北の国から (の暗号放送)
2024.04.10
現在やってないという認識だが、だいたい2000年頃まで続いていた?
某北の国からの暗号放送
朝鮮中央放送の日本語放送終了後ラジオをそのまま聴いていると、深夜0時から不思議な放送が始まった。
息を詰めた女性アナウンサーの声、朝鮮語で5桁の数字を読み上げている。番組の始まりと終わりは、あの国の勇ましい音楽が流れていたと思う。
当時はAMラジオの783?kHzとか短波の・・・周波数忘れた。とにかく、複数の周波数で放送されていた。(受信状態が悪くなってもスパイが聞き取れるようにでしょうね)
朝鮮語は聞き取れなかったが、もし数字がわかったとしても乱数表がないと解読できない。
乱数表は某国から密かに持ち込まれるらしい。どうやっていたのか知らないが、何かの本で読んだ記憶では、化粧品のクリームの底に埋め込んだりしたらしい。
旅行者の荷物にさりげなく紛れ込ませたりしても、全員は調べないからわからないだろう。
あの拉致とも関連があったとか。
深夜の勉強時など、好奇心の向くままに聴いてみたりしたが、内容がわかるわけでもなく、ただ・・・こんな放送がリアルに存在する事実をかみしめていた感じ。
当時NHKの番組でも、この暗号放送について取り上げられた事があった。
それ何年何月何日の何時から放送されたものだよって聞かれても記録してないし分からないが、番組を見た覚えはある。30年以上前だと思う。
某北の国からの暗号放送
朝鮮中央放送の日本語放送終了後ラジオをそのまま聴いていると、深夜0時から不思議な放送が始まった。
息を詰めた女性アナウンサーの声、朝鮮語で5桁の数字を読み上げている。番組の始まりと終わりは、あの国の勇ましい音楽が流れていたと思う。
当時はAMラジオの783?kHzとか短波の・・・周波数忘れた。とにかく、複数の周波数で放送されていた。(受信状態が悪くなってもスパイが聞き取れるようにでしょうね)
朝鮮語は聞き取れなかったが、もし数字がわかったとしても乱数表がないと解読できない。
乱数表は某国から密かに持ち込まれるらしい。どうやっていたのか知らないが、何かの本で読んだ記憶では、化粧品のクリームの底に埋め込んだりしたらしい。
旅行者の荷物にさりげなく紛れ込ませたりしても、全員は調べないからわからないだろう。
あの拉致とも関連があったとか。
深夜の勉強時など、好奇心の向くままに聴いてみたりしたが、内容がわかるわけでもなく、ただ・・・こんな放送がリアルに存在する事実をかみしめていた感じ。
当時NHKの番組でも、この暗号放送について取り上げられた事があった。
それ何年何月何日の何時から放送されたものだよって聞かれても記録してないし分からないが、番組を見た覚えはある。30年以上前だと思う。
短波と短波ラジオ
2024.04.09
子どもの頃、短波というのは不思議な存在だった。
普通のラジカセにはAM/FMしかついてない。短波(SW)は珍しかったと思う。(そうでもないか、人によって違う)
ちなみに同級生のイニシャルがSWだったヤツを短波と呼んでみたこともある。
町のごみ収集のオジサン(同級生の祖父)と知り合いになり、集積場に連れて行ってもらって、粗大ごみで集めたラジカセやらテレビやらたくさんあって選びたい放題だった。
そこでもらったのはナショナルのRQ448(MAC FF)というラジカセで短波がついていた。全く壊れていなくて何で捨てられたのか、買い替えで捨てられたんだろうと思う。
ご参考
ttp://plaza.harmonix.ne.jp/~ita/1123/RQ448.htm
これは遊べるラジカセで、ワイヤレスマイクは付いていたし、短波も受信できた。
その電波の性質上、夜になるとよく放送が入る。
ダイヤルを端からソーッと回しながら耳をすますと、知らない外国語やら不思議な電子音やらが聞こえてきた。
5MHzや10MHzでは一定の音を繰り返す、いわゆる標準電波(日本ではJJYだった)が受信できた。これを時計合わせに使ったりしたものだった。この電波を利用して時計を正確に動かせないか、という発想は当時あったが、どうやって実現するか、というところで前進できなかった。
