アメマバッチ
2025.02.01
本当にどうでも良い事を思い出す。忙しい時に限って。

間寛平の借金の原因となったアメマバッチ (※)
スイッチONでアメママンの目の赤と緑のLEDが点滅する。

オークション等で写真を色々見た限り、どうやら内部はトランジスタ2石のマルチバイブレータ回路じゃないかと推測中。(後ろの穴から電解コンデンサ2個と抵抗が見えている)

裁判で間寛平が、(メーカーは)ICを使っているというが実際には使ってないじゃないか等と発言していたようである。

ア~メ~マ~~~

※パッケージの写真を見ると、「アメマバッチ」と書いてある。(バッジではない)
三月磨臼
2025.01.22
LCDモニタや、ノートPC(特にDELL)の電源コード等で見かけるこの形


いわゆる「アメリカねずみ」を連想させるシルエット

このケーブルが必要になり、確か持っていたはず。
でも探してみるとなかなか見当たらず、そういえば以前大掃除で、こんなに何本もあったって使わないだろ、捨てろ、捨てろって捨てちゃったかもしれない。
DELLの壊れたノートPCのアダプタについていたっけ。どうせいらないと思って一緒に捨てたような気がする。

「捨てた物は必要になるの法則」

最終的には手元にあったのだが、いざという時のために1本買っておこうというわけです。(また物が増える)
PICマイコン
2025.01.16
マイコンは各社各機種、次々に新しいのが出てきて、どれを選んだら良いものやら迷ってしまって、結局、手が出なかったりする。

トラ技などの付録に基板がついてきたけど、今では廃れてしまったものもある。

今後使っていこうとして、解説書や書込ツール等をあれこれ買い揃えたけど結局無駄になった、というのは避けたい。

そもそも昔は('90年代)ワンチップマイコンは少なかった。世の中には有ったけど、特にホビーでいじる人にとっては身近ではなかった。
それまではCPUがあって、ROMがあって、RAMがあって、I/Oがあって・・・というふうにそれぞれのLSIを配線で結んでシステムを構成していた。
Z84C015のようにワンチップ化されたものもあったが、ROMとRAMは外付けしかなかった。
どうしても大掛かりになり、場所をとるので、ROMやRAMも含めたワンチップは欲しかった。

8048(8748)などが存在するのは(製品の基板などを見て)知っていたけど、あまり市販されておらず、開発ツールや書込機の課題もあった。

そんな中、'97年頃にトラ技に載ったのはPICマイコンの初めての記事。

なお、PIC自体はもっと昔から存在していた。たとえばMacintoshのマウスの中に入っていたのを実際にこの目で見ている。

その初めての記事は間違いも結構あったが、やってみようという気にさせられた。書き換え可能のワンチップマイコンは便利そう。

マイクロチップ社の英文の分厚いデータブックしか手に入らず、それを必死になって読み込んでいた。

当時は16C84で、その後16F84になった。

やはり最初は書込機でつまずいて、パラレルポートにつなぐ書込回路なんか手作りしてみたけどなぜかうまくいかない。あの回路をシンプルで素晴らしいなどと称賛する文章を見かけたが、動かなければ意味がないのだ。
とにかく、困った困ったと苦しんでいた。
プログラムも、あの変なアセンブラに慣れなくて、プログラムが正しいか間違っているのか。コンフィグはこれで良いのか悪いのか。わからなくてウロウロしていた。最初の頃はそんな具合だった。

試行錯誤しているうちにうまくいったのか良く覚えてないけど、記事に載っていた書込機を何パターンか作って試したのは何となく覚えている。
どれもこれも中途半端で、使いにくい点があったりして不満はあった。

最終的には秋月のPIC書込機キットを組み立ててケースに入れ、ようやく落ち着いた感じ。その後、色々な型番のPICを使う必要があり、純正の書込機を買ったと思う。

あのPICの変なアセンブラには苦心したが、Cコンパイラは当時高かったし、この小さなマイコンにCコンパイラは合わないだろうとも思っていた。
ちょっとしたプログラムだけでおさまりきらないのではないか。アセンブラで頑張って詰めるしかないと信じていた。

