かけざんけいさんき(続)
2023.11.28
とりあえず前提として、
  ・電卓は使わない
  ・マイコンは使わない
  ・できるだけ単純にしたい
としてみます。

0~9までの入力があるので10進→2進変換
それが2つ(かける数とかけられる数)

なぜ2進数に変換するかというと、10進数のままでは回路が大規模になって大変。
0x0は省略するとしても、9x9のマトリクスを作って、それぞれの交点でANDしなければいけない。
2進数にすれば、もっと圧縮できる。

掛け算回路の原理




これは九九表です。
9なら1と8です。3なら1と2です。
かける数、かけられる数、それぞれの交わったところの数字を全部足すと、掛け算の答えになります。
これを論理回路で実現すると、それぞれANDをして、その結果を加算回路で足していくわけです。

以上は、あくまでも一例です。
山の頂上へ行く方法がいくつもあるように、答えにたどり着く方法は一つではありません。

もっと回りくどいやり方でも構いません。
たとえば、7x8= は7を8回繰り返して足すような回路にする。

小2の時、
九九表をなかなか覚えられず、先生の前で口頭で全部言えないと、家に帰るのが遅くなりました。必死で覚えて、また先生の前で言って、ひっかかってやり直しです。
覚えてしまったあとでも、九九表をど忘れする事もあります。そんな時、足し算を繰り返したものでした。

7を8回繰り返して足すといっても、人の目で確認できないぐらいの高速で動かせば、まさかそんな事をやっているなんてバレません。

あるいは、
前に書いたように九九表をROMに入れておく。アドレスが8bitあって、それを4bitずつに区切って0~9を割り当てる。ここではBCDで表現します。A~Fまでは考えないものとします。
そして九九表をROMに書き込み、結果はデータバスから、やはりBCDで得られるというものです。
これは昔、実際に作りました。その計算はMSXのBASICで処理して、書込データを作ったのでした。同じくMSX用のROMライタを自作していましたから、その場で書き込みました。

この方式だと素早く答えが出ますけど、簡単すぎて、あまり面白くありませんね。

ちなみにROMはANDとORの組み合わせです。アドレスはANDですね。各ビットのANDで0番地、1番地、2番地・・・というふうにメモリセルを選択します。
それぞれのメモリセルには、8bitの値が入っていて、最終的に出力される前に各番地から来たデータがORされているという考え方です。もちろんひとつの番地しかアクティブになりませんから、壊れたりしていない限り、その番地のデータだけ出力されます。

見てわかりやすそうなのはダイオードアレイでしょうね。とにかくダイオードを縦横に並べて、マトリクスを構成します。

いずれにしても電子回路なので超高速で答えが出ます。

やはり、回りくどくて遅くて、リレーがガシャガシャ動いて、どんだけかかるんだと心配になった後にようやくポロッと答えが出る、なんてのが面白そうです。

例の鑑定番組などで、結果表示なんて一瞬で出るのに、なんでわざわざガシャガシャガシャ・・・と数字を変化させて、間を置いて結果をパッと表示させるかというと、やっぱり「演出」でしょうね。
あっさりと結果を出したって面白くないですからね。
もったいぶるというか、ちょっと期待をもたせるというか、そんな感じです。
かけざんけいさんき
2023.11.28
前に書いた、学校の空き教室倉庫でのケガはショックな出来事だったが、同時にそこで興味深い発見もあった。

何か、大きい木箱のようなものが置いてあった。
表面は、たしかこんな感じ(写真)だったと思う。40年前の記憶で細かいところは不鮮明。


要するにこれは、掛け算を説明する為の教材を誰かが手作りしたものらしい。

黒点のところは釘が打ってあり、電極になっていた。
◯のところは豆電球だった。

つまり、2 x 3 だったら、2と3をリード線でつなげば、6の(1位の)豆電球が灯る、という仕掛けを作りたかったらしい。

中をのぞいてみると、何か中途半端な配線で未完成のようにも見えた。

私は、これに大変興味を持ち、自分で作ってみようと思い立った。
家に帰ると「らくがきちょう」に妄想を書きなぐり始めた。

そこで九九表のように回路を描いていこうとしたが、ふと、行き詰まった。

単純な「まめでんきゅうとかんでんち」の知識だけでは、途中で行き詰まる。上手に説明できないが、実際に回路を作っていくと、回り込みが発生しておかしくなる。

ダイオードを組み合わせなければならないようだ、と気づく。それで考えを進めて行っても、何かモヤモヤする。えらく複雑になりそうだと。

当時は知らなかったが、AND回路とOR回路が必要になってくる。
3x4なら3と4のANDの結果は、ランプ10位の1と1位の2につながるけどそこで他の信号とORする。
ANDやORはダイオードでもリレーでも良い。

これは、今だったらROMに九九表を入れてしまえばいいだろうと思うのだが、当時はそんな発想は無かった。
ただ、「まめでんきゅうとかんでんち」の知識では完成できないのは確かだ。それで中途半端に放置されていたわけ。
2T-100の詳細
2023.11.27
当時、私が作ったものは小学生の頃「少年自然の家」のお泊まり会に持っていった時に盗まれてしまい、それっきりでした。

