PC98のボード製作
2024.11.14
いわゆるCバス、後ろの拡張スロットに差し込むボードを作った時の思い出
30年以上前か、
最初はわからないから、製作記事に書いてある通りに作ったが・・・
先に言うと、記事の内容は鵜呑みにしてはいけない。これは鉄則。たいてい間違っているか、何かの問題を抱えている。次の号に訂正が載ったりする。
GALライタ用の8255ボードも、あとで見返してみるとアドレスデコードが手抜きだった。それで確かFM音源と干渉していた。
当時使っていたPC-9801UV11はFM音源内蔵だったもんな。そして記事の筆者はおそらくFM音源無しの機種だったんだろう。
前にも書いたけど、PC98で使えるI/Oポートは限られているので、他との干渉を常に考えなければならない。ハードウェアリソースの管理は自分自身で行う必要があった。これは当たり前だった。
プラグアンドプレイなんてのが出てくるずっと前のこと。
いわゆるAT互換機とかDOS/Vといっていた米国パソコンでも、ISAバスの頃はアドレスだのIRQだのを自分で管理していたのである。
COMポートとかパラレルポートのアドレス、いまでもなんとなく覚えている。もう意識しなくて良い時代だけど。
ボード上のジャンパーピンを差し替えたりしてだな・・・特にIRQが不足した経験があり、パソコン通信のホストを運営していた頃で、COMポートがたくさん欲しかった。
ホストだからパラレルポートは使わない。それ用のIRQを流用しよう。
ところがボード上のジャンパーポストにはその設定がない。他のIRQは有るのに。
そしてボードに金端子は有るけど配線されてない。よし、慎重に(マスキングして、金メッキにハンダが流れないように)細い線をつないで、これでIRQ増設できたぞ、そんな感じ。
記憶がハッキリしないけど、金端子がなかったので銅箔テープを切って貼り付けて、こんなので接触は大丈夫かと思いながら試したような気もする。
抜き差しで剥がれないように、よくこすりつけて貼り付けたのは覚えている。これはこの時だったのか、別の試作の時と記憶が重なっているのか、わからない。
当時の勤務先で、誰かが「金端子1個あたりのコスト」を言い出して、それじゃ空きピンは削除しないといけないね、という事になったが、あとで欲しくなった時に困るのに気づいて、あれこれ考えず全部の端子を出しておこうという流れになったのは覚えている。
目先のコストだけ考えるとこうなる。1個あたりのコストなんて当時でも駄菓子が買えないぐらいだったか。5円チョコよりは高くて10円ガムより安い程度。
さらに、あとで追加配線しやすいように金端子のそばにスルーホールを全ピンに対して配置するようになった。(スペースの許す限り)
数十年ぶりにCバスのことを考えていて、当時のことをスッカリ忘れたなあと思った。
当時は主に仕事で色んな物を作ったはずだが、あの勢いはどこへやら。若かったせいか。
今では、どんな回路だったっけ?という感じ。やってないと忘れるもんだな。運転も忘れかけている。(ペーパードライバー5年目)
何を作ったっけ。
通信関係のボードを自作した。詳細は忘れた。用途は検査治具といって、製品を検査ラインで検査するときに、その基板とつないでテストする。
たとえば通信を試すのに、相手がいないとできないでしょう。その相手側を作ったようなもの。
RS422だったか485だったか、その時に初めて使ったっけ。シールドのツイストペア線を長く引き回したりして。
そして画像検査のボード。これは当時のFPGA(XILINX)を2段重ねにした。集積度が低い頃だから、1個じゃ足りなくて。
とある食品の破れ、穴開き、異物を検査する目的に使う。破れとか聞いた時点でアレだなと気づくだろう。
開発段階では、この手作りボードをPC98に差し込んで、PC98上のプログラムでテストした。製品の基板はPC98を組み込むわけにはいかず、超高速のマイコンをベースにした回路になった。
メカが絡んだ開発は、この時が自分は初めてだったような。メカの筐体とPC98の両方になんとなく手を置いたら微妙にビリビリしびれた。電位差があったんだな。そして、この電位差でカメラを壊してしまい、CCDを取り寄せて自分で直した。当時はカメラも手作りしていた。
