OSがタダ
2025.08.21
ちょうどWindows95前夜ぐらいか、その後だったか。
たまたま本屋に立ち寄ったら、無償OS付きの本があって、まさかOSがタダなんて?半信半疑で買って帰ってきた。まったく信じられなかった。
すっかりM$商法の毒に漬かってしまっていたのだろう。
それはLinuxといって、Slackwareというディストリビューション。
フロッピーとCDが挟み込んであったような記憶。
早速試してみた。インストール方法でよく分からない所もあったが、本を見ながらひとつずつ進んで、起動するようになった。
もともとUnixのWSを使っていたので、コマンドには慣れていた。
この上でWebサーバやメールサーバを動かすには?
Webサーバは動かす所までが大変だったが一応できて、メールサーバは結局やってないと思う。
ダイヤルアップで外部からログインする事が、当時一番興味があった事。
一番難しかったというか、なかなかできなかったのは画面設定。
当時はブラウン管モニタで、その設定が適切でないと画面がウニョーンと歪んだり、ずれたりした。最悪は壊れることもあるという脅しまであった。実際、キュイーンとか変な音がしたりして怖かった。
ビデオカードに対応したドライバも揃っていなかった頃で、苦労した。
結局、当時何台かインストールしていたPCのうち1台だけはテキスト表示のみであきらめた。
その後、色んなディストリビューションが現れ、どんどん進化して簡単になり、USBメモリひとつでも起動して動かしたりできるようになった。画面の設定も無し。
たまたま本屋に立ち寄ったら、無償OS付きの本があって、まさかOSがタダなんて?半信半疑で買って帰ってきた。まったく信じられなかった。
すっかりM$商法の毒に漬かってしまっていたのだろう。
それはLinuxといって、Slackwareというディストリビューション。
フロッピーとCDが挟み込んであったような記憶。
早速試してみた。インストール方法でよく分からない所もあったが、本を見ながらひとつずつ進んで、起動するようになった。
もともとUnixのWSを使っていたので、コマンドには慣れていた。
この上でWebサーバやメールサーバを動かすには?
Webサーバは動かす所までが大変だったが一応できて、メールサーバは結局やってないと思う。
ダイヤルアップで外部からログインする事が、当時一番興味があった事。
一番難しかったというか、なかなかできなかったのは画面設定。
当時はブラウン管モニタで、その設定が適切でないと画面がウニョーンと歪んだり、ずれたりした。最悪は壊れることもあるという脅しまであった。実際、キュイーンとか変な音がしたりして怖かった。
ビデオカードに対応したドライバも揃っていなかった頃で、苦労した。
結局、当時何台かインストールしていたPCのうち1台だけはテキスト表示のみであきらめた。
その後、色んなディストリビューションが現れ、どんどん進化して簡単になり、USBメモリひとつでも起動して動かしたりできるようになった。画面の設定も無し。
WS
2025.08.21
ワークステーション(WS)
PCの性能が今よりずっと低かった頃、WSは高性能のパソコンみたいな位置づけ
OSはUnix系 (SunOS、HP-UX等)
WSのメーカーはSunとかHPなど
今となっては、レトロマイコンと言っても良さそうな気がする。当時のCPUはSPARCとかMC68020だった。
その後、PCの性能はグングン向上し、取って代わられてしまったわけです。
平成初期の頃、ZUKENの基板設計CADはSunのWS上で動いていて、他にHPのWSも有った。
聞くと、そのCADソフトは田舎では家が建つぐらいの値段だという。よくそんな高いものを買うなあ~。(ソフト代というよりサポート代かもしれない)
そんなに高いくせにパターンは自動で引いてくれない。オートルータは、さらに課金しないといけないんだと。
その後、外注でオートルータを使う機会があったけど、おそろしく時間がかかったし、製品では使えないようなパターンで(やたらに遠回りしたりとか)、お金を払う価値は無いと当時思った。
超複雑な回路を急ぎ試作したい時で、オートで線が通らないというので仕方なく8層にして、試作後に修正反映と、手動で引き直して6層に直したと思う。
そんな高価なCADソフト、
基板設計を外注に出して、それを何十回繰り返すことを考えたら元がとれるという計算かもしれない。社内でやるにしても人件費がかかるのは当然。