8ピンPICも魅力があった。
最初は12C508で、容量の大きい509と、EEPROM内蔵の12CE508なども有り、出た当時に入手して試していた。最初は窓付き(高価だった)とワンタイムしかなかった。
窓付きの内部をのぞいてみると、PICのコアとEEPROMが別々になっているのがわかって面白かった。(いまでは一体になっているだろうけど)

ところで、
PICにはいろんなワナがあって、毎回のようにひっかかったりしていた。

特にバンクが曲者で、暴走の原因になった。プログラムメモリにもデータメモリにもバンクがある。その切替が面倒で、切り替えのために余分な命令が増えるのと、常にバンクを意識しながらプログラムを作る必要があった。

ある時、他人の作ったプログラムを改良・機能追加してほしいと頼まれ、見てみるとかなり容量の大きいアセンブラのプログラムだった。よくこんなの作るなあ、と思いながら、元になったプログラムはアレだなと気づいていた。

機能を追加するのでプログラムを足していったら、バンクをまたいで動かなくなった(暴走)。困ったぞ、このバンクにおさまるようにするには!? 地獄の三丁目であった。
最終的にはうまくおさめたけど二度と触りたくない気持ち。

元々は確かソースが失われていて、最新版は製品に載っているPICから読み出してくれ、と。そのバイナリを逆アセして、残っている旧版のソースとを照合しながら、最新版のソースを再現してくれというのが最初の依頼だったような記憶。(よかったね、プロテクトかかってなくて)
担当者がやめたのか、HDDが壊れたのか、そのあたりの事情は知らない。

また別の話で、
いまアセンブラのソースが有るけど、これをC言語に書き直してほしい、ってのもあった。
新しい担当がアセンブラわからないって。
色々不思議な依頼があるものだ。


あと、PICのポートは「微妙に足りない」の法則がある。
最初18ピンでいけそうだと確信した。ところが、あと1本欲しいってのはよくある。

そうなると次の選択肢は28ピンになる。(今は20ピンもあるだろうけど)
今はXTALのピンもI/Oとして使える品番もあるけど、昔はXTALやMCLRは専用だった。16F84とかの時代。

28ピンか、でかいな・・・SSOPにするか、と。

それでも、兼用ピンの制約などでこのピンは使えないな、これはあれにしか使えないな、このポートは8ビットのデータを受けるから、・・・というわけで足りなくなり、結局40ピンになる。

40ピンはさすがにでかすぎるので、QFPにするか、と。
電源アダプタ
2025.01.06
ACアダプタとか呼び方は色々あって、詳しい定義は知らない。

昔(昭和~平成)はトランスが入っているものが普通で、コンセント周辺で邪魔ものだった。

このために電源の延長コードの短めのやつを買ったり作ったりして、さらにぐちゃぐちゃが加速した。

改めて考えてみると、近頃はトランス式のACアダプタは見かけない。すっかり無くなってしまった。みんなスイッチング方式になった。

スイッチングだってトランス入ってるじゃないかというツッコミもあろうが、ここでいうトランスはスイッチング用じゃないほうの昔ながらのトランス。

確かに大きくて重くて邪魔くさいけど、利点はスイッチング方式に比べてノイズが少ない。特にアナログには良い。
しかしスイッチング方式も近頃は改良されてきてノイズが激減した機種もあるようだ。

今さら、トランス式のACアダプタを買おうとしてもなかなか売ってない。

昔、あいまいな言い方だけど少なくとも10年以上前か。昔はジャンク屋でも普通に入手できたし安かった。
秋月でも平成初期の頃には玩具の付属品のアダプタなんかをたくさん安売りしていた。覚えているのは、リカちゃん電話用とか。
オリジナルのブランドのスイッチング電源アダプタを売るようになったのは、そのあとのこと。ジャンクを売りながら、需要があると把握したんだろうな。たぶん。
ジャンク屋の広告を味わう
2024.12.22
1983/11の「ラジオの製作」その広告欄