ちなみにPC98と書くが面倒なので略しているだけ。NECの製品ラインナップの中でPC98という型番は中途半端で互換性がない機種が多い。私も持っていたPC-98LTとか。
他にも何か作ったっけ。確か、急ぎで試作するものがあって自分が個人で持っていたサンハヤトのCバス用ユニバーサル基板を会社に提供した事があったような。(あとで買ってもらった)
もう忘れたなあ。
当時はVMEという産業用のバスが標準的で、CPUボード、メモリボード、I/Oボードなど取り揃えていた。486を搭載したPCをVMEダブルハイトに詰め込み、売っていた時代だった。
ビデオチップはET4000だった。MS-DOSか、Windows3.1を動かしていた。
VMEのユニバーサル基板も当時サンハヤトから売られていて、確かDIN1??Eだったっけ。ダブルハイトサイズ。検査治具を作るのに使った。当時、配線は下手だった。でも自分のやり方を信じていて考えを曲げなかった。ああしろ、こうしろと周囲に言われたけど。
そしてマルチバス。これは8086系のバスという認識。やはり産業用で、スリーダイヤさん向けの半導体ごにょごにょの関係で使う事が多かった。私もいくつか設計した。いまも有るのだろうか? そういえば初めての仕事はマルチバスの基板をワイヤーラッピングで手作りしたのだった。ボンダーの制御基板だったっけ。山一のラッピングソケット。そしてサンハヤトの変換基板。
ピンを抜こうとして格闘していたら指にさしてケガした事ぐらいしか覚えてない。
そして定時になり、また明日続きをするつもりでそのまま置いて(電線の切り屑などを散らかしたまま)帰ろうとしたら、ぶちょーが「お前、片付けてから帰れよな」
そこで「明日続きをしますんで」と言い訳した自分、当然怒られた。いまではわかるけど、当時は何もわかってなかった頃。
なんか、こんな事ぐらいしか覚えてない。
30年以上前か、
最初はわからないから、製作記事に書いてある通りに作ったが・・・
先に言うと、記事の内容は鵜呑みにしてはいけない。これは鉄則。たいてい間違っているか、何かの問題を抱えている。次の号に訂正が載ったりする。
GALライタ用の8255ボードも、あとで見返してみるとアドレスデコードが手抜きだった。それで確かFM音源と干渉していた。
当時使っていたPC-9801UV11はFM音源内蔵だったもんな。そして記事の筆者はおそらくFM音源無しの機種だったんだろう。
前にも書いたけど、PC98で使えるI/Oポートは限られているので、他との干渉を常に考えなければならない。ハードウェアリソースの管理は自分自身で行う必要があった。これは当たり前だった。
プラグアンドプレイなんてのが出てくるずっと前のこと。
いわゆるAT互換機とかDOS/Vといっていた米国パソコンでも、ISAバスの頃はアドレスだのIRQだのを自分で管理していたのである。
COMポートとかパラレルポートのアドレス、いまでもなんとなく覚えている。もう意識しなくて良い時代だけど。
ボード上のジャンパーピンを差し替えたりしてだな・・・特にIRQが不足した経験があり、パソコン通信のホストを運営していた頃で、COMポートがたくさん欲しかった。
ホストだからパラレルポートは使わない。それ用のIRQを流用しよう。
ところがボード上のジャンパーポストにはその設定がない。他のIRQは有るのに。
そしてボードに金端子は有るけど配線されてない。よし、慎重に(マスキングして、金メッキにハンダが流れないように)細い線をつないで、これでIRQ増設できたぞ、そんな感じ。
記憶がハッキリしないけど、金端子がなかったので銅箔テープを切って貼り付けて、こんなので接触は大丈夫かと思いながら試したような気もする。
抜き差しで剥がれないように、よくこすりつけて貼り付けたのは覚えている。これはこの時だったのか、別の試作の時と記憶が重なっているのか、わからない。