次の会社にいた時、ZUKENがCADを売り込みに来たけど400万だって。回路図CADだけで。セールスの方に、うちは10万のCADがあってこれで十分だよとデモまで見せてあげました。否定しているわけではありませんよ。うちはそんな高級な機能があっても使わないから400万も出せないという話。
さて、あまりにも社内が忙しすぎるから基板設計を外注に出そうとした。
外注から見積をもらっても、他社にも聞け、相見積だ、値段交渉しろ、って上司から言われる。(決着するまで設計は進まない。そのまま社内でやっていたら、その時点で部品配置まで終わっていただろう)
値段交渉は、他社はいくらぐらいでしたといえば簡単に下がる。たとえば、50万だ45万だって言っていたのが30万に下がるんだから不思議なもの。
しかし・・・値切るのは良いが、外注は思ったような設計品質で出来上がってこないものだと知った。(みんながそうだとは言えないが、その時の外注はひどかった)
ずいぶん時間がかかって出来上がってきた設計を見て、「なんだこりゃ」
まず、こちらが指示したことをやってない。たとえばフォトカプラの一次側と二次側のアイソレーションとか部品配置について、しっかり指示が書いてあるのに守ってない。
結局、社内の基板設計課が(ぶつぶつ言いながら)やり直しをしていた。
ところで平成初期の頃、LANは一般的ではなく、少なくとも当時の会社ではWS同士と一部のPCしかつながっていなかった。
そもそも一人1台のPCは無かった時代で、あとで係長以上にはノートPCが支給されたけど、我々下っ端は限られたPCをみんなで共用していた。
まだ、かなりの書類を手書きで作成していたぐらいで、使いたい時にPCが使えないから仕方がない。
なんと、あの伝説のイエローケーブルが社内に引き回されていた。この接続は難しいんだぞ、お前にできないだろうと当時の上司がマウントを・・・
LAN関連機器の設計から関わっていたが、こんなもの高価だし一部でしか使われないから一般人には関係ないよなと思っていた。その頃に作ったISDNルータ・ブリッジは120万もしたのである。
まさかその数年後、自分も家庭内LANを引き回してLinuxを動かすなんて想像もできなかった。
サーバーを設置して、ケーブルを引き回し、隣の部屋からログインしてコンパイルしたりとか、なんとも不思議な体験だった。これがWSじゃなくてPCでできるなんて。
PCの性能が今よりずっと低かった頃、WSは高性能のパソコンみたいな位置づけ
OSはUnix系 (SunOS、HP-UX等)
WSのメーカーはSunとかHPなど
今となっては、レトロマイコンと言っても良さそうな気がする。当時のCPUはSPARCとかMC68020だった。
その後、PCの性能はグングン向上し、取って代わられてしまったわけです。
平成初期の頃、ZUKENの基板設計CADはSunのWS上で動いていて、他にHPのWSも有った。
聞くと、そのCADソフトは田舎では家が建つぐらいの値段だという。よくそんな高いものを買うなあ~。(ソフト代というよりサポート代かもしれない)
そんなに高いくせにパターンは自動で引いてくれない。オートルータは、さらに課金しないといけないんだと。
その後、外注でオートルータを使う機会があったけど、おそろしく時間がかかったし、製品では使えないようなパターンで(やたらに遠回りしたりとか)、お金を払う価値は無いと当時思った。
超複雑な回路を急ぎ試作したい時で、オートで線が通らないというので仕方なく8層にして、試作後に修正反映と、手動で引き直して6層に直したと思う。
そんな高価なCADソフト、
基板設計を外注に出して、それを何十回繰り返すことを考えたら元がとれるという計算かもしれない。社内でやるにしても人件費がかかるのは当然。
次の会社にいた時、ZUKENがCADを売り込みに来たけど400万だって。回路図CADだけで。セールスの方に、うちは10万のCADがあってこれで十分だよとデモまで見せてあげました。否定しているわけではありませんよ。うちはそんな高級な機能があっても使わないから400万も出せないという話。
さて、あまりにも社内が忙しすぎるから基板設計を外注に出そうとした。
外注から見積をもらっても、他社にも聞け、相見積だ、値段交渉しろ、って上司から言われる。(決着するまで設計は進まない。そのまま社内でやっていたら、その時点で部品配置まで終わっていただろう)