今回オークションで入手した物の基板




2T-100入手
2023.11.27
懐かしのHOMER 2T-100 (2石レフレックスラジオキット)を入手しました。
手頃な値段で有りましたので・・・





懐かしい。

いま見ると中身は単純に見えるけれど、当時は超複雑に見えた。不思議です。

当時・・・
組み立て一発じゃ鳴らなくて、どれだけ調べてもよくわからない。しまいには神頼みで、神棚に上げて拝んだりもしたが、そんなの修理してくれない。自分で努力しなさいと。

基板にシルク印刷が無いから、差し間違いも有りがちだった。実際、トランジスタの極性を間違っていたし、

(説明書の図と良く見比べながら差し込んでいったが、その照合が当時の自分には難しく思えた)

この機種を作った時だったか別の機種だったか忘れたけど、ゲルマダイオードのリードを曲げて差し込もうとしたらガラスが砕けてしまって、大いに凹んだりもした。(その後、必死になってテレビのジャンク基板から同じようなゲルマダイオードを見つけ出した)

トランジスタの極性違いは解決したから鳴るだろうと自信があったけど、直しても全然鳴らないし、おかしいなあ・・・と。

原因は結局バーアンテナの線で、表面の絶縁被膜を削ってからはんだ付けしなければならないのだが、それをしていなかった。エナメル線は昔から使っていたので知っていたはずだが、なぜか、先端部分は処理済みだろうと勝手に思っていたんだろう。

試しにマイナスドライバーだったか、カッターナイフの背で削ってからはんだ付けしたらアッサリと鳴り出したというわけ。
当時のプラモ
2023.11.26
小~中学生の頃は、ガンダムのプラモが流行っていたようだ。

ようだ、というのは・・・自分は興味がなかったから。
だって興味をそそられない。ガンダムのアニメも見てなかったし、そんな動かないプラモなんかアツくなれない。

赤いヤツは3倍速いとか意味わからんし、それはずいぶん後になってから意味を知った。

そんなことより、
自動車とか扇風機みたいに電気を使って実際に光ったり動いたりするものが良い。回る回る東芝、光る光る東芝、走る走る東芝。

スーパーカーの知識もほとんど無くて、いちいち車種なんか覚えきれなかったし、時速何百キロまで出るとか言うけれど一般道で出せないだろ、だったら、うちのポンコツ車と同じじゃんと思っていた。
ただ走ったり光ったりすれば、車種は何でもよかった。田舎で、そもそも選択肢があまり無かった。それ以前に予算的に厳しかったので値段で決めたりした。

扇風機のリアルなプラモには非常に萌えた。
かなりリアルで、組立式のギヤボックスの首振り機構まで付いていた。おそるべし。

しかし・・・あの水色で美しい透明な羽根、うっかり踏んで割ってしまい、非常にショックを受けたのであった。
接着剤で適当にツギハギしてなんとか修復した。

みすぼらしい。気持ち的に思いっきり下がってしまった。

そう、プラスチックの成形部品なんか壊したら、また同じプラモを買うか、メーカーから通信販売で取り寄せるしかなかった。

もう1個買う発想はなかった。田舎の商店に1個だけあったのを買っただけで、当時の自分の世界ではそこにしか無いものだった。

通販は当時の自分にとっては大事業で、封筒に宛名を書いたりするのも大変。息を詰めながら1字ずつまっすぐ書くようにしているつもりが、ひんまがったりはみだしたり、そして書き損じてしまい、何度もやり直し。

今でも役所の書類なんか記入する時は、どうかすると気が狂いそうになる。税務署から消費税の書類がドサッと来た時、なんのことやらさっぱり分からず絶望した。こんなもの、聞きに行っても絶対わからん。それなのに無慈悲に「いつ提出しますか」と催促は来るし、血迷って適当に書いて出してしまった。いいんだろう出せば。
ところがよく考えてみると不安になり、これがきっかけで税理士と契約することに。早速その件を相談したところ、私の手続きは間違っており、取り下げと改めての手続きまで行って頂いた。

まあ何が言いたいかというと書類の記入なんてのは自分の性格に合わないということよ。新コロの給付金とか補助金なんかも書類のことを考えるとうんざりして、最初から申請しようという発想はなかった。

とにかく、当時はお金がなかった。2個買うなんて無理。通販も無理。

じゃあ手作りするかって、
あんな部品を自分で手作りするなんて、とくに当時のような不器用さでは到底無理で、貴重な部品を壊したら取り返しがつかない。
3DCADや3Dプリンタがその当時に有ったらなあ、といまさら思う。

はじめて作ったプラモは水車小屋で、これは今でも有るらしい。当然モーターで回るやつを選んだ。当時よく分からなくて適当に買ったが、いま考えてもマニアックなチョイスだ。(笑)

やっぱり電気で動くものには魅力があった。

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