当時の勤務先で、誰かが「金端子1個あたりのコスト」を言い出して、それじゃ空きピンは削除しないといけないね、という事になったが、あとで欲しくなった時に困るのに気づいて、あれこれ考えず全部の端子を出しておこうという流れになったのは覚えている。
目先のコストだけ考えるとこうなる。1個あたりのコストなんて当時でも駄菓子が買えないぐらいだったか。5円チョコよりは高くて10円ガムより安い程度。
さらに、あとで追加配線しやすいように金端子のそばにスルーホールを全ピンに対して配置するようになった。(スペースの許す限り)
数十年ぶりにCバスのことを考えていて、当時のことをスッカリ忘れたなあと思った。
当時は主に仕事で色んな物を作ったはずだが、あの勢いはどこへやら。若かったせいか。
今では、どんな回路だったっけ?という感じ。やってないと忘れるもんだな。運転も忘れかけている。(ペーパードライバー5年目)
何を作ったっけ。
通信関係のボードを自作した。詳細は忘れた。用途は検査治具といって、製品を検査ラインで検査するときに、その基板とつないでテストする。
たとえば通信を試すのに、相手がいないとできないでしょう。その相手側を作ったようなもの。
RS422だったか485だったか、その時に初めて使ったっけ。シールドのツイストペア線を長く引き回したりして。
そして画像検査のボード。これは当時のFPGA(XILINX)を2段重ねにした。集積度が低い頃だから、1個じゃ足りなくて。
とある食品の破れ、穴開き、異物を検査する目的に使う。破れとか聞いた時点でアレだなと気づくだろう。
開発段階では、この手作りボードをPC98に差し込んで、PC98上のプログラムでテストした。製品の基板はPC98を組み込むわけにはいかず、超高速のマイコンをベースにした回路になった。
メカが絡んだ開発は、この時が自分は初めてだったような。メカの筐体とPC98の両方になんとなく手を置いたら微妙にビリビリしびれた。電位差があったんだな。そして、この電位差でカメラを壊してしまい、CCDを取り寄せて自分で直した。当時はカメラも手作りしていた。
ちなみにPC98と書くが面倒なので略しているだけ。NECの製品ラインナップの中でPC98という型番は中途半端で互換性がない機種が多い。私も持っていたPC-98LTとか。
他にも何か作ったっけ。確か、急ぎで試作するものがあって自分が個人で持っていたサンハヤトのCバス用ユニバーサル基板を会社に提供した事があったような。(あとで買ってもらった)
もう忘れたなあ。
当時はVMEという産業用のバスが標準的で、CPUボード、メモリボード、I/Oボードなど取り揃えていた。486を搭載したPCをVMEダブルハイトに詰め込み、売っていた時代だった。
ビデオチップはET4000だった。MS-DOSか、Windows3.1を動かしていた。
VMEのユニバーサル基板も当時サンハヤトから売られていて、確かDIN1??Eだったっけ。ダブルハイトサイズ。検査治具を作るのに使った。当時、配線は下手だった。でも自分のやり方を信じていて考えを曲げなかった。ああしろ、こうしろと周囲に言われたけど。
そしてマルチバス。これは8086系のバスという認識。やはり産業用で、スリーダイヤさん向けの半導体ごにょごにょの関係で使う事が多かった。私もいくつか設計した。いまも有るのだろうか? そういえば初めての仕事はマルチバスの基板をワイヤーラッピングで手作りしたのだった。ボンダーの制御基板だったっけ。山一のラッピングソケット。そしてサンハヤトの変換基板。
ピンを抜こうとして格闘していたら指にさしてケガした事ぐらいしか覚えてない。
そして定時になり、また明日続きをするつもりでそのまま置いて(電線の切り屑などを散らかしたまま)帰ろうとしたら、ぶちょーが「お前、片付けてから帰れよな」
そこで「明日続きをしますんで」と言い訳した自分、当然怒られた。いまではわかるけど、当時は何もわかってなかった頃。
なんか、こんな事ぐらいしか覚えてない。
PC98とGALライタの話
2024.11.13
'90年代初め頃、PALやGALなどのPLDが普及してきて(少なくとも仕事では使っていた)、将来TTLなどのロジックICは無くなるだろうと言われていた。