電子工作のコンテスト(電波新聞社)の出品に、時報で時計を0秒に合わせる仕組みの作品があって興味をもった。これが応用できないかと考えていた。
モールス信号や、あるいは7MHzあたりでモガモガ声が聞こえていた。これはアマチュア無線で、SSBだから普通のラジオで聴くとモガモガになる。
共立電子からBFOキットを買って、うまく調整してやるとクリアに聴こえるようになった。
それ以前はなんとかしてモガモガ状態で交信を聞き取ってやろうというチャレンジをしていた。
交信の内容を書くのは良くないが、もう何十年も経過しているので支障ないと思う。確か自動車が故障して、無線仲間から修理方法のアドバイスをもらうようなやりとりだった。
夜な夜なラジオのダイヤルを回したり、ラジオの製作に載っていたBCLの周波数情報を見ながら周波数を合わせて放送を聞こうとした。
だけど周波数直読ではなく、大雑把な目盛りだからなかなか思ったように合わせられない。受信できない。
昔「何メーターバンド」といって波長で周波数帯を示していて、結構大雑把なものだった。
いまでこそ、周波数をテンキーから打ち込むラジオを持っているが、当時はそんなもの夢だった。ただ、ラジオの製作の(BCL記事の)筆者は持っていて、記事にたびたび登場するそのラジオの写真を見ながら、あこがれていたのである。
ラジオたんぱで株式を聴いたり、競馬とか、もう完全に大人の世界でサッパリわからなかった。こち亀の両さんが短波ラジオで競馬中継を聴いているのは漫画で見たことがあるだろう。
ラジカセのおまけの短波だから周波数は確か12MHzあたりまでしか無く、それ以上の周波数を聴いてみたいと思ってもできなかった。
ところで、短波ラジオの自作もした。
ラジオの製作の記事だったが、非常に簡単な回路で短波が受信できるというのでビビッと来て部品を注文して組み立てた。
コイルは単2電池に紙を巻き、そこへエナメル線を10回巻いて作る。ほどけないようにテープを貼ったり接着剤を塗って固める。
トランジスタ2石だったと思うけど、初段のバイアス抵抗は5.1MΩというのはなぜか覚えている。バリコンは普通に見かけるAMの単連でよかった。
クリスタルイヤホンで聴くんだったっけ。
さっきのラジカセよりもはるかに大雑把な代物だったが、これで短波を聴くのはかえって新鮮だった。
ケースは、ナッツボンの空き缶だったと思う。いまは袋に入って売られているが、当時は缶入りが有り、フタは半透明のプラスチックだった。
フタはポリバリコンを取り付けるのにちょうどよかった。
シールド効果を期待して金属の入れ物を使ったのではなく、たまたま転がっていたものをテキトーに使っていた、あの頃。
そのほか、意外な方法で短波を受信したこともある。
当時よくテレビが捨てられていて、拾ってきては部品を外して集めていたが、チューナーユニットは使い道がなかった。
見た感じ、何か使えそうにも見えるが、結局は何も使い道がなかった。
アンテナ入力と、電源をどこかにつなげば出力が出るのだろう、ぐらいしか当時はわからなかった。
それでまあ、適当に電池をつなぎ、アンテナをつないで、その出力をFMラジオにつないでみたと思う。このあたりは記憶がハッキリしないけど、確かに実験をした。
あるいは低周波のアンプにつないだかもしれない。アンプといったけど、じつはラジカセのマイク入力につないで、そのスピーカーから聴いていただけという場合もあった。これがお手軽だった。
そうすると、どういうわけか「自由中国の声」(当時)の日本語放送が聞こえてきた。あの曲。(あの曲といってわかる人はわかる)
当時は原理がわからず、そして後日再現もできなかった。
たぶんだけど、原理的にはダイレクトコンバージョンみたいな事になっていたんじゃないかなと思う。
普通のラジカセにはAM/FMしかついてない。短波(SW)は珍しかったと思う。(そうでもないか、人によって違う)
ちなみに同級生のイニシャルがSWだったヤツを短波と呼んでみたこともある。
町のごみ収集のオジサン(同級生の祖父)と知り合いになり、集積場に連れて行ってもらって、粗大ごみで集めたラジカセやらテレビやらたくさんあって選びたい放題だった。
そこでもらったのはナショナルのRQ448(MAC FF)というラジカセで短波がついていた。全く壊れていなくて何で捨てられたのか、買い替えで捨てられたんだろうと思う。