値段交渉は、他社はいくらぐらいでしたといえば簡単に下がる。たとえば、50万だ45万だって言っていたのが30万に下がるんだから不思議なもの。
しかし・・・値切るのは良いが、外注は思ったような設計品質で出来上がってこないものだと知った。(みんながそうだとは言えないが、その時の外注はひどかった)
ずいぶん時間がかかって出来上がってきた設計を見て、「なんだこりゃ」
まず、こちらが指示したことをやってない。たとえばフォトカプラの一次側と二次側のアイソレーションとか部品配置について、しっかり指示が書いてあるのに守ってない。
結局、社内の基板設計課が(ぶつぶつ言いながら)やり直しをしていた。
ところで平成初期の頃、LANは一般的ではなく、少なくとも当時の会社ではWS同士と一部のPCしかつながっていなかった。
そもそも一人1台のPCは無かった時代で、あとで係長以上にはノートPCが支給されたけど、我々下っ端は限られたPCをみんなで共用していた。
まだ、かなりの書類を手書きで作成していたぐらいで、使いたい時にPCが使えないから仕方がない。
なんと、あの伝説のイエローケーブルが社内に引き回されていた。この接続は難しいんだぞ、お前にできないだろうと当時の上司がマウントを・・・
LAN関連機器の設計から関わっていたが、こんなもの高価だし一部でしか使われないから一般人には関係ないよなと思っていた。その頃に作ったISDNルータ・ブリッジは120万もしたのである。
まさかその数年後、自分も家庭内LANを引き回してLinuxを動かすなんて想像もできなかった。
サーバーを設置して、ケーブルを引き回し、隣の部屋からログインしてコンパイルしたりとか、なんとも不思議な体験だった。これがWSじゃなくてPCでできるなんて。
(海外の)治安
2025.08.21
ハワイと台湾ぐらいしか行ったことがなく、他は不明
ハワイでは通りを歩いていたら声をかけられた。ニッポンジンデスカー?
危ない、日本語がわからないふりをして回避。
別の国だけに、日本と同じ感覚ではダメだ。
人通りの多い場所なのに、そんなのは全く気にせずカップルがキスしていたりとか、やっぱりアメリカは違うなーという発見。
日本人だったら、そんなのは人前ですることじゃないからな。
さっき声をかけてきたヤツに、もしついていったら注射を打たれて意識が飛び、金品を奪われて山の中に放置されるか、あるいは生きて帰れるかもわからないのだ。(そのように現地のTVで観光客向けに注意喚起が流れていた)
日本のドラマや時代劇が吹き替えられたり内容がアレンジされて放送されており、それはそれで面白かった。ABARENBO SHOGUN II とか。特撮の戦隊モノは、ずいぶん手が加えられていたような印象。あちらの国の大人の事情があるのだろう。
さて、台湾の場合は一番に物乞い、二番にスリ。
物乞いはあちこちにいた。駅の待合で座っていれば近づいてくる。手を出して、金か食べ物をよこせというジェスチャー。
淡水駅周辺でも見かけたし、台南駅でも、そのほかの場所でも。
油断一秒とはよく言ったもので、とにかく動き続けていないと、じっとしていると近づいてくる。隙をみせてはいけない。
駅前の階段に座っていたらタクシーの運転手さんが近づいてきて、貸し切りタクシーの観光案内の名刺を渡されたり、とにかく何かしらの干渉は有る。
スリは台北駅の地下街だったか、未遂に終わったけど、あれはおそらくスリの仕業。
ちょうど地下鉄に乗ろうと思って乗り場へ移動中だった。
ふと、誰かにぶつかったか触られたような感じがしたので立ち止まって見ると、足元に紙幣が落ちていた。自分の財布が抜かれて、中身が出たみたい。
財布にはチェーンを付けていたから持っていかれず、紙幣が散らばっただけ。
私がすぐ気付いたから逃げたんだろう。
それ以来、滞在中は相当に気をつけていたけど、とにかく隙を見せないこと。荷物を一時的に置くのだって危ない。まず盗まれると思って、手を離すな。目を離すな。
指輪に見せかけた刃物があるとか、リュックを刃物で切り裂いて中身を抜くなんて話も聞いた事があるけど、とにかくなんでもありだと思って覚悟していたほうがよい。
いまストリートビューで市街地の家を見ても、二階以上には鉄格子がはまっているでしょう?あれは泥棒がよじ登ってくるから、鉄格子を付けているんです。日本ではなかなか見かけません。日本でも付けておけば防犯強化につながりそうですけど、なかなか見た目が・・・
ハワイでは通りを歩いていたら声をかけられた。ニッポンジンデスカー?