MMI社(当時)のデータブックを見ると、PALがTTLをやっつけている漫画が載っていたっけ。
30年以上経過したが、TTLは無くなってないけどな。品種は減ったり値段は上がったけれど。保守用としても無くなっては困る。
ロジックは集積できても、バッファ等はどうしても必要な場合が多い。
TTLより先にPALやGALが滅びてしまったようである。GALは、本家のLatticeはとっくの昔にやめたけど、ATMELは今でも製造中。かつては、AMI社、AMD社、TI社なども類似品を作っていた。
さて、その'90年代初め頃にアマチュアがGALを使おうとしたら、手頃な値段の書込機は無かった。それでなかなかアマチュアには手が出なかったのである。
書込機はメーカーが認定した物でないと公式には使えず、どうしても高価になっていた。何十万とか何百万。
そこで自作したいとなるわけだが、書込仕様は公開されてない。契約した書込機のメーカーにしか開示されていなかった。
じつは自分の当時の勤務先はそのメーカーのひとつだったのだが、棚にはファイルがたくさん並んでいて、書込方式がよく変わるだの何だのという話を担当者から聞いた事がある程度。
何か安定しない要素があるのか、改良しながらやっているのか知らないが、そんな状態だから下手に公開してしまうと、バージョン違いなどで問題が起きる可能性があったのだろう。
いまのようにネットで即時に情報が更新されるような時代ではなかった。
それでも一部の有志がチャレンジしていて、トラ技にはPALの書込機の製作記事が載った。その後、GALの書込機の製作記事とGAL用アセンブラの頒布があった。そのソフトは有償で配布されたので購入した。送金したら、フロッピーが送られてきたのである。
ソフトは準備できたが、GALライタは自作するしかない。
そこでPC-9801に8255ボードを作る必要が生じた。8255ボードからフラットケーブルを通して、GALライタの基板につながる。
実際に8255ボードと、GALライタの基板を自分で組み立ててみたが、なかなか正常に動かずに苦労した。何が悪かったのか覚えていないけど、結局使えるようにはならなかったと思う。
I/Oのアドレスも確かFM音源か何かと干渉していたんじゃなかったか。音が鳴らなくなっておかしいなあと、自作ボードを抜いたら鳴るようになった記憶。アドレスを変えて、プログラムのほうも当然変更して・・・今のような便利なPnP以前の世界だった。
そもそもPC-9801で自由に使えるI/Oアドレスは限られていた。色々工夫しながら使っていたのである。
その後もPICマイコンの初め頃に書き込み機を作ったがうまくいかなかったりして苦労しており、書き込み機なんか自作しないで既製品を買ってしまえというのが持論。そんな物に時間を使うなという意味で。
パラレルポートなんかその後PCから無くなったし。(有れば有ったで便利だったのになあ)
結局GALライタがうまく動くようになったのは、再度作り直した後か、あるいは記憶の確かなところでは「えるむ」のChaNさん作のライターを組み立てたら成功したのは覚えている。PC98につないで使った。確かプリンタポート用だったと思う。
これのおかげで「キーボード切替器」を作る事ができた。
PC98用の8255ボードは、他にもROMライターを作る為にも使おうとして当時実験をしていた。
しかしなかなかうまくいかず苦しんでいた。
結局、フラットケーブルがクセモノだ。
クロストークなど不安定となる要素が多い。たとえばアドレスのビット変化が多いタイミング(00FFhから0100hへの変化時など)でノイズが増加しておかしくなってしまう。
ケーブルが長いのも問題だから、最低限に切り詰めた。それでも改善しない。
さらに、50芯のうち半分をGNDにした。1本おきにGNDになるように、偶数だったか奇数だったか忘れたけどその列のピンを全部GNDにした。これである程度のシールドとGNDの強化にはなったのだが、まだ不安定で、最終的にはバッファを入れて解決したような気がする。