当時、こういった広告を飽きることなく眺めていました。どれもこれも興味をそそられる。だけどお金は限られている。欲しい。

ちょっとお金が貯まったら、通販で色々買ったものでした。

「ダイヤル式移動電話器」というのは要するにコードレスホンです。
自分はスーパービデオではなく、確か、セイコーエレクトロ産業から3台セットで買ったような記憶。
今のコードレスホンとはわけが違う。黒電話にアンテナが付いたようなもの。ボディは白かったけど。アンテナはラジオについているロッドアンテナと同様。
電源はニッカドが内蔵されていました。
そして本体が別にあって、木目調の箱で下半分はアルミだったと思うけど、安っぽい感じ。
実際に使ってみたけど、アナログのせいか通話時に雑音が乗っていた。一応は実用できたけど。呼び出し音はベルじゃなくてブザーが鳴っていた。

その下の無線電話機もコードレスホン。
これは最高200m届くというけど、電波法違反じゃないか。でんぱりようこちゃんが月に代わっておしおきよ!
この機種と同じか確かめようがないけど、同じような物を使っている農家がいて、自宅そばの畑で作業している時に便利だって。昔の話だけど。もっと遠くまで届くとか。
おいおい、そりゃ電波法違反ですよと指摘したが、本人は便利さのほうが優先で私の言う事など聞いてくれなかった。人間、ご都合ですよねえ。

気づいていない人は多いけど、コードレスホンの電波って合法機であっても結構遠くまで届いている。通話可能な距離とは別ですよ。
これも昔の話。受信機を回していたら、近所の人が電話している音声が丸聞こえ。ああ、あの塾だな。結構離れているのに、ここまで届いているなんて。
他人の話を聴く趣味はないのでそこで止めたけど、気をつけないといけないね。秘密の話はコードレスではやめよう。

600型電話機、601型電話機、プッシュホン電話機・・・いずれも中古で、おそらく電電公社が捨てたものを拾ってきて売っていたのではないかと勝手に想像。
私もプッシュホンを買ったことがある。

この広告じゃないけど、ホームセンター等でもハンディホンやコードレスホンが売られていて、これらは全て認定品じゃなかった。

そもそも端末の自由化は電電公社が民営化された1985年からだったから、勝手に電話機を(公社以外のものに)取り替えて使うのはいけなかったのだけど、この当時1983年。

電話用さしこみプラグ・ジャック
これは電話機のコンセントで、今のモジュラージャックとは違う。その前の世代のもの。
あちこちに電話の配線をのばしてコンセントをつけておき、黒電話を持ち運んで使えるという時代があった。
電話機をはずしたままにしておくとベルが鳴らなくて着信に気づかないから、ベルを別に付けたりしなかったっけ。

特殊イヤホーン
聴診器みたいに二又になっている部分は管になっており、その二又の中間のところに普通のイヤホンが差し込んである。確か買ったぞ、当時。

スピーカー、ネットワーク、BOX
あまりスピーカーには興味がなかった。後輩のほうが強い興味をもっており、彼なら欲しがっただろうな。

スーパービデオは確か現在は無いと思う。ミニファクスなんかも売っていた時期があり、私も送受信セットで買ったことがある。

放送局用のビデオレコーダ、これはこの広告には載ってないけど、載っている号は見覚えがあった。業務用ビデオじゃないんですよ。巨大なビデオ装置。オープンリールの!
手の届きそうな値段だったので買おうと思った事もあったけど、どうやって運ぶのかという課題もあり、そして置き場所もなかった。家に入れるのは無理だったかもしれない。

右側のページ
パーソナル無線は当時ナウかった。ナウい無線。

受令機というのはケーサツ無線を聴くための受信機。当時アナログだから、普通に聴くことができた。
私が専門学校の頃、先生から修理依頼を受けたことがある。直せるようだったら直してくれと。ちゃんと直して先生に返したら、修理代を頂いた。

ハイパスフィルター(ナサ)
ナサ(笑)

ガッチャンマイク(笑)

写ってないけど、その次のページは共立電子産業
キット色々

「清少納言は枕草子、ナウい深夜ピープルの君には [ピロースピーカー] 」
ナウい。

オーディオX-Yモニターキット
これは5x5マトリクスLEDがステレオ信号に合わせて光るというもの。
なんかLEDがチカチカしているだけでも楽しかったな、あの頃は。

カラーテレビゲーム基板 TVG-15
これは確か ******** の製品の基板だけだろう。確か買ったぞ。
ゲームだけでも結構遊べて、飽きたら改造してRGB出力のマイコンを家庭用テレビにRF接続する為に使うこともできた。

- CafeLog -