危ない、日本語がわからないふりをして回避。
別の国だけに、日本と同じ感覚ではダメだ。
人通りの多い場所なのに、そんなのは全く気にせずカップルがキスしていたりとか、やっぱりアメリカは違うなーという発見。
日本人だったら、そんなのは人前ですることじゃないからな。
さっき声をかけてきたヤツに、もしついていったら注射を打たれて意識が飛び、金品を奪われて山の中に放置されるか、あるいは生きて帰れるかもわからないのだ。(そのように現地のTVで観光客向けに注意喚起が流れていた)
日本のドラマや時代劇が吹き替えられたり内容がアレンジされて放送されており、それはそれで面白かった。ABARENBO SHOGUN II とか。特撮の戦隊モノは、ずいぶん手が加えられていたような印象。あちらの国の大人の事情があるのだろう。
さて、台湾の場合は一番に物乞い、二番にスリ。
物乞いはあちこちにいた。駅の待合で座っていれば近づいてくる。手を出して、金か食べ物をよこせというジェスチャー。
淡水駅周辺でも見かけたし、台南駅でも、そのほかの場所でも。
油断一秒とはよく言ったもので、とにかく動き続けていないと、じっとしていると近づいてくる。隙をみせてはいけない。
駅前の階段に座っていたらタクシーの運転手さんが近づいてきて、貸し切りタクシーの観光案内の名刺を渡されたり、とにかく何かしらの干渉は有る。
スリは台北駅の地下街だったか、未遂に終わったけど、あれはおそらくスリの仕業。
ちょうど地下鉄に乗ろうと思って乗り場へ移動中だった。
ふと、誰かにぶつかったか触られたような感じがしたので立ち止まって見ると、足元に紙幣が落ちていた。自分の財布が抜かれて、中身が出たみたい。
財布にはチェーンを付けていたから持っていかれず、紙幣が散らばっただけ。
私がすぐ気付いたから逃げたんだろう。
それ以来、滞在中は相当に気をつけていたけど、とにかく隙を見せないこと。荷物を一時的に置くのだって危ない。まず盗まれると思って、手を離すな。目を離すな。
指輪に見せかけた刃物があるとか、リュックを刃物で切り裂いて中身を抜くなんて話も聞いた事があるけど、とにかくなんでもありだと思って覚悟していたほうがよい。
いまストリートビューで市街地の家を見ても、二階以上には鉄格子がはまっているでしょう?あれは泥棒がよじ登ってくるから、鉄格子を付けているんです。日本ではなかなか見かけません。日本でも付けておけば防犯強化につながりそうですけど、なかなか見た目が・・・
郵便番号簿、電話番号簿
2025.08.21
いまは郵便番号を調べるなんて大した手間ではありません。ネットでチョイチョイと調べられます。
しかし、それ以前はどうだったか思い出してみる・・・
宛先住所に郵便番号も書いてあれば良いけれど、わからない場合は「郵便番号簿」で調べていました。紙の冊子です。
郵便番号を書かなくても一応届くけど、処理が遅くなる可能性、そして「郵便番号はハツキリと」というスタンプが押されてから相手に届きました。
ハツキリと。
どうして、こんな変なことばっかり覚えているのでしょう。肝心の学校の勉強はサツパリと。
郵便番号簿は、郵便局の窓口に頼むともらえたと思うけど、いつだったかもらいに行ったら無いって断られた記憶しかない。
その前は、たまたま家にあったのを使ったりとか。
だいたいよく使っていたのは年賀状シーズンぐらい?
郵便番号だって最初は5桁で、後に現在の7桁になったわけです。その利点もあって、宛先の住所の一部を省略できるようになった。特定の企業・役所専用の郵便番号もある。
子どもの頃にNHKの番組で、おたよりの送り先の案内で「〒150 東京都渋谷区神南 NHK」という宛先を見ていました。
番地を書かなくて大丈夫かと子供心に気になっていました。まさかあのNHKを知らないなんて無いでしょうし、たぶん、そこらへん一帯NHKの敷地だろうから番地なんか不要です。
いまの「郵便番号簿」は郵便局のサイトから検索するか、ダウンロードするだけかな。紙の冊子があるのかどうかは知らない。
ところで似た名前で「電話番号簿」というものがありました。
電話帳ですな。
郵便局もNTTも先祖は逓信省だから、~~簿という名前にしたのかなと思います。郵便局が電信・電話を扱っていた時代もありました。
電話番号簿 →電話帳 →タウンページ、ハローページ というふうに変わってきたものという記憶です。
高校生の頃、市内の図書館に全国の電話帳が置いてありました。暇だったから有名人の名前が載っているかと探してみたら意外と載っていて、いたずら電話は大丈夫だろうかと(他人事ながら)心配でした。
しかし、それ以前はどうだったか思い出してみる・・・
宛先住所に郵便番号も書いてあれば良いけれど、わからない場合は「郵便番号簿」で調べていました。紙の冊子です。
郵便番号を書かなくても一応届くけど、処理が遅くなる可能性、そして「郵便番号はハツキリと」というスタンプが押されてから相手に届きました。
ハツキリと。
どうして、こんな変なことばっかり覚えているのでしょう。肝心の学校の勉強はサツパリと。
郵便番号簿は、郵便局の窓口に頼むともらえたと思うけど、いつだったかもらいに行ったら無いって断られた記憶しかない。
その前は、たまたま家にあったのを使ったりとか。
だいたいよく使っていたのは年賀状シーズンぐらい?