フラットケーブルをツイスト線に変えたような記憶も有る。だけど拾ってきたツイスト線のフラットケーブルは40芯しかなかった。そこでまた改造をしたかもしれないけど覚えてない。
信号の動作をゆっくりにするのも解決策のひとつ。だけど実用性は無い。
そもそもROMライタを作ろうというのが間違いで、前に書いたように完成品を買ったほうが早い。それを自作する時間をとられるな。
PC98の前にMSXでROMライタを自作して完成していた。在学中に自動車学校を挫折してしまい、就職してから通っていた自動車学校の待ち時間に、趣味の設計など好き勝手に過ごしていた。その中で設計を進めたのがそれ。
本当に原始的なやり方で、2764の1バイトごとに50mSのパルスをかけて書き込むというやつ。それしか知らなかった。1個(8KB)書くのに6分ぐらいかかったか。終わったときには2764が熱くなっていた。
会社でROMライタの経験者である先輩に色々と教わった。1msのパルスをかけるやり方とか。書き込めたように見えても放置しておくと消えてしまった事があるとか。逆差しやズレ差しはどうやって検知するか、などなど。
まあ、いずれにしても今では思い出の中だ。
今でこそGALでも何でも書き込める装置を持っているけど、あの頃は本当に不便だった。何もできなかった。
そういえば当時CPLDやFPGAは、ほぼアマチュア向けではなかった。開発用のソフトだって相当高価なもの。入門書を買って読むのが精一杯。その入門書の企画でALTERAのサンプルCPLDをもらえるというのがあって、何やかんやで3個もらったが、コンパイラも書き込み器も持ってないのに無用の長物だった。
最初はXILINXから使い始めたっけ。今のような集積度はなかった。色々と制約もあった。コンフィグROMは高価なのにワンタイムでもったいないから、EPROMが使えるエミュレータも自作した。
MMI社(当時)のデータブックを見ると、PALがTTLをやっつけている漫画が載っていたっけ。
30年以上経過したが、TTLは無くなってないけどな。品種は減ったり値段は上がったけれど。保守用としても無くなっては困る。
ロジックは集積できても、バッファ等はどうしても必要な場合が多い。
TTLより先にPALやGALが滅びてしまったようである。GALは、本家のLatticeはとっくの昔にやめたけど、ATMELは今でも製造中。かつては、AMI社、AMD社、TI社なども類似品を作っていた。
さて、その'90年代初め頃にアマチュアがGALを使おうとしたら、手頃な値段の書込機は無かった。それでなかなかアマチュアには手が出なかったのである。
書込機はメーカーが認定した物でないと公式には使えず、どうしても高価になっていた。何十万とか何百万。
そこで自作したいとなるわけだが、書込仕様は公開されてない。契約した書込機のメーカーにしか開示されていなかった。
じつは自分の当時の勤務先はそのメーカーのひとつだったのだが、棚にはファイルがたくさん並んでいて、書込方式がよく変わるだの何だのという話を担当者から聞いた事がある程度。
何か安定しない要素があるのか、改良しながらやっているのか知らないが、そんな状態だから下手に公開してしまうと、バージョン違いなどで問題が起きる可能性があったのだろう。
いまのようにネットで即時に情報が更新されるような時代ではなかった。
それでも一部の有志がチャレンジしていて、トラ技にはPALの書込機の製作記事が載った。その後、GALの書込機の製作記事とGAL用アセンブラの頒布があった。そのソフトは有償で配布されたので購入した。送金したら、フロッピーが送られてきたのである。
ソフトは準備できたが、GALライタは自作するしかない。
そこでPC-9801に8255ボードを作る必要が生じた。8255ボードからフラットケーブルを通して、GALライタの基板につながる。
実際に8255ボードと、GALライタの基板を自分で組み立ててみたが、なかなか正常に動かずに苦労した。何が悪かったのか覚えていないけど、結局使えるようにはならなかったと思う。
