基板設計
2025.08.22
20年以上前に出向した先(プリント基板メーカー)で、そこの部長か課長から聞いた話だと、さらにその昔は基板設計で相当稼げたという話

家が建ったとか何とか・・・いまとなっては昔の夢の世界でしょう。

AIで今後どうなるかわからないけど、熟練者が手でパターンを引いたほうが品質も良いです。

回路といっても色々ある。アナログでも低周波に高周波、デジタルでも周波数が高くなったりインピーダンスマッチング等は高周波の世界。

細心の注意を払って引くもの、つながってさえいれば良いレベルのものもあります。

基板なんかケースにおさまってしまえば外から見えません。だけど、見えなくてもきちんとした仕事をするのが当然だと、その会社の専務さんから最後に教わったものです。

平成初期の頃までは、あのサンハヤトの感光基板キットみたいに、フィルム紙にレタリングを貼ったりしてパターンを設計していました。自分も最初の頃やったけど、間もなく時代の流れでCADに置き換わりました。

その後は過去の設計品の改良などで、手貼りフィルムを出してきて直しているのを見かけたぐらい。
プリント基板メーカーには巨大なカメラが有り、それでフィルムを撮影して製版していたそうです。いまも残っている所があるかもしれません。

サンハヤトのキットも近頃はプリンタ印刷でフィルムを作りますが・・・

手貼りで設計していた頃は倍寸で描いた原稿を、カメラで撮影して縮小しました。最初から原寸だとなかなか細かい線が描けません。ピン間1本とか2本など細かいのは原寸では厳しいでしょう。

方眼紙にパターンのラフスケッチのような下書きをして、それから赤と青の色鉛筆で表・裏を色分けしながらパターンを描いていくのだったと思います。
回路図はコピーしたものに、配線が済んだ所から1本ずつ塗りつぶしていきます。

その上にマイラーシートと呼んでいた、トレーシングペーパーではないけどビニールのようなシート、半透明のシートです。
これをさっきの方眼紙の下書きに重ねて、スルーホール部分に◯のシールを貼り付けていきました。
ファミコンのカセットみたいなカードエッジ端子は、ちゃんと最初からそのパターンのシールが有るんですね。
電解メッキをかけるので、そのための線もくっついていたような気がします。忘れました。
IC形状も各種シールが有りました。

配線の通りにレタリングを貼り込んで、塗りつぶしの部分はどうやったっけ。もう何十年もたって忘却の彼方です。
ドリル穴の指定も別に図面を作って添付していたような気がします。ひとつひとつ座標を拾い出していたのか、もうわかりません。

基板をひとつ作るだけでイニシャル費込みで何十万もしていた時代でした。正確には覚えていないし、大きさなどによっても違うのでわかりませんが、20万ぐらいしていたはずです。設計は含まず、基板製造のみの金額です。
OSがタダ
2025.08.21
ちょうどWindows95前夜ぐらいか、その後だったか。

たまたま本屋に立ち寄ったら、無償OS付きの本があって、まさかOSがタダなんて?半信半疑で買って帰ってきた。まったく信じられなかった。
すっかりM$商法の毒に漬かってしまっていたのだろう。

それはLinuxといって、Slackwareというディストリビューション。

フロッピーとCDが挟み込んであったような記憶。

早速試してみた。インストール方法でよく分からない所もあったが、本を見ながらひとつずつ進んで、起動するようになった。

もともとUnixのWSを使っていたので、コマンドには慣れていた。

この上でWebサーバやメールサーバを動かすには?
Webサーバは動かす所までが大変だったが一応できて、メールサーバは結局やってないと思う。
ダイヤルアップで外部からログインする事が、当時一番興味があった事。

一番難しかったというか、なかなかできなかったのは画面設定。

当時はブラウン管モニタで、その設定が適切でないと画面がウニョーンと歪んだり、ずれたりした。最悪は壊れることもあるという脅しまであった。実際、キュイーンとか変な音がしたりして怖かった。