ご参考
ttp://plaza.harmonix.ne.jp/~ita/1123/RQ448.htm
これは遊べるラジカセで、ワイヤレスマイクは付いていたし、短波も受信できた。
その電波の性質上、夜になるとよく放送が入る。
ダイヤルを端からソーッと回しながら耳をすますと、知らない外国語やら不思議な電子音やらが聞こえてきた。
5MHzや10MHzでは一定の音を繰り返す、いわゆる標準電波(日本ではJJYだった)が受信できた。これを時計合わせに使ったりしたものだった。この電波を利用して時計を正確に動かせないか、という発想は当時あったが、どうやって実現するか、というところで前進できなかった。
電子工作のコンテスト(電波新聞社)の出品に、時報で時計を0秒に合わせる仕組みの作品があって興味をもった。これが応用できないかと考えていた。
モールス信号や、あるいは7MHzあたりでモガモガ声が聞こえていた。これはアマチュア無線で、SSBだから普通のラジオで聴くとモガモガになる。
共立電子からBFOキットを買って、うまく調整してやるとクリアに聴こえるようになった。
それ以前はなんとかしてモガモガ状態で交信を聞き取ってやろうというチャレンジをしていた。
交信の内容を書くのは良くないが、もう何十年も経過しているので支障ないと思う。確か自動車が故障して、無線仲間から修理方法のアドバイスをもらうようなやりとりだった。
夜な夜なラジオのダイヤルを回したり、ラジオの製作に載っていたBCLの周波数情報を見ながら周波数を合わせて放送を聞こうとした。
だけど周波数直読ではなく、大雑把な目盛りだからなかなか思ったように合わせられない。受信できない。
昔「何メーターバンド」といって波長で周波数帯を示していて、結構大雑把なものだった。
いまでこそ、周波数をテンキーから打ち込むラジオを持っているが、当時はそんなもの夢だった。ただ、ラジオの製作の(BCL記事の)筆者は持っていて、記事にたびたび登場するそのラジオの写真を見ながら、あこがれていたのである。
ラジオたんぱで株式を聴いたり、競馬とか、もう完全に大人の世界でサッパリわからなかった。こち亀の両さんが短波ラジオで競馬中継を聴いているのは漫画で見たことがあるだろう。
ラジカセのおまけの短波だから周波数は確か12MHzあたりまでしか無く、それ以上の周波数を聴いてみたいと思ってもできなかった。
ところで、短波ラジオの自作もした。
ラジオの製作の記事だったが、非常に簡単な回路で短波が受信できるというのでビビッと来て部品を注文して組み立てた。
コイルは単2電池に紙を巻き、そこへエナメル線を10回巻いて作る。ほどけないようにテープを貼ったり接着剤を塗って固める。
トランジスタ2石だったと思うけど、初段のバイアス抵抗は5.1MΩというのはなぜか覚えている。バリコンは普通に見かけるAMの単連でよかった。
クリスタルイヤホンで聴くんだったっけ。
さっきのラジカセよりもはるかに大雑把な代物だったが、これで短波を聴くのはかえって新鮮だった。
ケースは、ナッツボンの空き缶だったと思う。いまは袋に入って売られているが、当時は缶入りが有り、フタは半透明のプラスチックだった。
フタはポリバリコンを取り付けるのにちょうどよかった。
シールド効果を期待して金属の入れ物を使ったのではなく、たまたま転がっていたものをテキトーに使っていた、あの頃。
そのほか、意外な方法で短波を受信したこともある。
当時よくテレビが捨てられていて、拾ってきては部品を外して集めていたが、チューナーユニットは使い道がなかった。
見た感じ、何か使えそうにも見えるが、結局は何も使い道がなかった。
アンテナ入力と、電源をどこかにつなげば出力が出るのだろう、ぐらいしか当時はわからなかった。
それでまあ、適当に電池をつなぎ、アンテナをつないで、その出力をFMラジオにつないでみたと思う。このあたりは記憶がハッキリしないけど、確かに実験をした。
あるいは低周波のアンプにつないだかもしれない。アンプといったけど、じつはラジカセのマイク入力につないで、そのスピーカーから聴いていただけという場合もあった。これがお手軽だった。