I/Oのアドレスも確かFM音源か何かと干渉していたんじゃなかったか。音が鳴らなくなっておかしいなあと、自作ボードを抜いたら鳴るようになった記憶。アドレスを変えて、プログラムのほうも当然変更して・・・今のような便利なPnP以前の世界だった。
そもそもPC-9801で自由に使えるI/Oアドレスは限られていた。色々工夫しながら使っていたのである。
その後もPICマイコンの初め頃に書き込み機を作ったがうまくいかなかったりして苦労しており、書き込み機なんか自作しないで既製品を買ってしまえというのが持論。そんな物に時間を使うなという意味で。
パラレルポートなんかその後PCから無くなったし。(有れば有ったで便利だったのになあ)
結局GALライタがうまく動くようになったのは、再度作り直した後か、あるいは記憶の確かなところでは「えるむ」のChaNさん作のライターを組み立てたら成功したのは覚えている。PC98につないで使った。確かプリンタポート用だったと思う。
これのおかげで「キーボード切替器」を作る事ができた。
PC98用の8255ボードは、他にもROMライターを作る為にも使おうとして当時実験をしていた。
しかしなかなかうまくいかず苦しんでいた。
結局、フラットケーブルがクセモノだ。
クロストークなど不安定となる要素が多い。たとえばアドレスのビット変化が多いタイミング(00FFhから0100hへの変化時など)でノイズが増加しておかしくなってしまう。
ケーブルが長いのも問題だから、最低限に切り詰めた。それでも改善しない。
さらに、50芯のうち半分をGNDにした。1本おきにGNDになるように、偶数だったか奇数だったか忘れたけどその列のピンを全部GNDにした。これである程度のシールドとGNDの強化にはなったのだが、まだ不安定で、最終的にはバッファを入れて解決したような気がする。
フラットケーブルをツイスト線に変えたような記憶も有る。だけど拾ってきたツイスト線のフラットケーブルは40芯しかなかった。そこでまた改造をしたかもしれないけど覚えてない。
信号の動作をゆっくりにするのも解決策のひとつ。だけど実用性は無い。
そもそもROMライタを作ろうというのが間違いで、前に書いたように完成品を買ったほうが早い。それを自作する時間をとられるな。
PC98の前にMSXでROMライタを自作して完成していた。在学中に自動車学校を挫折してしまい、就職してから通っていた自動車学校の待ち時間に、趣味の設計など好き勝手に過ごしていた。その中で設計を進めたのがそれ。
本当に原始的なやり方で、2764の1バイトごとに50mSのパルスをかけて書き込むというやつ。それしか知らなかった。1個(8KB)書くのに6分ぐらいかかったか。終わったときには2764が熱くなっていた。
会社でROMライタの経験者である先輩に色々と教わった。1msのパルスをかけるやり方とか。書き込めたように見えても放置しておくと消えてしまった事があるとか。逆差しやズレ差しはどうやって検知するか、などなど。
まあ、いずれにしても今では思い出の中だ。
今でこそGALでも何でも書き込める装置を持っているけど、あの頃は本当に不便だった。何もできなかった。
そういえば当時CPLDやFPGAは、ほぼアマチュア向けではなかった。開発用のソフトだって相当高価なもの。入門書を買って読むのが精一杯。その入門書の企画でALTERAのサンプルCPLDをもらえるというのがあって、何やかんやで3個もらったが、コンパイラも書き込み器も持ってないのに無用の長物だった。
最初はXILINXから使い始めたっけ。今のような集積度はなかった。色々と制約もあった。コンフィグROMは高価なのにワンタイムでもったいないから、EPROMが使えるエミュレータも自作した。
ミニテレビ局
2024.11.03
そうだ、ミニFMだけじゃなくてミニテレビ局もあった。
確か当時、ミズホ通信だったか覚えていないが市販品のトランスミッタもあったし、
自作の記事も「ラ製」に載っていたと思う。
要するにRFモジュレータにアンテナをつければ電波が飛ぶだろうというわけ。
電波が弱いからブースター用のICを付けてだな・・・