ビデオカードに対応したドライバも揃っていなかった頃で、苦労した。

結局、当時何台かインストールしていたPCのうち1台だけはテキスト表示のみであきらめた。

その後、色んなディストリビューションが現れ、どんどん進化して簡単になり、USBメモリひとつでも起動して動かしたりできるようになった。画面の設定も無し。
WS
2025.08.21
ワークステーション(WS)

PCの性能が今よりずっと低かった頃、WSは高性能のパソコンみたいな位置づけ
OSはUnix系 (SunOS、HP-UX等)
WSのメーカーはSunとかHPなど

今となっては、レトロマイコンと言っても良さそうな気がする。当時のCPUはSPARCとかMC68020だった。

その後、PCの性能はグングン向上し、取って代わられてしまったわけです。

平成初期の頃、ZUKENの基板設計CADはSunのWS上で動いていて、他にHPのWSも有った。
聞くと、そのCADソフトは田舎では家が建つぐらいの値段だという。よくそんな高いものを買うなあ~。(ソフト代というよりサポート代かもしれない)

そんなに高いくせにパターンは自動で引いてくれない。オートルータは、さらに課金しないといけないんだと。
その後、外注でオートルータを使う機会があったけど、おそろしく時間がかかったし、製品では使えないようなパターンで(やたらに遠回りしたりとか)、お金を払う価値は無いと当時思った。
超複雑な回路を急ぎ試作したい時で、オートで線が通らないというので仕方なく8層にして、試作後に修正反映と、手動で引き直して6層に直したと思う。

そんな高価なCADソフト、
基板設計を外注に出して、それを何十回繰り返すことを考えたら元がとれるという計算かもしれない。社内でやるにしても人件費がかかるのは当然。

次の会社にいた時、ZUKENがCADを売り込みに来たけど400万だって。回路図CADだけで。セールスの方に、うちは10万のCADがあってこれで十分だよとデモまで見せてあげました。否定しているわけではありませんよ。うちはそんな高級な機能があっても使わないから400万も出せないという話。

さて、あまりにも社内が忙しすぎるから基板設計を外注に出そうとした。

外注から見積をもらっても、他社にも聞け、相見積だ、値段交渉しろ、って上司から言われる。(決着するまで設計は進まない。そのまま社内でやっていたら、その時点で部品配置まで終わっていただろう)

値段交渉は、他社はいくらぐらいでしたといえば簡単に下がる。たとえば、50万だ45万だって言っていたのが30万に下がるんだから不思議なもの。

しかし・・・値切るのは良いが、外注は思ったような設計品質で出来上がってこないものだと知った。(みんながそうだとは言えないが、その時の外注はひどかった)

ずいぶん時間がかかって出来上がってきた設計を見て、「なんだこりゃ」

まず、こちらが指示したことをやってない。たとえばフォトカプラの一次側と二次側のアイソレーションとか部品配置について、しっかり指示が書いてあるのに守ってない。

結局、社内の基板設計課が(ぶつぶつ言いながら)やり直しをしていた。

ところで平成初期の頃、LANは一般的ではなく、少なくとも当時の会社ではWS同士と一部のPCしかつながっていなかった。

そもそも一人1台のPCは無かった時代で、あとで係長以上にはノートPCが支給されたけど、我々下っ端は限られたPCをみんなで共用していた。
まだ、かなりの書類を手書きで作成していたぐらいで、使いたい時にPCが使えないから仕方がない。

なんと、あの伝説のイエローケーブルが社内に引き回されていた。この接続は難しいんだぞ、お前にできないだろうと当時の上司がマウントを・・・

LAN関連機器の設計から関わっていたが、こんなもの高価だし一部でしか使われないから一般人には関係ないよなと思っていた。その頃に作ったISDNルータ・ブリッジは120万もしたのである。

まさかその数年後、自分も家庭内LANを引き回してLinuxを動かすなんて想像もできなかった。

サーバーを設置して、ケーブルを引き回し、隣の部屋からログインしてコンパイルしたりとか、なんとも不思議な体験だった。これがWSじゃなくてPCでできるなんて。

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