郵便番号だって最初は5桁で、後に現在の7桁になったわけです。その利点もあって、宛先の住所の一部を省略できるようになった。特定の企業・役所専用の郵便番号もある。
子どもの頃にNHKの番組で、おたよりの送り先の案内で「〒150 東京都渋谷区神南 NHK」という宛先を見ていました。
番地を書かなくて大丈夫かと子供心に気になっていました。まさかあのNHKを知らないなんて無いでしょうし、たぶん、そこらへん一帯NHKの敷地だろうから番地なんか不要です。
いまの「郵便番号簿」は郵便局のサイトから検索するか、ダウンロードするだけかな。紙の冊子があるのかどうかは知らない。
ところで似た名前で「電話番号簿」というものがありました。
電話帳ですな。
郵便局もNTTも先祖は逓信省だから、~~簿という名前にしたのかなと思います。郵便局が電信・電話を扱っていた時代もありました。
電話番号簿 →電話帳 →タウンページ、ハローページ というふうに変わってきたものという記憶です。
高校生の頃、市内の図書館に全国の電話帳が置いてありました。暇だったから有名人の名前が載っているかと探してみたら意外と載っていて、いたずら電話は大丈夫だろうかと(他人事ながら)心配でした。
ポケコン
2025.08.21
中学校の同級生がPB-100を持っていて、時々借りて遊んでいた。
増設RAMパックが欲しくて電器店に取り寄せを頼んでいたようだが、なかなか物が入ってこないのであきらめたのは覚えている。当時は生産中止ではなかったと思うけど。
いつの間にかPB-80も買っていて、これはキーボードがフラットなもので折りたたみのカバーが付いていた。
音が出るので、何となく学校帰りにピポピポ鳴らし続けてみたりとか、いま思えば意味のわからない事をしていた。
ボクシングのゲームを作れとか無茶を言われた。結局どうしたっけ。
ボタンを連打してとは言ったが、じつはキー入力なんか見てなくて、乱数で適当に衝突させて表示を変化させていただけじゃなかったっけ。
ストレスチェックとか相性占いと称して、画面に*を表示しておき、ココニユビヲオイテクダサイ
そこがセンサーになってるとか適当に言って(笑)
適当に待ち時間を設けて、表示を.......と変化させて最後に何%と表示する。これも乱数。
相性はカップルの名前を入力させ、恥ずかしいだろうから入力するところは見ないからといいながらあとで変数を表示させて、ああ、誰々が好きなんだとか見たかもしれない。
これを何度も試すヤツがいて、「さっきと違うぞ」と突っ込んできた。
「ああ、それは相手の感情なんかコロコロ変わるからそういうものだよ」と返しておいた。(笑)
増設RAMパックが欲しくて電器店に取り寄せを頼んでいたようだが、なかなか物が入ってこないのであきらめたのは覚えている。当時は生産中止ではなかったと思うけど。
いつの間にかPB-80も買っていて、これはキーボードがフラットなもので折りたたみのカバーが付いていた。
音が出るので、何となく学校帰りにピポピポ鳴らし続けてみたりとか、いま思えば意味のわからない事をしていた。
ボクシングのゲームを作れとか無茶を言われた。結局どうしたっけ。
ボタンを連打してとは言ったが、じつはキー入力なんか見てなくて、乱数で適当に衝突させて表示を変化させていただけじゃなかったっけ。
ストレスチェックとか相性占いと称して、画面に*を表示しておき、ココニユビヲオイテクダサイ
そこがセンサーになってるとか適当に言って(笑)
適当に待ち時間を設けて、表示を.......と変化させて最後に何%と表示する。これも乱数。
相性はカップルの名前を入力させ、恥ずかしいだろうから入力するところは見ないからといいながらあとで変数を表示させて、ああ、誰々が好きなんだとか見たかもしれない。
これを何度も試すヤツがいて、「さっきと違うぞ」と突っ込んできた。
「ああ、それは相手の感情なんかコロコロ変わるからそういうものだよ」と返しておいた。(笑)