かすのが流行っていました。
なんと、ワープロ専用機に組み込んだ人もいました。(当時トラ技の記事あり)
このためのSCSIドライバがフリーソフトで公開されていたので、本当に有り難かった。
ほかにもSCSI接続の試みは有って、EasyHardというのだが、ケーブル1本だけでSCSIのHDDをつなぐ。もはや専用ICすら不要。
ダイナブックのパラレルポートを利用したもので、電気的にはSCSIの規格を満たさないところもあるが一応動くというもの。
残念ながらPC98系では片方向しかデータが行かないので原理的にできませんでした。AT互換機はデータが双方向だったのでこんな事もできたんですね。
当時の私に依頼があったのは、PC-286BOOKというEPSONのPC98互換機にSCSIを組み込めないか、という話。パソコン通信仲間の学校の先生から。
オプションのモデムを組み込む部分があり、そこが引き出しのようになっているので、ここに何とか(基板とコネクタが)おさまらないか、と。
当時はサンハヤトの感光基板、その片面パターンでMB89352と終端抵抗や周辺ICを載せた基板を手作りしたものでした。
実際に作ってテストした時の写真が昔のネガの中に残っていました。


(お気づきかもしれないが、ネガを裏返しにしてしまった!)
確か、配布されていたドライバでは(PC286BOOK上では)I/Oアドレスが競合するので、自分でSYMDEBを使い、空いているI/Oアドレスにパッチを当てて書き換えたのでした。
これを含めて、2~3点ほど試行錯誤があったような記憶です。
思い出してみると、ソースをアセンブルしようにも86用のアセンブラがなかったか、有ったと思うけれど。手っ取り早いのはパッチだなと思ったんだろう。SYS(ドライバ)をデバッガに読み込み、逆アセンブルしながらI/Oアクセスの命令を探して、書き換えて、保存した、というのが手順。
今さらこんな事を書いても仕方ないけど、SCSIのHDDから起動はできません。(起動の為のROMはない)
まずフロッピーから起動して、SPC-SCSI用のドライバを組み込んでから初めてSCSIが使えるようになります。
それでも当時は不便とは思いませんでした。HDDやMOが使えるようになっただけで、まるで今までとは天と地のような差を感じました。
確か依頼主は小学校の先生だったかな。これを見たその先生の知り合いの先生も、自分も欲しいと言い出してもう1台作っておさめたような記憶です。
確か最初の1台だけは手配線で作ったはず。何度も手配線で作るのは大変だから、それで感光基板で何枚も作れるようにしたわけだ。
その頃、SPC-SCSIというのが有って、MB89352を(本来SCSIが内蔵されていない機種に)組み込んで動かすのが流行っていました。
なんと、ワープロ専用機に組み込んだ人もいました。(当時トラ技の記事あり)
このためのSCSIドライバがフリーソフトで公開されていたので、本当に有り難かった。
ほかにもSCSI接続の試みは有って、EasyHardというのだが、ケーブル1本だけでSCSIのHDDをつなぐ。もはや専用ICすら不要。
ダイナブックのパラレルポートを利用したもので、電気的にはSCSIの規格を満たさないところもあるが一応動くというもの。
残念ながらPC98系では片方向しかデータが行かないので原理的にできませんでした。AT互換機はデータが双方向だったのでこんな事もできたんですね。
当時の私に依頼があったのは、PC-286BOOKというEPSONのPC98互換機にSCSIを組み込めないか、という話。パソコン通信仲間の学校の先生から。
オプションのモデムを組み込む部分があり、そこが引き出しのようになっているので、ここに何とか(基板とコネクタが)おさまらないか、と。
当時はサンハヤトの感光基板、その片面パターンでMB89352と終端抵抗や周辺ICを載せた基板を手作りしたものでした。
実際に作ってテストした時の写真が昔のネガの中に残っていました。


(お気づきかもしれないが、ネガを裏返しにしてしまった!)
確か、配布されていたドライバでは(PC286BOOK上では)I/Oアドレスが競合するので、自分でSYMDEBを使い、空いているI/Oアドレスにパッチを当てて書き換えたのでした。
これを含めて、2~3点ほど試行錯誤があったような記憶です。
思い出してみると、ソースをアセンブルしようにも86用のアセンブラがなかったか、有ったと思うけれど。手っ取り早いのはパッチだなと思ったんだろう。SYS(ドライバ)をデバッガに読み込み、逆アセンブルしながらI/Oアクセスの命令を探して、書き換えて、保存した、というのが手順。
今さらこんな事を書いても仕方ないけど、SCSIのHDDから起動はできません。(起動の為のROMはない)
まずフロッピーから起動して、SPC-SCSI用のドライバを組み込んでから初めてSCSIが使えるようになります。
それでも当時は不便とは思いませんでした。HDDやMOが使えるようになっただけで、まるで今までとは天と地のような差を感じました。
確か依頼主は小学校の先生だったかな。これを見たその先生の知り合いの先生も、自分も欲しいと言い出してもう1台作っておさめたような記憶です。
確か最初の1台だけは手配線で作ったはず。何度も手配線で作るのは大変だから、それで感光基板で何枚も作れるようにしたわけだ。