以前も書いたようにSC-3000のワイヤレス化をしたときに、その回路を組み込んだのだ。
当時のファミコンや、MSX、PC-6001等はテレビのVHF帯1ch、2chで画面表示していたけど、ただ普通に接続して使っているだけでも結構電波が漏れていて、
たとえば、隣の部屋でファミコンやってるヤツの画面が自分の部屋のテレビで、チラチラしながらも映った、という経験がある。
確か当時、ミズホ通信だったか覚えていないが市販品のトランスミッタもあったし、
自作の記事も「ラ製」に載っていたと思う。
要するにRFモジュレータにアンテナをつければ電波が飛ぶだろうというわけ。
電波が弱いからブースター用のICを付けてだな・・・
以前も書いたようにSC-3000のワイヤレス化をしたときに、その回路を組み込んだのだ。
当時のファミコンや、MSX、PC-6001等はテレビのVHF帯1ch、2chで画面表示していたけど、ただ普通に接続して使っているだけでも結構電波が漏れていて、
たとえば、隣の部屋でファミコンやってるヤツの画面が自分の部屋のテレビで、チラチラしながらも映った、という経験がある。
放送局ごっこ
2024.11.03
'80年代には「ミニFM局」が流行ったのでした。
FMトランスミッタを使って、せいぜい100mぐらいの範囲まで電波が届くものでした。文化祭などのイベントで臨時に放送したり、といった感じです。
自分も放送局ごっこをしたくなって、ちょうどFB2-500を持っていましたから、近所の友達の家まで届くかどうか試しました。時間を決めておいて、その時間に聞いてねと頼んでおき、翌日に結果を聞いたら、ちゃんと聞こえたとの事。聞いた内容も確認したので間違いないです。
個人的にはFMよりもAMのほうがポピュラーだと思っていて、AMで電波を飛ばしたかったのでした。FB2-500はAMにも対応していたが、自分がどこかで製作をミスって何度見直してもうまくいかなかったので、モヤモヤしたまま不完全燃焼で何十年も引きずってしまいました。
いまでは電波法が厳しくなり、コンプラだか天ぷらだか知りませんが色々うるさくなって、本当に適法な微弱電波を出すと、見えている範囲ぐらいしか届かないんじゃないかと思います。夢がありません。
当時でも無許可で大出力送信をして摘発されたニュースを何度か見た覚えがあります。
さて、当時の製作記事です。


トランスミッタは(当時の)市販のキット基板をそのまま組み込むようです。
こんなにきれいに作ったら、本格的ですね。
個人的には、何かの懸賞プレゼントでトランク型のミニ放送局セットを見かけて、それがどうしても欲しかった。
なんかスパイごっこみたいで格好いいじゃないですか・・・。
ラピュタの冒頭で、ムスカがトランクから無線機を取り出すでしょう。その懸賞プレゼントの話はラピュタ公開以前でしたけど、
とにかく、非常に心がときめいたわけです。
例によって懸賞には当たりませんでしたがね。
あんなの絶対ウソだ、当選者の発表は商品の発送を持って代えさせて頂きますって、うそだ実際には送ってないと、ひねくれていた自分でした。
どん兵衛の「どっきんこ」とか、毎年のように応募したのに全く当たらない。
どこの会社の懸賞だったか忘れたが、海外旅行が当たるやつも応募した。当たらなかった上にDMの宛先に流用されてしまって、その後にDMが頻繁に届く。
ところが、本当にあたったヤツがいたんですね。そのミニ放送局じゃなくて焼きそばUFOの景品でしたけど。ウソだと思い込んでひねくれていましたが、やっぱり本当だったんだ、と。
自作マイコンの何号機だったか、トランク形のケースに入れましたが、その元はトランク型のミニ放送局でした。
もちろん、そのマイコンのオプションとしてFMトランスミッタも作ったのです。ジャックで接続して、音声と電源を供給してFMラジオに送信するものです。
FMトランスミッタを使って、せいぜい100mぐらいの範囲まで電波が届くものでした。文化祭などのイベントで臨時に放送したり、といった感じです。