そうすると、どういうわけか「自由中国の声」(当時)の日本語放送が聞こえてきた。あの曲。(あの曲といってわかる人はわかる)
当時は原理がわからず、そして後日再現もできなかった。
たぶんだけど、原理的にはダイレクトコンバージョンみたいな事になっていたんじゃないかなと思う。
エッチングと基板 つづき
2024.04.09
中学生の頃に初めてプリント基板の製作キットを買った話を書いたが、それは何のためだったか。
確か2年生だったと思うが、学校のクラブ活動で工作部に入った。
ほとんどの人はプラモを組み立てていたが、自分はプラモも作ったけど、やっぱり電子工作をしてみたかった。
そこで、「技術」の教科書に載っていたラジオを作ろうとした。
最初に作りたい物や活動したい事の希望を書いて提出する紙があり、そこへ「ラジオを作る」と書いておいたら、顧問の先生から「ラジオなんか作ってどうすんだ、買えばいいだろ」という反応。
(顧問の先生は美術の教師)
そりゃそうですが先生・・・
「勉強の為」だと言えば相手は学校の先生だから納得してもらえたと思う。当時何と言ったかは忘れた。
それで実際に部品を買い集めて(当時は通販)作ったんだよな。だけどその時は鳴らなくて、あとで色々いじって直したと思うが、このあたりの記憶もない。作ったのは確か。
まあ、確かに実用性は無かった。
ケースに入れなくて基板むきだしだからゴミっぽくなる。むきだしでホコリをかぶるし、ホコリをかぶれば、なおさらゴミっぽくなる。
いまではそう思うけど、当時は通電して動作する部分にしか興味がなかった。
ケース加工もしなかったわけじゃないけど、よくある透明スチロールのケースにはんだごてでブスッとさして(くさい、と母から苦情)適当に穴を開けていた。
まともなドリルも持っていなかった頃だし、手回しのドリルで細い刃から折ってしまい、予定外に大きい穴をあけたりしていた。
あるいはカッターナイフの先端を突き立て、それをぐるぐる回すと皿もみのようにして穴があくので、この技を多用していた頃もあった。
当時ケースは透明スチロール製のものがたくさんあって、これは親父が町の健診に行った時に胃の発泡剤が入っていた箱がたくさん捨てられていたのでもらってきたらしい。
結構しっかりしていて、使い捨てにするにはもったいない箱だった。いまの時代だとエコとか言って紙箱になってるのかなと。
確か2年生だったと思うが、学校のクラブ活動で工作部に入った。
ほとんどの人はプラモを組み立てていたが、自分はプラモも作ったけど、やっぱり電子工作をしてみたかった。
そこで、「技術」の教科書に載っていたラジオを作ろうとした。
最初に作りたい物や活動したい事の希望を書いて提出する紙があり、そこへ「ラジオを作る」と書いておいたら、顧問の先生から「ラジオなんか作ってどうすんだ、買えばいいだろ」という反応。
(顧問の先生は美術の教師)
そりゃそうですが先生・・・
「勉強の為」だと言えば相手は学校の先生だから納得してもらえたと思う。当時何と言ったかは忘れた。
それで実際に部品を買い集めて(当時は通販)作ったんだよな。だけどその時は鳴らなくて、あとで色々いじって直したと思うが、このあたりの記憶もない。作ったのは確か。
まあ、確かに実用性は無かった。
ケースに入れなくて基板むきだしだからゴミっぽくなる。むきだしでホコリをかぶるし、ホコリをかぶれば、なおさらゴミっぽくなる。
いまではそう思うけど、当時は通電して動作する部分にしか興味がなかった。
ケース加工もしなかったわけじゃないけど、よくある透明スチロールのケースにはんだごてでブスッとさして(くさい、と母から苦情)適当に穴を開けていた。
まともなドリルも持っていなかった頃だし、手回しのドリルで細い刃から折ってしまい、予定外に大きい穴をあけたりしていた。
あるいはカッターナイフの先端を突き立て、それをぐるぐる回すと皿もみのようにして穴があくので、この技を多用していた頃もあった。
当時ケースは透明スチロール製のものがたくさんあって、これは親父が町の健診に行った時に胃の発泡剤が入っていた箱がたくさん捨てられていたのでもらってきたらしい。
結構しっかりしていて、使い捨てにするにはもったいない箱だった。いまの時代だとエコとか言って紙箱になってるのかなと。