自分も放送局ごっこをしたくなって、ちょうどFB2-500を持っていましたから、近所の友達の家まで届くかどうか試しました。時間を決めておいて、その時間に聞いてねと頼んでおき、翌日に結果を聞いたら、ちゃんと聞こえたとの事。聞いた内容も確認したので間違いないです。
個人的にはFMよりもAMのほうがポピュラーだと思っていて、AMで電波を飛ばしたかったのでした。FB2-500はAMにも対応していたが、自分がどこかで製作をミスって何度見直してもうまくいかなかったので、モヤモヤしたまま不完全燃焼で何十年も引きずってしまいました。
いまでは電波法が厳しくなり、コンプラだか天ぷらだか知りませんが色々うるさくなって、本当に適法な微弱電波を出すと、見えている範囲ぐらいしか届かないんじゃないかと思います。夢がありません。
当時でも無許可で大出力送信をして摘発されたニュースを何度か見た覚えがあります。
さて、当時の製作記事です。


トランスミッタは(当時の)市販のキット基板をそのまま組み込むようです。
こんなにきれいに作ったら、本格的ですね。
個人的には、何かの懸賞プレゼントでトランク型のミニ放送局セットを見かけて、それがどうしても欲しかった。
なんかスパイごっこみたいで格好いいじゃないですか・・・。
ラピュタの冒頭で、ムスカがトランクから無線機を取り出すでしょう。その懸賞プレゼントの話はラピュタ公開以前でしたけど、
とにかく、非常に心がときめいたわけです。
例によって懸賞には当たりませんでしたがね。
あんなの絶対ウソだ、当選者の発表は商品の発送を持って代えさせて頂きますって、うそだ実際には送ってないと、ひねくれていた自分でした。
どん兵衛の「どっきんこ」とか、毎年のように応募したのに全く当たらない。
どこの会社の懸賞だったか忘れたが、海外旅行が当たるやつも応募した。当たらなかった上にDMの宛先に流用されてしまって、その後にDMが頻繁に届く。
ところが、本当にあたったヤツがいたんですね。そのミニ放送局じゃなくて焼きそばUFOの景品でしたけど。ウソだと思い込んでひねくれていましたが、やっぱり本当だったんだ、と。
自作マイコンの何号機だったか、トランク形のケースに入れましたが、その元はトランク型のミニ放送局でした。
もちろん、そのマイコンのオプションとしてFMトランスミッタも作ったのです。ジャックで接続して、音声と電源を供給してFMラジオに送信するものです。
グライコとスライドボリューム
2024.11.02
昔の電子工作本から。

スライドボリュームがズラリと並んだグライコ(グラフィック・イコライザ)
相当な力作です。

スライドボリュームは業務用ではスタジオのミキシング卓っていうんですか、そういった物で見かけるようですが、
なかなかアマチュアの作品で使っている例は少ないのではないかと思います。
それは、細長い穴加工が大変だから、という理由でしょう。
電動丸ノコで切り込み、ヤスリで仕上げ。または糸ノコで切って、ヤスリで仕上げ。これを30回も繰り返す!

今の時代でしたらCNCとかレーザーカット等がありますけど、昔は、特に個人では手作業しかありませんでした。
図面を描いて鉄工所に加工してもらえばラクチンで、きれいな仕上がりになるでしょう。でも、実際はなかなか難しいでしょう。近所の馴染の鉄工所のオッチャンと知り合いでもない限り。

スライドボリュームがズラリと並んだグライコ(グラフィック・イコライザ)
相当な力作です。

スライドボリュームは業務用ではスタジオのミキシング卓っていうんですか、そういった物で見かけるようですが、
なかなかアマチュアの作品で使っている例は少ないのではないかと思います。
それは、細長い穴加工が大変だから、という理由でしょう。
電動丸ノコで切り込み、ヤスリで仕上げ。または糸ノコで切って、ヤスリで仕上げ。これを30回も繰り返す!

今の時代でしたらCNCとかレーザーカット等がありますけど、昔は、特に個人では手作業しかありませんでした。
図面を描いて鉄工所に加工してもらえばラクチンで、きれいな仕上がりになるでしょう。でも、実際はなかなか難しいでしょう。近所の馴染の鉄工所のオッチャンと知り合いでもない限り。